The Survivors(a.k.a. Space Prison)(1958)Tom Godwin
トム・ゴドウィンといえば、何といっても短編「冷たい方程式」(1954)が有名です。
これは次のような物語でした。
ひとり分の燃料しか積んでいない小艇に、密航者が紛れ込んでいました。それは美少女で、兄に会いたいがために密航したのです。彼女を船外遺棄しなければ、ふたりとも助かりません。さあ、どうする?
この短編は、現在に至るまで数多くのアンソロジーに収録されているのみならず、同じようなシチュエーションで異なる解決を持った数々の模倣作品を生み出しました。
SF好きなら、ふたりとも助かる方法を一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
ゴドウィンには、もうひとつ名作といわれる作品があります。それが『宇宙の漂流者』(写真)です。
翻訳は、最初に岩崎書店の「SF少年文庫」(1970〜1973)から発行され、一九八六年には「SFロマン文庫」に入りました。このふたつは、ラインナップもカバーイラストも同じものなので、事実上の復刻といえます。
さらに、二〇〇五年には『宇宙のサバイバル戦争』と邦題を変え、「SF名作コレクション」に収録されます。
児童向けの叢書ということもあって、上記はいずれも入手しづらく、コンデイションのよいものが少ないのが難点です。
さて、『宇宙の漂流者』は、「Too Soon to Die」という短編を長編化したものです。
また、続編の『The Space Barbarians』が一九六四年に出版されましたが、邦訳はありません。
ジャンルはサバイバルSFで、このブログで取り上げた小説でいうと、レックス・ゴードンの『宇宙人フライデー』や、ジョン・W・キャンベルの『月は地獄だ!』と同じ系統です。
しかし、『宇宙の漂流者』は、それらとは比べものにならないくらいぶっ飛んでいます。
僕は大人になってから読みましたが、少年時代にこれと出合っていたら、その後に触れる古典SFの名作が色褪せてみえたかも知れません。
何しろ、物語が始まるや否や、とんでもない事態が連続して起こります。それは設定やストーリーのみならず、登場人物の言動や小説の構造にまで及ぶため、初めて読んだ人は、恐らく序盤で一度フリーズするでしょう。
ま、その話は後にして、まずはあらすじから……。
八千人の移民を乗せたコンステレーション号は、目的の星アシーナに着く前に、対立しているゲルン星人にみつかってしまいます。奴らは、人間を適格者と不適格者に分け、適格者にはアシーナで工場建設の使役に出し、不適格者はラグナロクという過酷な惑星に捨ててしまいます。
不適格者四千人は、人が住むのに適さないとして放置された地獄の惑星で、サバイバル生活を始めます。
ラグナロクは、重力が一・五Gあり、夏の暑さと冬の寒さは人間には耐えられないほど過酷です。食料は乏しく、罹ると一時間で死亡する地獄熱も流行しています。さらに、虎と狼の合いの子のようなオオカミドラ、一角獣、ヌマヘビなど危険な生きものも棲息しています。
実際、人間は、初日だけで二百人亡くなりました(一晩で千人死んだこともある)。
吃驚するのは、物語が始まったときの視点人物であるアイリーンが、あっさり死んでしまうことです。それも心理描写などなく、彼女の父親であるジョン・プレンティスが死んでる女を発見して「娘か」みたいな感じで処理してしまいます。
というのも、この小説は余りに人が死にまくるので、主人公の死といえども、読者は感傷に浸っている暇がないのです。
実際、序盤の主役で、不適格者たちのリーダーであるプレンティスも、呆気なく命を落とします。
また、普通の冒険小説は、仲間の命を大切にし、ひとりを救うために大勢が協力したりしますが、『宇宙の漂流者』に、そんな甘さはありません。
一角獣(巨大な猪に角が生えた感じ)に追いかけられた男が、仲間が暮らす居住地の方へ逃げようとした途端、プレンティスは躊躇わず、彼を銃で撃ち殺します。このまま走ったら、一角獣に住処がバレてしまうからです。
さらに、食糧をこっそり隠し持っていた仲間を、みせしめのために絞首刑に処したりもします。
感覚としては、大量に卵を産み、何匹か生き残ればよい魚のようです。
要するに、個を完全に捨てた、種族としてのサバイバルが繰り広げられるわけです。その点では『ロビンソン・クルーソー』とは真逆なのです。
さて、物語は視点人物を次々に変えながら、世代を越えて進んでゆきます。
相変わらず、救いのない事態が続き、苦労して出産したのに母子ともに亡くなったり、赤子のほとんどは死産か奇形児だったり、金属鉱物が全くみつからなかったり、地軸が急激に傾き氷期がやってきそうだったりといった困難に人々は立ち向かうのです。
しかし、生き残るだけで精一杯だった状況から、未来を見据えるようにもなります。
未来といっても十年や二十年ではありません。原始的な生活から、宇宙船を作り出し、アシーナへ飛び、ゲルン星人をやっつけるまで、彼らは一万二千年という長い歳月を覚悟するのです。
第二部以降では、第一世代が全員死に、アイリーンの息子(プレンティスの孫)のビルがリーダーとなり、徐々にラグナロクに適応してゆきます。
一万二千年はさすがに待てないため、通信機を作り、ゲルン星人にメッセージを送っておびき寄せようとしますが、それでも二百年はかかる計算です。そのため彼らは、生きるのに必要のない知識や技術、例えばゲルン星人の特性や武器の使い方を次世代に伝えてゆかなくてはいけません。
やがて、ゲルン星人を知る世代は全員いなくなりますが、復讐の意思だけは綿々と受け継がれてゆきます。
さて、ラグナロクにきて二百年が経つと、超空間送信機が完成し、ゲルン星人を百日で呼び寄せることができるようになります。
五十人以下に減っていた人口は六千人にまで回復しましたし、オオカミドラや一角獣、モノマネリスらをある程度飼いならすこともできるようになっています。武器は、弓とナイフという原始的なものしかありませんが、重力を味方につけ、何とか戦うことができるくらいにまではなっています。
そして、いよいよ決戦のときがやってくるのです。
『宇宙の漂流者』は、大人が読んでも凄まじい内容ですが、日本ではこれが児童書として出版されたことに驚かされます。
子ども向けなので、挿絵がふんだんに掲載されており、なかには首吊りのイラストまであります。恐ろしくて、トラウマになった子もいたのではないでしょうか。
ネタバレになるので結末は伏せ字にしますけれど、単純なハッピーエンドでないことは確かです。
ラグナロクの者たちは、ゲルン星人を倒すことだけを考えて生き延びてきました。「戦いに勝利し、地球やアシーナも併せて救ったものの、過酷な環境が彼らを一種のミュータントにしてしまい、最早、地球人と共存することはできなくなっていました(ウルトラマンでいうとジャミラ)。かといって、ラグナロクに戻る意味もありません。ゲルン星人に対する復讐心が生きる糧だった彼らは、平和に慣れていないのです。そこで、新たな冒険を求め、広い宇宙に旅立つことにします」
とはいえ、こうした物語や結末は、バトル系の少年漫画とよく似ていることに気づきます。
最初は弱かった主人公が、知恵と努力と経験を積み、次第に強敵を倒せるようになってゆく。そして、最後の戦いが終わると……。
『宇宙の漂流者』は、こうした生き方を過激に描き、ラストシーンの後のモヤモヤした余韻を目にみえる形で表現しているといえるかも知れません。
古い児童書といって侮ることなく、一度は読んでもらいたい作品です。
『宇宙の漂流者』SF少年文庫、中上守訳、岩崎書店、一九七三