『リッチランド』ドキュメンタリー。アメリカはワシントン州南部にあるリッチランド。人々の暮らしぶりは平和でのどかであり、典型的なアメリカの田舎である。しかし、その町の成り立ちは、先住民族の居住地を取り上げ、1943年に原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)のために核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」を設立した後に、マンハッタン計画に従事する労働者や家族が住むベッドタウンとして造られたのだった。
「原爆は戦争の終結に貢献した」と町を誇りに語る人々、原爆自体に反発を覚える人々、「川の魚は食べない」と放射能汚染を不安視している人々、汚染除去された土地の返還を求める先住民族など、様々な世代がそれぞれの思いを抱えて町に生きている。
アメリカ人ってやっぱすごっ、と引いてしまった。
だって、町の名前が「リッチランド」ですよ。
「やすらぎの郷」が老人ホームに名付けられたように、「リッチランド」というからには、核燃料施設で働くとリッチになれるという意味なのか、はたまたアメリカを世界の覇者へと導く核燃料をここで作るという気概なのか、どちらにしてもお上の高笑いが聞こえてくるようなネーミングではないですか。
けれども、作品のホームページで確認してみると、元々先住民族が多く住む土地に1900年代に他所から移り住んでくるようになり、現在の町の名前は当時の州議会議員ネルソン·リッチランドの名前に由来しているとのこと。
流石に、わざとこんな名前はつけないか。
それにしても、名付けから40年経ってその名前が大きな皮肉を持つようになるとはなんたる土地。
現在の人口は6万ほど。
第二次世界大戦後も冷戦による核燃料の需要が増したことで、さらに発展したのだった。
リッチランドが政府の命を受けて作られた当初は、住民は隔離され、土地、建物、インフラは政府が所有していた。
しかし、1957年にそれらの権利が政府から住民へと移譲され、リッチランドは使命を終え形を変えていくことになる。
1987年にハンフォード・サイトの最後の生産用原子炉が閉鎖されると、環境浄化技術の開発へと移行している。
が、まあ当然というか、まだ約2億1200万リットルの放射性廃棄物が未処理の状況で、現在のリッチランドの住民の多くは、この浄化に関わる仕事に携わっている。
リッチランドのトレードマークは「キノコ雲」。
町の街灯にぶら下がるフラッグにはデカデカと描かれているし、未来の希望でもあるリッチランド高校の校章も「キノコ雲」&イケてる男子学生が集まるフットボールチームの名前は「リッチランド・ボマーズ(爆撃手)」。
実際、ハンフォード・サイトで作られたプルトニウムを使用した原爆が長崎に投下された。
町に住む退役軍人である老人たちは、自分たちが作った原爆が落とされたことが誇りであり、今でも「戦争を始めた日本人が自分たちに何か言えた義理ではない」と言い切る。
人を変えることは難しい。しかも、その人を長年支えてきたプライドならば。
その一方で、キノコ雲の校章の下で勉強している現在の若者たちは、シンボルは変えるべきだし、原爆を作ったことは恥じいるべきことと話し合っている。
時間が経てば、皆の意識は変わるのだろうか。
けれど、例えば今の世の中にある差別問題をみても、考え方が複層になるだけで数は減ったとしても差別している人はいる。
原爆の恐ろしさを知ってもらうには、根気よく語り続けることは大事なことだ。
映画に出てくる被爆3世の日本人アーティストが、有色人種がたった一人自分だけというリッチランドの集会で語りかけたように。
P.S.—-2024年のノーベル平和賞に日本被団協が選ばれました。
被爆者の方々が続けてきた活動は、世界でも称されるものと改めて知れ渡りました。
リッチランドのお爺さん、聞こえますか〜?
