こんにちは、しーどらです。
前回の続きです。
2日目の朝は前日とうってかわって良い天気でした。夜半に降った雨が空を掃除してくれたのか、清々しい。
ホテルを早々にチェックアウトしてまず向かったのが、偕楽園です。
偕楽園は江戸時代、水戸藩九代藩主・徳川斉昭(なりあき)によって造園された、日本三大庭園のひとつです。
水戸と言ったら偕楽園、偕楽園と言ったら「梅の花」です。
実際庭園の中は斉昭公が好まれたという梅の木でいっぱいでした。
梅の花どころか葉っぱもしわしわで枯れかけているこの季節は、訪れるには残念な頃かもしれません。
ただ、人混みが嫌いで、苦手な私には申し分ないのでした。
朝一番ということもあって訪れる観光客はまばら…。今時どこに行ってもいらっしゃるw外国人には遭遇することもありませんでした。

全て梅の木々、満開でしたらさぞや良い香りがすることでしょう!
庭園の中では梅の木々の他には竹林や湧水を見ることができますが、お勧めは斉昭公別邸の好文亭です(好文も梅の花の異名とのことで、どこまでも梅づくしです)
斉昭公が奥方や家来、お女中達を連れてお城から下り、お茶を点ててゆったりとした時間を過ごされたのでしょう。市井の人々を呼んで詩歌の会を催したこともあったとか。
残念ながら、空襲で全焼してしまい、現在の建物は昭和30年代に復元されたものです。
復元された当時の日本画家が描いた襖絵が素晴らしく次々と現れる部屋を覗いては、訪れている他の人達と一緒に「わぁー素敵ですね✨」と声を発してしまいました。


建物の中でも一番景色の良いところにカフェがありましたので、オープンと同時に入って、お抹茶を頂きました。

お菓子も梅の形です
カフェからは庭園を見下ろすことができ、遠くには千波湖。
脳内VRでこんな感じで梅の花は満開だったんだろうと思えば、何やら香りまで漂ってくるような錯角におちいります。

カフェからの眺め、充分素敵なお庭でありますが…

本当にはこんな梅の風景が見たかった?(画像はACより)
ついこの間までの暑さはどこかへ行ってしまい、開け放たれた障子窓から入ってくる風は少し肌寒いのでした。
風景とお茶のお相伴に預かった後は、弘道館へ向かいます。
斉昭公は偕楽園という一種の保養施設を作った一方で弘道館という教育施設も作りました。藩校の一つで全国でも一二を争う広さだということです。
学校概要のようなものを見ると
儒学を始めとして
歴史、医学、天文学、数学、剣術、兵学、礼儀作法、音楽(雅楽)…など多様な科目を学ぶ施設で、今でいう大学に相当するとのことでした。入学試験もあったそうです。
1841年に開校したものの、明治維新後すぐに学校制度が変わったので、実質30年程の学舎だったのでしょう。
(剣道の)御前試合が行われたであろう広場や孔子廟もありました。
ここで「水戸学」が完成されていく訳ですが、その根っ子はズバリ尊王攘夷の思想です。
弘道館で学んだ人が優秀であればあったほどその思想にどっぷりと浸かっていたであろうことは容易に想像できます。
開国派だった井伊直弼を暗殺するに至った桜田門外の変へと繋がっていったんだなぁ。。と思うと何とも言えない気持ちになりました。最後の将軍徳川慶喜が弘道館で学んだことが無血開城に至った理由のひとつかもしれませんね。
ちょうど市民大学のような講座が開かれていて、論語の授業が聞こえてきました。「君子豹変す」の内容にふんふんと頷きながら建物から外に出ました。

好文亭は空襲で全て焼けてしまったとのことでしたが、弘道館は近所の方々の必死の消火作業で、焼け残ったと、スタッフから伺いました。
さて、弘道館を後に佐原に向かうのですが途中大洗磯前神社に立ち寄りました。

階段を上った先にある本宮ももちろん立派ですが、階段下、道路を渡った場所から海の中に見える鳥居と外房の荒々しい波の音が素晴らしく、何があるわけでもないのですがしばらく見ていました。

太平洋の波しぶき🌊
夫「あ、海の先に陸地が見える!アメリカかもw!」
私「ほんとだーすごいね😁」
Google先生に調べて頂くと、銚子の岬が見えているようでしたw
大洗からひたすら南下して佐原に到着~
まずは腹ごしらえです。佐原は鰻が有名です。
夫は名物の鰻を

残念ながら鰻が苦手な私は天重を

お昼の時間が終わりそうな時間に駆け込みましたが、お店の方の接客、味も良く満足しました。
伊能忠敬博物館~

博物館をバックに前方は民家です
今回の小旅行の最初の目的地であった伊能忠敬博物館を訪れました。展示物の写真撮影はほとんど叶いませんでした。観測機器、地図などの展示と短いアニメーション映画の鑑賞など、小さいながらも楽しめる博物館でした。
忠敬が作った地図をガラス越しに眺めました。よく通る国道246号線(通称にーよんろく)は江戸時代の大山街道ですので、今なお残っている地名を地図のあちこち見つけて嬉しくなりました。
父の生まれた宮崎県の片田舎、祖母の家のあった街の名前もしっかり見ることができましたが、東京オリンピック以降に開けた我が家の近辺はかすりもせず、残念でした(武蔵の國の原野だったということですか。。。)
伊能忠敬は入婿さんですが、伊能家の収入をそれまでの4倍ほどにして50歳で隠居。それから江戸に出て独学で学んでいた天文学を師(高橋至時)について正式に学び、その延長上で天文学をいかした日本地図を完成させていきます。
地図を作るための旅は多い時で20名余の隊員を連れて55歳から71歳まで、10回にも及んでいます。
測量の指南書にはイラストもあって、伊能忠敬が商人出身のなせるわざなのか、とっつき易い教科書だわ!と思いました。

撮影が許可された資料をパチリ
博物館の見学を終えて、佐原の街をそぞろ歩きました。

古い町並みと雰囲気が以前訪れた近江八幡と少し似ていました。
伊能忠敬の家も保存されており、庭に水路のある、立派なお屋敷でした。
初めて訪れた佐原でしたが、どこか懐かしいような街でありながら成田に近いこともあって、外国人観光客が多く訪れる場所になっていました。町家をいかした宿泊施設など、今後はインバウンド事業にも力を入れていくのかもしれません。
おまけ
茨城では「日本一野菜を作っている町」と書かれた看板を見かけました。
その名の通り、道の駅では農作物があふれ、我が家もたくさんお土産を購入しました。
・メロン・柿・栗(笠間の栗、茹でて食べたら美味しかった♪)・さつまいも・忘れちゃいけない水戸納豆

藁に包まれた納豆!しっかりとした大豆の味わいが美味しかった。包んでいた藁の量が半端なく、わらじの片足分作れそうでした(出るごみが多めかも😆)
昨夜から30年ぶりくらいに読み始めました。全5冊しばらくかかりそうです…

今日は長いブログにおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)