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手紙を書くとき、世界の中心は相手になる

手紙を書いてほしいと頼まれた。

諦めたり、挫けたりしそうになったとき、励ましてくれる手紙がほしいという。

メッセージを書く色紙を選びながら、自分に誰かを励ます手紙を書けるだろうかと問いかけた。

何かを知ったふうに語るのは好きじゃない。何かを知ったと思うとき、たいてい何も知ってはいない。自分の経験と知識という限られた知見から導き出した「正解」なんて枯れ葉程度の信頼しかない。枯れ葉程度の信頼しかない言葉が、相手をどうして励ますことができるだろうか。

 

レジに並びながら、手紙を書く機会のめっきり減ったこのご時世、改めて書くとはどういう営みなのかを考えた。

SNSと違って手紙はやり直しがきかない。一発勝負。字の大きさ行間で印象ががらりと変わる。どんなにいい文章でも、誤字脱字がひとつあるだけで駄文に堕すると何かで読んだ覚えがある。何かを築くのは難しいのに対して、壊すのはいつだって簡単だ。手紙も、人とのつながりも。

書くという行為は書き手に緊張を強いる。自然、相手の顔を思い浮かべずにいられない。どのような状況で手紙を読むだろうか、読んだ後、どのような思いになるだろうか。相手のことを思わずにいられない。

 

色紙はカバンに入れて思いついたら書けるようにしてある。

何を書くかはまだ決まっていない。相手の顔を思い浮かべるばかりだ。

手紙を書くわずかな間、自分の思いの中心には手紙を受け取る相手がいる。

 

 




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