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文学フリマに関する漠然とした感想

 五月の文学フリマ東京42に出店することを決めたはいいものの、実のところ文学フリマが自分に向いているイベントだとは思っていない。

 むしろ、前回(といっても二年か三年か前の話だが)初めて出店し、また今回参加するにあたりあらためて情報収集をして感じたのは、文学フリマは自分には関係のない場所であるということであった。

 私はプロアマの作品問わず現代の文学にほとんど興味がない。好んで読むのは大正・昭和の作品である。「エッセイ」でなく「随筆」が好きである。あくまで私にとってだが、文学は懐が深くどこかしら調子の高いものであってほしい。豊穣でしみじみと噛み締められるものであってほしい。今の時代では古めかしいとされるぐらいの文学が私の好きな文学である。そんな埃っぽい文学への欲求を、現代の、比較的若い世代の書き手が集う文学フリマで満たすことができないのは当然である。若干残念に思わないではないが、当然ではある。

 会場に並んでいる作品のほとんどが私の求めるものに無関係なので、その会場に集う人々も私にとっては無関係であり、したがって文学フリマがいかに熱意のある人で溢れ、盛り上がろうとも、私には関係ない。しかし盛り上がらないよりは盛り上がった方がいいに決まっている。私と関係のない所で、私と関係のない人々が、それぞれの文学を盛り上げていくのであろう。それでいいのである。

 さて、そこまで自分に向いていないとわかっていながらなぜ出店するのかということであるが、私のような人間が出てはいけないという法はなし、私としても暇を持て余していたし、本を出すのに他に適した場も思いつかないので、イベント開催中の数時間みっちり読書するつもりで申し込んだ次第である。




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