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労働の思想史 を読んだ

労働に時間を費やしている割には労働について考えたことがないなあと思い、読んでみることにした。

読む前はなんとなくマネジメントの世紀みたいな感じなのかと想像していたけど、読んでみると割とがっつり西洋哲学史の本だったような気がした。

本自体については以下のような記事を読めばなんとなく雰囲気を掴めると思う。

ので、自分が思ったことをここでは書き留めておきたい。

読み終わってから、自分はこの本に労働に対する最新テンプレ思想みたいなものを期待してたんだな、と気づいた。 けど、そういう内容ではなかった。 思想史ということで過去に関する話題が中心で、現在や未来に関する話題は中心ではないので、それはそうだと思う。

なぜ期待していたのかと考えてみると、おそらく根本的には、何か大きな物語に参加することで安心感を得たいという欲求があるように感じた。 大きな物語に参加できれば、大きな物語の物の見方で労働を整理できるので、こういう労働が正しいのだと安心することができる。

しかし自分なりにかんたんに調べてみたところ、これはどうやらポストモダニズム思想と呼ばれているもののようだった(そもそも、何も知らずに「大きな物語」とか書いてたけど、それ自体がポストモダン由来の用語のようだった。ちなみに、労働の思想史にはポストモダンは登場しない)。

けど、大きな物語から小さな物語に移行すると言われても、そうだねという感じで特に救いを感じなかった。

そういえば、以前読んだ「人はなぜ物語を求めるのか」に何かそれらしいことが書いてあったような気がしたので改めてページをめくってみると「なんのために生きているのか? と問うとき」というそのものズバリな章があった。 とはいえここでも、

「なぜ私が?」と問うストーリー形式から、「人生が私に何を期待しているか?」と問うストーリー形式へと〈転換する〉 (中略) なお、すべての人はフランクルが提案するように生きるべきである、とは僕は思いません。

ということで、提案はありつつも答えはない、という感じではあった。

他にも色々と調べたり考えたりした結果、どうやらこの悩み社会的に未解決ということが分かってきて、自分が片手間に考えるにはどうにも厳しそうな雰囲気しか感じなくなってきた。

結局、(自分個人もそうだし、自分個人を超えても)未来がどうなるか分からないのだから、マインドフルネス的な「今を生きる」態度だったり、内発的動機づけを重視するような態度が、一旦の自分の労働や人生に対する姿勢ということにしておこうか、という気持ちになってきた。

仮に何か意味があるとしたら、きっとそのときに意味を与えられるでしょう。


とりあえず放置気味になっているエルデンリングを再開して、きっと大きな物語であるところの黄金律を修復せねば。




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