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『呪のデュマ倶楽部(ナインスゲート)』アルトゥーロ・ペレス=レベルテ

El club Dumas or La sombra de Richelieu(1993)Arturo Pérez-Reverte

 アルトゥーロ・ペレス=レベルテの『呪のデュマ倶楽部』(写真)は、一九九六年に日本で単行本が刊行されました。その後、ロマン・ポランスキー監督の『ナインスゲート』(1999)の公開に合わせ、タイトルを変え文庫化されています。
 映画の原題が『The Ninth Gate』なのは、原作のうち、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)に関する部分が丸々カットされたためです。
 なぜ、そんなことをしたかというと、上映時間の問題もありそうですが、実は『呪のデュマ倶楽部』の特殊な構造にこそ原因があります。それについては、ネタバレになりかねないので、後ほど反転文字で記載します。

 さて、この小説はビブリオフィリア(愛書家、蔵書家)を扱っているのですが、いわゆるコレクターといわれる人種は、大きく三段階に分かれると僕は考えています。
 第一段階は、欲しいもの、手に入りやすいものを無理のない範囲で集める人。
 第二段階は、かなりの時間と金を注ぎ込み、ある程度、体系的に蒐集をする人。僕は、書籍のほかにスポーツカードも集めているのですが、どちらも第一段階と第二段階の中間くらいではないかと思います。
 第三段階は、正にマニアの呼称が相応しい人。書籍の場合はビブリオフィリアと呼ばれ、滅多に手に入らない稀少な本を求めて彷徨う亡霊のようです。
『呪のデュマ倶楽部』には、それに加え、ビブリオマニア(愛書狂)が登場します。ここまでゆくと、偏執病といえるかも知れません。

 主人公のルーカス・コルソは蒐集家ではなく、愛書家のために稀覯本を探す「本の狩人」です。
 友人の書籍販売者から、大デュマの手稿を預かり、真贋を確かめて欲しいといわれます。同時に、トレドの愛書家であるバロ・ボルハから、十七世紀に印刷された悪魔を呼び出す書籍『影の王国への九つの扉』に関する依頼を受けます。『九つの扉』は一部しか残っていないはずなのに、全部で三冊存在するというのです。
 コルソは、ふたつの謎を解くため、稀覯本を巡る冒険に出ます。

『呪のデュマ倶楽部』の特異な構造のひとつとして、ほとんど登場しない文芸評論家のボリス・バルカンが語り手であることがあげられます。
 彼は、大デュマについて詳しい話を聞きたかったコルソが尋ねた人物です。事件がすべてが終わった後、コルソから聞いた話を、バルカンがまとめたという体裁になっています(最終章のみ三人称。それにも理由がある)。

 大デュマの手稿、また『九つの扉』を巡っては、蒐集家、販売者、書籍修復のプロ、文学の専門家などがからんでくるため、彼らによる蘊蓄に耳を傾けるだけで十分楽しい。
 稀覯本の入手法、贋作、修復の話なども興味深いですし、大デュマや彼の作品にまつわる話もたっぷり聞かせてもらえます。
 何より、三冊の本に載っている九枚の版画のうち八枚までが、ほかの本のものと微妙に違う(一枚目はAAB、二枚目はABAのように、本物らしき版画が三冊に散らばっている)という謎にはワクワクさせられます。

 大デュマの手稿と悪魔の書は、全く関係がないと思われていたものの、ダルタニャンのモデルとなる人物が将軍に昇進した年と、『九つの扉』を作った印刷屋アリスティデ・トルキアが異端審問にかけられ、火炙りにされた年が同じであることから、コルソの想像力はぐんと羽ばたきます。
 この小説の原題を直訳すると「デュマ倶楽部またはリシュリューの影」となるので、『三銃士』において悪役とされた枢機卿(1583-1642)の存在は、謎解きに欠かせないとコルソは考えるのです。
 現実的な性格だった大デュマに対して、リシュリューは神秘学に通じていたといわれ、時代的にも『九つの扉』に近い(『九つの扉』は、悪魔が書いたとされる書『デロメラニコン』から九枚の版画を複製して掲載している)ため、このふたつの関連に読者も引きずられます。

 魅力的な謎に対して、登場人物はパッとしません。
 コルソは探偵ではないので仕方ないけれど、手際が悪くモタモタしています。その上、簡単な防御策も取らないため、関係者があっさり殺されたり、貴重な『九つの扉』を奪われたりします。
 一応、キャラクターは「ダルタニャン物語」に対応(コルソはダルタニャン、黒幕がリシュリュー、謎の男がロシュフォール伯爵、リアナ・タイリェフェルがミレディーなど)していますが、これは「みえみえのミスリード」ですね。
 さらに不思議なのは、愛書家ばかりが登場するのにもかかわらず、稀覯本の扱いがぞんざいなこと。コルソはコレクターではないので、煙草を吸ったり、乱暴にページを捲ったりするのはまあよいとして、本の持ち主が全く注意をしないのは、どう考えてもおかしい。

 それはさておき、この小説には「叙述トリック」が仕掛けられています。
 そのため、迂闊なことは書けないのですが、シリーズものでもないのに、コルソの過去の女性ニコンとの回想シーンがやたらと多かったり、謎の若い女性イレーネ・アードラーとのベッドシーンが詳細に描写されたりする点は、一応伏線だったことに気づかされます(かなり微妙なやり口だが……)。

 さらに、ペレス=レベルテはもうひとつ、反則ギリギリの技を用意しています。
 先述したとおり、映画には大デュマが登場しませんが、その理由の最たるものは、何と「大デュマと『九つの扉』は無関係で、コルソが勝手に『織り合わせて』いたから」なのです。
 このトリックに関しては周到な伏線が張られており、それはズバリ「イレーネの存在」そのものです。
 なかなか面白い試みだと思います。一方で、「ふたつの事件は、関連する人物も異なるので」映画化の際、大デュマのパートを削除するのは、ある意味、自然なのです(映画では「大デュマ側の人物を『九つの扉』側に採用している」)。

 さて、物語の最後で、いよいよ『九つの扉』の秘密が解明されます。
 神秘学が好きな人にとっては、もの足りないかも知れませんが、ミステリーとしては論理的、かつ皮肉なオチが用意されており、十分満足できました(※)。

 映画の影響もあって、『呪のデュマ倶楽部』をオカルトと勘違いしている人もいるでしょう。しかし、実際は、斬新なアイディアがふんだんに使われている推理小説なのです。
 欲張りすぎて、ひとつひとつの印象が薄れるほどの大サービス、かつ、それらは映像では上手く表現できないものばかりです。
 果たして、ポランスキーは、泣く泣く奇抜な仕掛けを切ったのか、それとも最初からオカルトにしか目が入らなかったのか。どちらだったのでしょうね。

※:小説では九枚目の版画のみ、三冊とも同じ偽物。これによって、ある人物の子どもっぽい気まぐれが悲劇を呼ぶという皮肉が効いている。一方、九枚目に悪魔の署名がないのに、黒幕がなぜ儀式を行なってしまったのかというと「666」「6+6+6=18」「1+8=9」、つまり、八枚の本物+一枚と解釈した。映画は、それだと理解されにくいと判断したのか、一冊につき三枚ずつ異なる版画が含まれていることにした(九枚目は、ほかの二枚と違うが、やはり偽物)。それによって、儀式は失敗し、本物の版画を手に入れたコルソが扉を開くことになる。

『ナインスゲート』大熊榮訳、集英社文庫、二〇〇〇




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