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初めてドイツ語を教えた頃のこと

20年ぶりに駅前を通って思い出す

奈良方面へサイクリングに出かける途中、京阪電車沿いに守口市と門真市を通過しました。両市にまたがってパナソニックの旧本社(最近移転した?)があります。京阪電車の車窓から見える松下記念館と背後に広がる広大な敷地。地上から見るのは久しぶりでした。かつて、ちょうど20年ほど前の夏休みに1ヶ月間ここに通っていたことを思い出しました。私はまだ大学院生の頃、ドイツへ駐在する社員さんにドイツ語を教える仕事をしていました

東京の会社でのアルバイトと同様、この仕事も忘れられない体験だったのでちょっと振り返ってみます。

 

語学講師派遣会社でバイトを始める

私は大学院修士課程に4年間在籍(通常は2年)していたのですが、修士4年目の秋頃に先輩の紹介で、語学講師派遣会社でアルバイトをすることになりました

最初に教えたのは京都の進学校の3年生(Kくん)で、ドイツ語で医学部受験を目指していました。9月頃から私が週一回教えるようになり、センター試験対策の授業をしました。私も修士論文の追い込み時期でかなり忙しかったのですが、直前期は週2回くらい集中的に授業をしていました。

いくら京都の名門校生といってもやはり独学ベースでセンター試験や二次試験のドイツ語で高得点を取るのは難しく、けっきょくKくんは国立大学医学部には入れませんでした。

 

博士課程1年、大手電機メーカー本社に通う

年度がかわり、私は博士課程に進学しました。講師派遣会社からの連絡はしばらくなかったのですが、夏休みごろに松下電器の本社でドイツ語を教える仕事があるけど、どうでしょうと誘われました。9月の1ヶ月間で、一日4時間くらい、月から金まで全部ではなく、二人で分担して進めるという条件だったので二つ返事で引き受けました。

この仕事はなぜか教材も指定されており、ゲーテ・インスティトゥートで使われている『Themen neu』という有名な本を使うことになりました

私も学部生の頃の語学研修で使ったことがありましたが、この種の本は現地の学校だから使えるのであって、日本人が日本で教えるのには不向きじゃないかとなんとなく思っていました。文法を踏まえて文を作るのではなく、さまざまな場面を想定して単語と文法、定番の表現を学んでいくという、つまり現在のアクティブラーニング型の教材だったわけです

マンツーマンのレッスンでどうやってこの本を使えばいいか検討がつかなかったので、この教科書の使い方を必死で探したところ、京大図書館にこの教科書を使った授業実践をまとめた論文が見つかりました。論文というより半ば教員向けマニュアルのような資料だったのでさっそく全コピーして、これをもとに毎日の教案を作りました。

たしかKくんを教えていたときは、毎回問題集(または入試の過去問)の指定した範囲を解いて来てもらって、教室で解答解説をするという形式でした。だから、このときの授業で初めて「教案」というものを作りました

 

通勤で疲弊する

夏休み後半に入り、レッスンが始まりました。私は出町柳まで自転車で行き、最初は特急で中書島まで、その後準急で萱島まで行き、さらに各駅停車に乗り換えて本社最寄りの西三荘駅へ行っていました。大阪の中心部に行くわけでもないのに2回も乗り換えなければならないし、電車だけでも一時間以上かかりました。そして西三荘駅を降りると大量の社員さんたちといっしょに本社の敷地に進みます。ちょうど9時ごろになると毎日社歌が流れるのを聞いていました。各部署ごとに朝礼が開かれ、社歌を歌い、ラジオ体操をしているのも見えます。2000年代にはもはやノスタルジーの対象にもなりそうなくらい絵に描いたような日本企業の光景でした。私は、故郷にあった巨大な日立の工場を思い出しました。

朝の出勤は徒歩で10分以上かけて京阪国道の先にある管理棟(のような建物)まで移動していましたが、帰りは社内循環バスで守口市駅まで届けてもらえました。しかし京都につく頃には疲れ切っていて、夕方まで京大の研究室で翌日の準備をするとほとんど体力が残りませんでした。

 

社員さんはとっても優秀

本社の小会議室のようなスペースで毎回授業をしました。私が教えていた社員さんは理系の方でたしか慶応の理工を出ていたと言っていました。とても頭が切れるし、記憶力も良く、水を吸収するように知識を増やしていました。こちらの教えたことについて、すぐに前に説明した知識との類似性を見出したり、関係性を指摘したり、新たに出てくる文法事項を予測したりと、まさに語学ができるようになる人の思考方法を見に付けているような人でした。

一ヶ月で教科書をどれくらい進めたかは覚えていませんが、初級文法の中心的なところはかなりカバーできるほどにはなったと思います。

一回のレッスンは4時間くらいあったので、ときどき休憩をしました。私も当時は喫煙者だったので、喫煙室で会社の話や研究の話をして楽しく盛り上がったことをよく覚えています。

若き日の島耕作が中沢部長(理知的でリーダーシップがあるかっこいい上司)に心酔したように、私もこの社員さんを教えていて、むしろ私がこの人の部下として働きたいなあと思ったものでした

このときの社員さんはハンブルクの支社に駐在すると話していましたが、きっとドイツ語は現地でさらに良くできるようになっただろうし、今頃はかなり出世されていることと思います。

 

その後の会社での語学研修

理系社員さんのレッスンは一ヶ月で終わりました。それから、翌年か二年後だったか、もう一人駐在員になる社員さんを教えたことがありました。今度は文系でたしかマーケティング方面の方でしたが、この方はそれほど熱意がなさそうで、たぶんあまりドイツ語に興味はなさそうな雰囲気でした。期間が短縮されて二週間しか語学研修の時間がなかったので、あまり熱心に取り組めないのも仕方がなかったのだと思います。

その後駐在員向けの講座を担当することはなかったのですが、駐在員の妻となる方々への超短期間レッスンというのも一度経験したことがありました

白水社の『エクスプレスドイツ語』を使って三日間でレッスンするというものでしたが、あまりにもスケジュールに無理があり、ごく簡単に発音や挨拶、そして雑誌や広告を使って現地生活をイメージしてもらうことくらいしかできませんでした。

私は会社勤めの経験はありませんが、急に何も知らないところに行って仕事をしなければならないとなったら、やはり何も言葉がわからないと最初の数日で精神的に参ってしまうかもしれません。私としては語学を教えるというより、最初の数日が乗り切れるような最低限の心構えというか、準備として役に立つことを教えられれば、と思って取り組んでいました。

最小限のことを伝えたい、というその後つくった教科書『ミニマム・ドイツ語』シリーズのコンセプトはこのころすでに芽生え始めていたのです(嘘)。

 

大学院を出る頃になると、講師派遣会社からドイツ語の仕事を依頼されることはほぼ無くなりました。社員さんへの集中授業というのは、ドイツ語教員としてほぼ初心者だった私にとっても、教授法の集中講座になっていました。いい勉強をさせてくださった社員さんには本当に感謝しています。




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