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ミーゼス vs. "ミーゼス派”

9月29日は、偉大なオーストリア学派リバタリアンの経済学者、ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼスの誕生日です。そこで今日はミーゼスとリバタリアニズムの話題をお話ししたいと思います。と言っても、明るい話題ではなく、ミーゼスの名前と結びついている最近の憂慮すべき問題についてです。

一般に、 リバタリアニズムとは、「諸個人の経済的自由と財産権も、精神的・政治的自由も、ともに最大限尊重する思想」*1を指します。伝統的なリバタリアンは中絶やLGBTの権利を支持し、被害者なき犯罪の処罰に反対するなど個人のライフスタイルに干渉せず、移民受け入れにも寛容な立場をとってきました。

ところが、最近では、極右と見まがうような移民排斥やLGBT嫌悪を主張し、民主主義を軽視する人たちが”リバタリアン”を自称するようになり、反ワクチンや不正選挙などの陰謀論や人種差別的なデマを拡散するのが目立っています。中には、民主主義よりも独裁が好ましいと主張し、リバタリアンとは到底言えないトランプ元大統領を称賛したり、プーチン大統領などの権威主義的指導者を称賛する人すらいます。

リバタリアニズム」は、「リベラル」という言葉が社会民主主義の意味に使われるようになったことから、本来の古典的自由主義を指すために使われ始めた言葉ですが、この調子では陰謀論者や極右に「リバタリアニズム」が乗っ取られてしまいかねない状況です。

どういうわけか、この手の極右リバタリアンは、自分たちをオーストリア学派の偉大なリバタリアンの経済学者、ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼスの後継者とみなし、やたらにミーゼスの名前を使いたがる傾向があるようです*2。その代表はリバタリアン党のミーゼス・コーカス(Mises Caucus)を名乗る派閥ですが、この派閥の人種差別主義、南部連合支持、LGBT嫌悪などについては以前の投稿でも取り上げました*3。極右の”リバタリアン”の共通点は、ミーゼスやその弟子のロスバードをはじめとするオーストリア学派の経済思想を信奉し、自分たちこそミーゼスの思想に忠実な「真のリバタリアン」で、多様性を支持し差別に反対するリバタリアンを左翼思想にかぶれた似非リバタリアンであると非難する点です。

しかし、殊更に人種差別やLGBT差別の”表現の自由”ばかりを強調し、自分自身差別的な言動や脅迫的な言動をして恥じないような人たちは、自由ではなく別のものに関心があるのだろうと推測されても仕方ないでしょう*4。同様に、ロシアなどの権威主義国を殊更に擁護し、ウクライナを罵倒し、民主主義国を攻撃するリバタリアンは平和以外の何かに関心があるとみなされて当然ではないでしょうか。

マルクスであれ、ミーゼスであれ、ロスバードであれ、誰であれ、私は誰それに忠実であることとか純粋であることとかをやたらに強調するような思想全般に不信感を持っていますが*5、ともあれ、ミーゼスは私の尊敬する思想家の一人なので、極右の皆さんがミーゼスの名前を自分たちの専有物のように使うことには違和感を覚えないではいられません*6。ミーゼスは、極右リバタリアンたちの主張するような反動主義者では決してありません。例えば、ミーゼスは主著の一つである『自由主義』の中で次のように述べています。

自由主義者はすべての人がどこであれその人の望むところに住む権利を要求する。これは”消極的”要求などではない。すべての人が自分が最善だと考える場所で働きその収入を使うことができるということは、生産手段の私的所有に基づく社会の正に本質に属するのである。…〈中略〉…自由主義者にとって、世界とは国境で終わるものではない。彼の眼には、国境がどのような意味を持つにせよ、それは単に偶然的で付随的なものに過ぎない。彼の政治思想は全人類を対象にしている。その政治哲学全体の出発点は、分業は国際的なものであり、単に国内に限られるものではないという確信である*7

ミーゼスにとって、移動の自由は、彼の自由主義の根幹をなす要素だったことは、彼の他の著作からも明らかです。実際、あるミーゼスの弟子は「ミーゼスの自由放任の急進主義は移民の自由への妥協なき支持によって特徴づけられるものだった」*8と証言しています。”ミーゼス派”の誰だってこの人の権威には文句をつけたりしないはずです。この論文の著者はマレー・ロスバードその人です*9

フランス啓蒙主義、合理主義の賞賛者だったミーゼスは、ホッペや暗黒啓蒙の極右思想家が礼賛してやまないアンシャンレジームを軽蔑していましたし、封建主義にもキリスト教原理主義*10にもナショナリズムにも何の愛着も持っていませんでした。ミーゼスは、良かれ悪しかれ古典的な自由主義者であり、コスモポリタンな思想家だったのです。

今日の”ミーゼス派”を自称する移民排斥、大量強制送還の支持者たちは当のミーゼスとは大きく異なる考えを抱いているのは明白です。自称”原理主義的”リバタリアンは、ことあるごとにミーゼスの名を持ち出しますが、キリスト教原理主義者がしばしばキリストに忠実でないように、自称ミーゼス派は自分たちの始祖に対してさほど忠実ではないのです。

*1:森村進(2001)『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』講談社現代新書, 14頁.

*2:例えば、移民受け入れ懐疑論など保守的な主張を唱える”右派リバタリアン”の拠点の一つにミーゼス研究所がありますが、この研究所はミーゼス・コーカスと密接な関係にあります。ただし、誤解のないように言うと、ミーゼス研究所が右傾化したのはかなり最近のことで、以前はそうではありませんでした。この研究所はミーゼス・コーカスのような初めから滅茶苦茶な組織だったわけではありません。念のためですが、強調しておきます。

*3:ご関心のある方は、リバタリアン党ミーゼス・コーカスはなぜ危険か()やハリス暗殺を煽動する似非”リバタリアン”をご覧ください。

*4:他人にすぐ「バカだな」とか学歴が高卒とかFランがどうのとかレッテルを張り(なんともひどい権威主義!)、人種差別的な言動をして恥じずデマを流しても訂正もしない”リバタリアン”は日本にもいますね。

*5:忠実であるべきなにかがあるとすれば、それは誰かの思想に対してではなくて事実に対してでしょう。

*6:私はミーゼスの景気循環理論には批判的ですが、彼の企業家論や社会主義経済計算不可能論、自由主義思想は高く評価されるべきであると考えますし、ミーゼスを極右の思想家の源流などとみなすのは全くの間違いであると考えます。

*7:Mises, Ludwig von.(1985) Liberalism, Ludwig von Mises Institute,pp.137, 147.

*8:Rothbard, M. N., (1981). “A Quest for the Historical Mises,” The Journal of Libertarian Studies, 5(3), p.242.

*9:ロスバードは晩年にはホロコースト否定論者と交流したり元KKKの極右人種差別主義者D・デュークを支持したりするなど極度に右傾化し、彼自身も移民受け入れに反対するようになりますが、 この論文を書いた頃にはまだそんな考えは持っていませんでしたし、この論文はミーゼスの思想の比較的公平な解説です。

*10:ミーゼスはそもそもユダヤ系ですからキリスト教原理主義などとは無縁なのは当然のことです。彼は宗教全般に冷淡でした。ところが、ミーゼス研究所にはなぜかキリスト教と経済学を結びつけるようなトンデモ経済学者が少なくありません。聖書に基づく経済学を唱え、親に逆らう子供や同性愛者の男性を死刑にしろと主張したゲイリー・ノース等がよい例です。仮にミーゼス本人がもしこんな”学者”が自分の名前を冠した研究所にいるのを見たら驚愕したことでしょう。




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