今年に入って産経新聞は「ごまかしの選択的夫婦別姓議論」と題し、選択的夫婦別姓を大々的に批判するキャンペーンをしています。前回の投稿では、1月3日に掲載された企業アンケートの問題点を取り上げました。今回は企業アンケートを基にした産経の主張を検討しましょう。企業アンケートの結果をもとに、産経の記事は旧姓の通称使用拡大が進んでいるので選択的夫婦別姓を導入する意義は乏しいとし、次のように述べています。
「内閣府によると、昨年5月末現在で320の国家資格、免許などのうち317で資格取得時から旧姓使用ができる。残る3資格も条件に若干の違いがあるだけだ。マイナンバーカード、運転免許証、パスポートも旧姓併記ができる。金融機関も既存口座の旧姓名義による取引を認めており、一部認めていない場合もシステム改修が進めば対応可能になるという。…(中略)…日常生活での不便さは相当解消されているのではないか。
選択的夫婦別姓の導入に前向きな公明党の斉藤鉄夫代表は昨年末、「実際に困っている人が多くいる。もう決断する時だ」と述べた。「困っている人」とは誰なのか。
企業経営や国際マネジメントが専門の青山学院大学の福井義高教授は「企業内も含めて旧姓を使えるケースは増えており、不便さは解消されている。選択的夫婦別姓は国民の価値観の問題で、経済界が口を挟む問題ではない」と指摘している。」*1
産経の認識では旧姓使用が拡大すれば問題は解決できるので困っている人などいないということなのでしょう。しかし、旧姓使用の手続きや旧姓併記自体が煩わしい手間がかかるという苦情があることは前回の記事で紹介した通り、経団連の調査や内閣府の調査等でも指摘されていることです。産経が要求するような旧姓使用の拡大には企業側に複数の名前を持つ同一人物を管理するという無視できないコストが発生しますし、様々な理由から旧姓使用の拡大をこれ以上すすめるのは困難な分野が少なくありません。「旧姓使用不可の企業ゼロ」という産経の企業アンケートの不適切さについては前回の投稿を参照していただきたいですが、旧姓使用が可能な企業でも多くの場面では旧姓が使えず実際にトラブルが起きています。だからこそ選択的夫婦別姓が議論されているのです。
金融機関でも「システム改修が進めば対応可能になるという」などと気軽に言わないでほしいものです。2022年の金融庁の「旧姓による預金口座開設等に係るアンケート調査」によると、旧姓名義の口座開設は銀行の7割が対応していますが、信用金庫では6割、信用組合では1割に過ぎません。対応していない理由としては「マネーロンダリング及びテロ資金供与防止対応に懸念が生じるため」「システム改修が必要となるため」等の理由が挙げられており、「システム改修については、ほぼ全ての金融機関において、相当程度の作業期間・費用が見込まれる」状況です。「多くの金融機関が、顧客から旧姓口座の開設等の申し込みを受けた場合、その背景・理由や特段の事情を慎重に確認していると回答」しており、手続きが簡単に済むわけではありません*2。
また、産経は320の国家資格や免許で旧姓が使えると誇って見せますが、公的文書では原則として戸籍姓の登録以外はできません。住民票やマイナンバーカード、運転免許証、旅券、不動産登記、特許取得などで「旧姓併記」が可能になっていますが、あくまで通称として旧姓を併記することが可能なだけであって、旧姓で手続きできるわけではなく、改姓に伴う手続きの負担が発生することに変わりはありません。旧姓併記を申請するにも煩雑な手続きが必要です。例えば、パスポートには旧姓を併記することが出来るようになっていますが、外務省は旧姓併記が例外的措置であることを明確にし、次のように注意喚起しています。
「戸籍上の氏名に続けて、括弧書きで記載されますが、ICAO文書には規定されていない例外的な措置であるため、ICチップ及びMRZ(Machine Readable Zone)には記録されません。このため、旅券面に記載されていたとしても、査証及び航空券を右呼称で取得することは困難と考えられますので、御注意ください。」
「渡航先国の出入国管理当局等から説明を求められる場合には、旅券の所持人御自身から旅券に併記された呼称について御説明いただく必要が生じます」*3
要するに国際的に認められていない措置であるため、不便が生じる場合があるということです。産経も記事の中でパスポートの表記でトラブルが起きることがあることを認めています。少なくとも、地位が高く国際的に活躍するような女性にとっては、現行制度は実際に相当な不利益を与えていると思いますが、いかがでしょうか。
余談ですが、各種の調査からも明らかなように、旧姓使用拡大の一番の障害は政府の許認可の手続きや資格に関わるものです。現行の夫婦同姓をどうしても維持するというなら、旧姓使用拡大以上に必要なのは無駄な資格や手続きを一掃する徹底的な規制改革です。政府の登録手続きや職業免許等の資格を極限まで減らし、旧姓を使いたい方が可能な限り煩わしい手続きをしないで済むようにすべきでしょう。それだけの覚悟があるなら大したものですが、残念なことに、産経が女性の活躍のための大胆な規制改革を唱えているとは寡聞にして聞きません。保守派政治家も膨大な数の公的な手続きに対して旧姓使用拡大を進めてきたことを誇るよりもそもそもその膨大な数の手続き自体を減らすべきです。
産経の記事は「企業内も含めて旧姓を使えるケースは増えており、不便さは解消されている。選択的夫婦別姓は国民の価値観の問題で、経済界が口を挟む問題ではない」という産経の論調を支持する有識者の指摘で終わっています。産経の見出しも「経済界は口を挟むな」とまるでアンチビジネスの急進左派のような言いぶりですが、右派の政府介入にも左派の政府介入にもどちらにも賛成することができません。
他人の権利を侵害しない限り、各人が自由な選択を許されるべきだというのは自由主義社会の大原則です。夫婦同姓がたとえ良いことだとしても、それだけでは政府が夫婦同姓を強制する理由にはなりえません。夫婦の姓は政府に強制されなくても、各家庭が別姓か同姓かをそのメリット,デメリットを考えて自分にとって一番良い選択を自由に選べばいいだけの話です。通常、何が自分にとって幸せかは本人がわかっているものですし,自分のことは自分で責任を持つべきでしょう。夫婦の問題を国に決めてもらうなんて余計なお世話です。
選択の自由を認めるべきだという批判に対して、選択的夫婦別姓反対派は旗色が悪いと見たのか、最近では、選択的であっても夫婦別姓を認めるべきでない根拠として(元旦の産経新聞の記事もそうですが)、子供の問題が持ち出されることが多くなっています。夫婦の姓が違うと、親子の姓が異なることになり、家族の一体感が失われて、子供が可哀想だというのです。子供の権利が侵害されるから親の選択の自由を制限することが正当化できるという主張は一見もっとらしく見えます。
しかし、親と姓が違うと子供が「可哀想」とはどういうことでしょうか*4。世界には夫婦別姓が伝統で親と子供の姓が違う国がたくさんありますが、別に何も問題は起きていません。現に日本でも事実婚(当然ですが夫婦別姓)や国際結婚(別姓が原則で同姓も選択可能)のご家庭は、子供と親の姓が異なりますが、何の支障もなく暮らしています。こういうご家庭は家族の一体感がなく「子供が可哀想」なのでしょうか。一緒に暮らす家族と子供の姓が違う状況はいくらでも考えられますが*5、それは各家庭が自分で決めれば良い問題ではないでしょうか。子供のことを誰よりも理解して子供に一番愛情を注いでいるのは通常は親です。よほどの理由(虐待など人権侵害等)がない限り親の教育方針等の決定は尊重されるべきです*6。たとえ夫婦同姓が「良い」ことだとしても、赤の他人が親の子育てに厚かましく干渉するのはいかがなものでしょうか。子供のことを赤の他人,まして政府の役人に決めてもらうのが望ましいはずがあるでしょうか*7。
百歩譲って、親子の名前が異なることが子供の人権侵害に匹敵する大問題で、当事者の夫婦自身がどう思っていようが、とにかく夫婦同姓を強制する政府介入の根拠になるとしましょう。もしそうだとすると,病気等の理由から子供をもつことができない夫婦やすでに子供が独立したり死亡したりしている夫婦には夫婦同姓を強制する根拠はなくなります。一方で、事実婚や国際結婚等により親子別姓になりうるご家庭に対しては、夫婦同姓を強制するべきだということになります。もちろんそんな無意味かつ意地悪なことをすべきとは全く思いませんが、あれほど声高に親子別姓だと子供が可哀想という人たちが、現に日本には親子別姓の家族が無視できない人数いるにも関わらず、全く無関心なのは信じ難いことです。親子で姓が違うと可哀想というのがためにする議論でないなら首尾一貫した主張をすべきです*8。
価値観の問題で絶対に夫婦同姓は譲れない、政府が全国民に強制することも厭わないというならそれはそれで一貫していますが、その場合は旧姓の通称使用にも断固反対するべきです。仕事等の日常生活で普段使っている姓が旧姓なのですから、戸籍上の姓がどうであれ、旧姓使用が不自由ない水準に拡大すれば、家族の一体感は失われて子供が可哀想ということになるはずです。その場その場で都合よい理由を持ち出して、整合性のない主張をするのはよくありません。
「子供が可哀想」派の選択的夫婦別姓反対派によれば、政府が夫婦同姓を強制する根拠は、「お母さんが「山田さん」なのに、自分は「田中」という名前だ」というような状況では子供が酷く傷つき、他の子供からいじめられるかもしれないからということです。それが本当なら「お母さんは(旧姓を日常生活で使い)職場で同僚からもお客さんからも「山田さん」と呼ばれているが、自分の名前は「田中」だ」という状況は、同様に大問題のはずです。戸籍上の姓がどうであろうと、両者は実質的に同じ状況でしょう。直ちに禁止し旧姓を使う権利を剥奪すべきだと言わなければいけません*9。「子供が可哀想」派はいかなる場合でも旧姓を使うことを禁止するべきであると主張するのが首尾一貫しています。一方では「子供が可哀想」と言いながら、他方で「どこでも通称が使えるから導入しなくて問題ない」などと主張するのは矛盾しています。もしあなたが「旧姓使用拡大で十分」派なら、同時に「子供が可哀想」派であることはできないでしょう。どちらかを選ぶべきです。
どこでも旧姓を使用可能にすれば問題ないだろうというのであれば、戸籍上の姓だけ変更してはいけない理由は思いつきません。旧姓の通称使用をどこででもできるようにするぐらいなら、戸籍姓を旧姓のままで変更しなくても済むようにすればよいのではないでしょうか。本人が自分から改姓したいならともかく、改姓を法的に強制しなければならない理由は何もないように思われます。企業にむやみに旧姓使用の拡大を要求するよりも、夫婦別姓を認める方が制度の運用が簡素化され、セキュリティ上のリスクも生じにくいのは明らかでしょう。手続きによって名前が混在するとややこしくなり間違いが起きやすくなります。旧姓と戸籍姓が併存している状態の方が安全保障上もむしろ問題ではないでしょうか。旧姓の通称使用拡大を進めるというのは企業に対して不必要な負担をさらに増やし、政府の怠慢の責任を企業に押し付けるということです*10。こういった負担は選択的夫婦別姓を認めれば解消されますし必要なくなります。これは国家安全保障にとっても、企業にとっても、別姓を選びたい夫婦にとっても、誰にとっても望ましい結果です。
保守派というのは伝統に誇りを持ち,家族の価値を大切にする人たちのことでしょう。夫婦同姓が美しい伝統だというなら政府に法律で強制してもらわなくてもそれは自然に続くはずです。そんな自信がなくてどうするのでしょうか。実際、選択的夫婦別姓が認められても、おそらく大多数の人は夫婦同姓を選び続けるでしょう。どんな姓を使うかとかどんな家族生活を送るかは各家庭が自分で決めれば良いことです。家族の価値を唱えながら、家族をそんなに信用できないのでしょうか。日本人は家族の問題も法律で強制的に国に決めてもらわないと,すぐに子供の姓とかをめぐって家族が争い合い、いじめが蔓延して家族が崩壊する愚かで無能な人たちなんでしょうか。全くそうは思いませんし、それこそ日本の伝統への侮辱というべき「自虐史観」でしょう。常日頃は自由市場に好意的で日本に誇りを持っているはずの方々がなぜこの問題に限って世界でも例のない政府介入を支持するのかわかりかねます。
*1:選択的夫婦別姓「困っている人」とは誰か 旧姓使用不可の企業ゼロ「経済界は口を挟むな」 ごまかしの選択的夫婦別姓議論 - 産経ニュース
*2:旧姓による預金口座開設等に係るアンケート調査の結果について:金融庁 (fsa.go.jp)
*3:旅券(パスポート)の別名併記制度について|外務省 (mofa.go.jp)
*4:大体、その理屈では、結婚して改姓した女性も親と姓が違うので両親と家族の一体感が失われ、結婚して幸せどころか可哀想だということになるんではないでしょうか?結婚後に改姓した人が姓が違うご両親と「家族の一体感」が失われ「可哀想」にならないように、田中さんが結婚して山田さんになったら、田中さんのご両親も山田姓に改姓してもらわないといけないように思いますが,いかがでしょうか。
*5:例えば、三世代で同居している家族等。また、両親が離婚した場合、子供を引き取った親と子供の姓が異なる状況が生まれる場合がありえます。婚姻時に姓を変更していた場合、手続きしない限り離婚時に姓は旧姓に戻りますが、親権者の姓が変わっても、子の姓は手続きをしない限り変わりません(離婚を考えている方へ (moj.go.jp))。
*6:私はこれが適度に保守的な意見であり、由緒正しい本当の保守主義者なら必ず同意する意見だと思います。
*7:国が家族同姓を強制しないと子供の姓をめぐって夫婦で争いが起きるという人がいますが、今だって子供の名前をめぐって夫婦が喧嘩することはあるでしょう。たとえあるとしてもごく少数の夫婦喧嘩が心配だからという理由で、選択的夫婦別姓の大きな利益を否定するのは無茶です。そういう主張をされる方は、子供の名前をめぐる夫婦喧嘩を予防するために政府に子供の名前を決めさせるべきだとでも主張したらいかがでしょうか。
*8:姓を変えたり変えなかったりするぐらいで家族の一体感が生まれたり家族が崩壊したりするんだったら、いっそ日本人全員が家族の一体感を感じられるように全員同じ姓を強制したらどうでしょうか。まあ、それこそ家族破壊の全体主義にしか見えませんけれど。
ついでに言えば、親と姓が違うといじめが起きるという主張は明確な定量的根拠が何も存在せず、夫婦の選択の自由を制限する根拠にはなりえないと考えます。たとえ偏見があるとしても選択的夫婦別姓が当たり前になり理解が進めば状況は変わるでしょうし、学校や警察がいじめの防止に取り組む責任の方は放置しておいて「親と姓が違うからいじめられる方が悪い」というのは噴飯物の意見に思えます。それに、「子供がいじめられる」というのは、変わった姓だったり名前だったりする場合にも当てはまります。そんなに心配なら、変わった姓は禁止して改姓を命じるとか政府が子供の名前を決める法律も作るべきではないでしょうか。あるいは、子供がいじめられそうな特徴は他にも身体的特徴などいろいろと列挙できるでしょう。「子供がいじめられる」恐れがあるなら禁止すべきだというなら、例えば、どんな子供が生まれてもよいか、どんな人が結婚して子供を作ってよいかもやはり政府が決めるべきだということになるでしょう。いじめられる可能性があるから禁止するという議論を推し進めると、それは優生学のような似非科学と変わらないおぞましい主張に行きつきます。極右は、選択的夫婦別姓を「家族解体の陰謀だ」という風に攻撃しますが、家族の決定権を奪い、政府の法律に家族の問題を決めさせる方がよほど家族の解体ではないでしょうか。
*9:あなた方の想像では、それは子供の人権侵害であり、権利でもなんでもないのですから当然のことです。
*10:通称使用拡大を企業に要求せず、夫婦の一方(殆どの場合は女性)が「困っている人」になるのは何らかの理由でやむを得ないこと(あるいは望ましい歓迎すべきこと)であり、政府は企業に介入するなというなら、それはそれなりに一貫しています(全く支持できませんが)。