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哲学は誤解されていると思う

哲学は誤解されている

哲学というのはたいそう世間から誤解されている。その誤解を解くのは酷くめんどくさいので、よほどのことがない限り哲学をしているなんて私は口にしない。ただでさえ趣味で学問をしている人というのは変な目で見られるが、哲学はその中でも格別である。かつて哲学に関する本を買っているのを母親に目撃された際、母親は私に「どうしたの?なにか気に病んでることがあったら相談してね」と言ってきたのである。世間は多分ここまで極端ではないが、本屋などでは「哲学/人生論」なんて並びをしていたり、哲学の本と人生論エッセイといった類の本が同じ棚に混在しているのを見るに、やはりそのようなものと大差がないと思われているように見受けられる。

 

 

根拠はありません

別に私は哲学者ではないので、哲学の詳しい定義なんぞ知らないが、少なくとも人生論などを哲学と一緒にするのは私にとって酷く違和感がある。しかし混在される所以もなんとなくは察しがつく。根拠はないがそれはたぶん倫理学のせいである。倫理学とはとても雑にざっくり一言でまとめるなら「どう生きるのが善いか」を考える学問である。だが「善い」なんて表記は世間的には馴染みがない上に「好い」とか「良い」と発音が同じであるために、問は「どう生きるのが(自分にとって)好ましいか」や「どう生きるのが(自分にとって)心地よいのか」などの酷く人生論的なものに変換されてしまったのではないか、と私は勝手に予想している。

 

 

哲学に生き方は関係ない

とはいえ、倫理学は哲学のほんの一部に過ぎない。哲学の哲学たるところはもっと別にある。哲学というのは、こちらもざっくり雑に一言でまとめるなら「人生の根本原理とは何か」を問う学問である。倫理学の考える領域が「どう生きるのが善いか」であるのに対して、哲学は「そもそも生きているとはどういう事か」を考えているのである。だから哲学は最初から個々の生き方になんぞ興味もないし関係もないのである。関係がない故にどんな生き方でもどうでもいいと言っているのだ。

 

 

哲学と宗教は似ている

哲学は宗教とも異なるが、こちらは本質的に似ている部分がある。宗教が神に祈りを捧げるものであるとするなら、哲学も実は同じである。ただ哲学は「ひたすらに問う」という形でのみ神に祈りを捧げるのである。祈りを捧げることによって救われたいと思うことは同じでも、問う以外の形での祈りを哲学は絶対に認めないのだ。

 

 

哲学をしても救われない

人生に病んでいる人が哲学を始めても、それはなんの救いにもならない。哲学は人生成立「以前」を問う学問であるのだから、人生成立「以後」にある人生論なんて少しも教えてはくれないのである。哲学好きな人はただ人より問うのが好きなだけなのだ。人より人生とか自己の成り立ちに興味があるだけなのだ。ね?ちっとも変じゃないでしょ!?!?だからどうか変な目で見るのを続けてください。どう考えてもやっぱり変ですね…。

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