小泉進次郎氏が自民党総裁選の有力候補になっていますが、小泉氏は父の小泉純一郎元首相のイメージや解雇規制緩和の主張等から「新自由主義」のレッテルを張られているようで、賛成派、反対派双方が小泉純一郎政権の規制緩和の是非で盛り上がっています。
水を差すようで悪いのですが、小泉政権が「新自由主義」だったというのは過大評価もよいところです。単純な事実の問題から言えば、小泉政権は「新自由主義を実施する」と主張したことは一度もありません。陰謀史観でよほど歪んだ見方をしない限り、小泉政権を新自由主義と呼ぶのは間違いであり、その実績を冷静に評価するなら、良かれ悪しかれ小泉政権は大したことはしていない政権です。
例えば、2003年*1に小泉政権が実施した製造業派遣の解禁と派遣受け入れ期間の1年から3年への延長などの派遣産業の規制緩和は、非正社員の増加を招き、格差社会を生み出した元凶とされ、よくやり玉に挙げられますが*2、そもそも2023年時点で派遣社員は就業者全体の僅か2.3%です*3。日本の非正社員の大部分はアルバイトとパートで、派遣産業の規制緩和とは関係がありません。非正規社員の割合の増加の背景としては、女性の社会進出や高齢化の方が遥かに大きな理由です。もちろん、2003年の時点では派遣社員が就業者に占める割合は0.8%でしたから確かに増えるには増えていますが、派遣社員が就業者全体の0.8%が2.3%に増えたことが“格差社会拡大の元凶”といった主張は無理があるでしょう。これは派遣業の規制緩和の是非以前の算数の問題です。
大体、派遣産業の規制緩和は小泉政権が特に力を入れた政策課題ではなく、ごく小規模なものですし、基本的にILOの勧告に沿ったものです*4。小泉政権前半の不況が貧困を招いたという主張なら理解できますが、それは新自由主義でも何でもなく単なる不景気の結果で、ITバブル崩壊や金融システム不安は小泉政権の責任とはいえません(もっとうまく対処できたはずだという批判ならあり得ますし、それは部分的に妥当な批判ですが)。仮に小泉政権下で派遣産業の規制緩和が実施されていなかったとすれば、失業率はさらに高くなり、就業者数が減っただけだったでしょう。この判断に同意したくなければしなくても結構ですが、派遣産業の規模感を理解していれば、これが大勢に影響しない小さな話に過ぎないことは明らかでしょう。
不平等度が小泉政権下で劇的に拡大したという主張も事実ではありません。不平等度を表すジニ係数(1に近いほど不平等)は小泉政権下で特別な変化を示していません。例えば、所得再分配調査によれば、小泉政権下で再分配所得ジニ係数は0.3814(1999年)から0.3873(2005年)に僅かに拡大していますが、その規模は小さく、その後はアベノミクスの下での景気回復で低下し、最新のデータである2021年時点で0.381に低下しています*5。あなたの実感では小泉首相は極悪人で、格差が劇的に拡大したような気がするかもしれませんが、少なくともデータ上で小泉政権下の格差拡大が大きなものだったことを示すものはありません。繰り返しますが、小泉政権は大したことをしてませんし、格差が劇的に拡大するような理由自体ないのですから当然です。
「新自由主義」という言葉は正直定義が曖昧で、単なる悪口に使われることが多いのですが、それがミルトン・フリードマン流の経済政策という意味ならば(そう理解している人が多いようですが)、小泉政権はその意図はともかくとして、実際にはそれとは程遠い政策しかやっていません。「新自由主義」という言葉をフリードマンは若い頃のマイナーな論文の中で一回しか使っていないのですけれども、彼の定義する「新自由主義」というのは、政府権力の制限を重視するだけでなく、自由市場が効果的に機能できるような制度的枠組みを整えることを主張する中道的な考え方です*6。具体的には、市場の競争促進政策や物価安定をもたらす安定した金融政策、貧困対策*7を実施することを提唱しています。これは原則的には、かなり極端な自由放任主義者やマルクス主義者、国家社会主義者以外は反対しようがない普通の経済学の考え方に過ぎません。
残念ながら、日本ではフリードマン流の新自由主義は決して実現したことがありませんし、今も依然としてそうです。小泉政権ができた頃の日本経済はデフレ不況に直面していましたから、フリードマンの日本へのアドバイスは大胆な減税とともに、金融システムを立て直し、デフレを脱却するような量的緩和を実施せよというものでした *8。この観点から見た場合、小泉政権の成績表は芳しいものではありません。フリードマンを日本に紹介した優れた経済学者、西山千明立教大学名誉教授(当時)の2002年時点の小泉政権に対する評価は次のようなものです(強調は筆者)。この評価は当時として全く正当なものです。
「小泉政権の下で柳沢伯夫金融担当大臣は、「市場原理」の名のもとに統制経済政策を推進している。そのため、既に十二年間にわたる日本の長期的不況は今やさらに悪化するばかりだ。それどころか、このような政策や景気対策の無策が続けば、我が国経済は衰退と縮小の一途をたどるばかりだ。〈…中略…〉実際には構造改革は「抵抗勢力」によって阻害され、これといった進展を示していない。しかも他方ではこの政権はどんな減税もやらないし、市場経済再生のための政策は全く何も実施しない。それどころか、〈…中略…〉「統制経済的政策」の実施を、放置ないし後押ししている。そもそも不良債権問題を象徴として、〈…中略…〉「政治の失敗」が「バブル」と「長期的不況」を生じさせたのだという自覚と認識が小泉政権だけでなく、与党はもとよりどの野党にも皆無の状況下に、わが国の人々は置かれている」*9
2006年まで小泉政権は続きますが、西山氏の厳しい評価を変える必要は殆どありません。2003年には日銀総裁に福井俊彦氏が就任して量的緩和拡大が実施され、世界的な景気回復を追い風に不良債権問題は解消しましたが、このときの量的緩和は満期の短い国債を対象とした極めて不完全なもので、貨幣量は殆ど増えずデフレ脱却にも失敗しました*10。量的緩和はしないよりもましだったとはいえ高く評価はできません。
小泉政権と言えば、任期中は消費税を上げないことを公約していたので、増税のイメージはないかもしれませんが、その印象は誤りです。小泉政権は2003年にマイナーな相続税・贈与税の見直しを実施した他は、減税どころかむしろ増税を実施しています。例えば、タバコ税や発泡酒の酒税の増税、1999年から恒久減税として実施されてきた所得税・住民税の定率減税廃止を決定しています。控除の見直し等の影響も含めれば、小泉政権の増税は決して小さなものではありません*11。増税する大きな政府の政権を新自由主義と呼ぶのは全く奇妙なことでしょう。公平を期して言えば、小泉政権が社会保障費の抑制に取り組んだのは確かでこれは評価できる点ですが、その遺産はあまり引き継がれていませんし、社会保障費の負担は増え続けているのが現状です。
小泉政権の実施した構造改革は殆どが小粒な中途半端な改革ですし、大部分は後の政権によって覆されています。そもそも、小泉政権下で規制の数は減少するどころかむしろ増えていました。例えば、許認可等の根拠条項等数は、小泉政権発足以前で統計を取ることが可能な1999年の時点で11581件(このうち許可、認可、承認等の強い規制4477件)でしたが、小泉政権末期の2005年には12376件(強い規制4384件)に増加しています。ちなみに2017年には15475 件(強い規制4937件)まで増加しています*12。国際的に見ても、日本は規制改革では中程度の国と評価されており、別に特に新自由主義の国とは思われていません*13。
あれほど大騒ぎした郵政民営化ですら、結局、民営化後も日本郵政の株式の3分の1を政府が保有し続けるという中途半端な民営化しかできなかった上に、当初の不完全な民営化案ですら小泉政権退陣後の法改正でますます後退している有様です。当初は速やかに売却する予定だったにもかかわらず、2021年6月まで政府は日本郵政株の60%を保有したままでしたし(現在は3分の1まで低下)、日本郵政はこれも速やかに売却することになっているはずのゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の株式を相変わらず保有しています。現在も郵便事業を保護され、官僚の天下りを受け入れている日本郵政グループが政府から独立した民間の会社だと考えるのは無理があるでしょう。最近では、自民党内で民営化撤回も議論されている始末です*14。結局、小泉政権は印象的なフレーズをちりばめていた割に、日本経済に目立った変化を起こすことが出来なかったというしかありません。
小泉政権が「新自由主義」だなどというレッテルは全く情けないほど実態に合わない現実離れした主張です。日本において新自由主義は試みられてすらいません。「新自由主義が日本をダメにした!」と叫ぶのは、まず大胆な減税を実施し、関税を撤廃し、安定的な金融政策の下で物価安定を実現し、医療福祉、農業、シェアリングエコノミー、労働市場等のすべての分野の岩盤規制を打破してから言ってほしいものです*15。大胆な減税をする気のない候補者が何を言おうが、それは絶対に新自由主義ではありませんからご注意を!
*1:法案成立は2003年、施行は2004年からです。
*2:小泉進次郎氏が総裁選の公約に解雇規制緩和をぶち上げたこともあって、尚更おかしな議論が盛り上がっているようです。
*4:派遣法改正案は「正社員の雇用」を守るためだった!?非正社員は誰も救われない“矛盾と罠”――国際基督教大学 八代尚宏教授インタビュー | 日本のアジェンダ | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)
*5:ちなみに、再分配前の当初所得のジニ係数は傾向的に拡大していますが、これは高齢化による人口構成の変化が理由です。高齢者の間では若者に比べて所得格差が元々大きいため、少子高齢化が進んで高齢者の割合が高くなると、再分配前の格差は大きくなるのです。しかし、所得再分配後で見た場合には格差拡大が進んでいる傾向はみられません。
*6: Milton Friedman(1951)“Neo-Liberalism and its Prospects” Farmand, 17 February 1951, pp. 89-93
*7:ただし、農業や中小企業等の特定産業を支援して競争を制限する集団的な再分配政策ではなく、実際に貧しい個人を対象にしており、競争を阻害しない再分配政策です。例えば、フリードマンが提唱する負の所得税や教育バウチャー、医療貯蓄口座等がよい例です。
*8:例えば、1998年のインタビューでは「減税と歳出削減を通じて、「小さな政府」にする。金融システムの立て直しを進める一方で、日本銀行が通貨供給量を急速に増やすことが欠かせない」と述べています(ミルトン・フリードマン(1998)「通貨供給大幅に増やせ ノーベル経済学賞・フリードマン氏が日本経済に処方箋」(読売新聞,1998年9月11日)。
*9:西山千明(2002)「文庫版への訳者はしがき」M&R・フリードマン『選択の自由』日経ビジネス人文庫,2002年,10、13頁.
*10:詳しくは拙著をご覧いただければ幸いです。
*12:総務省|行政評価|許認可等の統一的把握結果 (soumu.go.jp)
*13:例えば、ヘリテージ財団の経済自由度指数は、経済自由度を客観的指標に基づき評価したものですが、日本のスコアは小泉政権前の2000年には70.3、小泉政権が退陣した2006年には73.3と僅かに上昇したものの現在は67.5に下がっています(Index of Economic Freedom | The Heritage Foundation)。これは程度の差こそあれ他の指標で見た場合も同じです。
*14:「郵政民営化法見直し」自民党議連が素案修正へ 今国会は見送り:朝日新聞デジタル (asahi.com)
*15:なお、小泉進次郎氏に関しては、防衛増税など岸田政権の決めた増税策を一つも撤回せず、実施するとしているので全く評価していません。