1月はなんか面白い本にめちゃくちゃ出会ったので長々と書いていたら感想書くのに時間がかかってしまった。こんなブログをがんばって書くよりもっと本を読んだりさまざまな知識の習得に時間を費やしたほうがいいのでは? と毎月我に返るけど、もうなんだか読書感想を投稿しないと歯みがきしてないよりも気持ち悪い身体になってしまっているのだ……。
小説
『雪』オルハン・パムク(宮下遼 訳)
『砕かれた四月』イスマイル・カダレ(平岡敦 訳)
『砕かれた四月』は白水社の福袋に入っていた本。白水Uブックスに入っているのに全く存在を知らない本だったのですが福袋のおかげでたまたま『雪』とセットで同時期に読めることになり、共通項があってめちゃくちゃおもしろかった。セレンディピティ。
『彼らは廃馬を撃つ』ホレス・マッコイ(常盤新平 訳)
白水社福袋の午年セットに入っていたので読んだ馬本。これまた自分では選ばない本だと思ったが、本当におもしろくてこれを機に出会えてよかったです。
母娘短編小説集(利根川真紀 編訳)
母と娘の関係を題材にした短編集というコンセプトに惹かれて読んだのですが期待通りめっちゃ好きでした……。一編を除いて著された時系列に並んでいるので、順に読んでいくと小説がモダンになっていくのも感じられておもしろかったな。最初の『自然にもとる母親』からしてがっつりフェミニズム小説という感じ。
フラナリー・オコナー『善良な田舎の人たち』は一筋縄でいかない感じがよい。散りばめられる皮肉なユーモアがツボ。『母娘短編集』という補助線がなかったらちゃんと理解できてなかったかも。娘ハルガは社会的な立ち位置や知性のレベルで母と違うと思っていて、単純で決まりきった言葉の範囲内でしか思考しない母のことをおそらくは見下してさえいたのだけれど、異性との恋愛という局面においては、自分こそ単純な目でしか他人を見極められていなかったことが露呈する。結局は「母の娘」であり、尊大さは未熟さの裏返しであるという辛辣さがあまりにも鋭利。
ヒサエ・ヤマモト『十七の音節』はジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』で知った、日本から事情持ちで写真だけの結婚をして渡米した「写真花嫁」のうちの一人の物語。ロージーの母が見つけた自己表現の手段である俳句が、夫の嫉妬心によって妨害されるのがわたしは読んでいて涙が出るくらい悔しかったのだが、自分みたいになるな、という母親の願いが心からの祈りでもあり、それでもまだ恋愛にあこがれる段階の娘にとっては呪いのようにも思える、娘に幸福になってほしいという想いは決して嘘ではないのに、この表裏一体さがとてつもなく母娘関係の本質という感じがして苦しかった。
エリザベス・スペンサー『暮れがた』・・・最後まで読んでわたしの大好きな“お屋敷もの”だったのか…と悟る。デュ・モーリア『レベッカ』では燃え落ち、シャーリイ・ジャクスン『丘の屋敷』では主人公を取りこんでしまった“お屋敷”は父権制のもとで成長した娘が内面に住まわせている“大いなる母”の象徴なんですよね。概念上の「娘」のみなさんは自分の内側にイマジナリー母がいるのはあるあるだと思いますので……
『雪の練習生』多和田葉子
親子三代のシロクマの話で、かれらは自ら自伝を書いたりサーカスで曲芸をしたり動物園で芸をしたりするのだが、まったくこの小説自体が曲芸のような叙述トリックみたいな随所に遊びを散りばめていて楽しい。わたしは多和田葉子作品は細部のちょっとしたモノローグが言葉遊びみたいなノリで我々のよく知る世界を違う角度から見せてくる感じが好きで読んでいるのですが、この本はとくに身体的な比喩が多いという気がする。『祖母の対価論』では人間と比較して相対的に少数民族でありマイノリティになってしまうシロクマの身体がつねに社会から問題視されるし、『北極を想う日』では育ての親である人間とは違っている自分の身体が自分自身のアイデンティティ問題として意識されるからかな。そう考えると、そこまでクマの身体になりきった語りが可能であることって本当に曲芸では…という気持ちになりますね。
『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダース(岸本佐知子 訳)
寓話的な独裁者の身勝手やそれらを止めることのできない側近やマスコミも含めた国民を戯画的に抽象化していて、書かれた寓話は皮肉に満ちていていくらでも見覚えのある風景をみつけられることに寒気がする。政局の交代や国境地帯の紛争が起きているのに無意味な報道を声高に叫ぶマスコミ、結局は自国の国民の幸福度のために他国の紛争に介入する大国……
自分たちが決して他人事にはなれない人類の暗部を文章だけでここまで茶化してコミカルに書けてしまえるということ、それから原文がどうなっているのか?なんて読み終えるまで全く意識させないけど冷静に考えたらどうなってるん?としか思えないグルーヴ感を作り出してる訳文が凄すぎ。総理がめちゃくちゃな論理の演説をして衆議院解散したのもあって岸本さんのツイートがバズっていましたね…。河出文庫の限定カバーが出ていたので今このタイミングで読んだ方も多かったのでは。
『絶対泣かない』山本文緒
年末年始、仕事が連休なのにメンタルが回復しないのをずるずると引きずって落ち込んで「いまはなにも読む気がしないかも…」と思いながらこの本を開いたら、一編読むごとにふっと気が軽くなって心が元気になるのが分かった。いろいろな仕事で働く女性を主人公にした、ショートショートぐらいの長さの掌編集。短いので疲れていても読めるし、ストーリーも奇をてらったところも特にないシンプルなものなのだが、それでも狭くなっている視野がふっと開ける感じを与えてくれる。逆に元気なときに読んでいたら物足りなく感じてしまったかもしれないので、今出会えてよかったと思う。
『バーナム博物館』スティーブン・ミルハウザー(柴田元幸 訳)
ミュージカル版を観て、これの原作がミルハウザーというのが腑に落ちないなと思って気になっていたのですが図書館で見つけて読めて嬉しかったです(白水Uブックス版は版元品切)。アイゼンハイムの感想しか書いてないが…
評論・随筆
『「なむ」の来歴』斎藤真理子
斎藤真理子さんの随筆は見つけたら読みたくなってしまう。だれしも、世界に対するこまやかな愛と憂鬱が内側に共存していると思うのだが、それらを語る文章の温度というか湿度というかの程よさが心地よくて。
あとがきに「寄せ植えみたいな本になった。」とあるし、書かれた時期もさまざまだそうなのだが、なんとなく、”途上の物語”というテーマが底にあるような感じがした。
角圭子の母・喜世の辞世「何事も中途半端に終るらし あとの仕上げはよみじにてせむ」(p.39)
書き終えられなかった物語にも引力があり、それを感知した者が回収してどこかへしっかりと植えるだろう。(p.265)
『小説的思考のススメ: 「気になる部分」だらけの日本文学』阿部 公彦
わたしの本の読み方、これでいいのだろうか…みたいな漠然とした悩みを抱いていたときに図書館でたまたま目について読んでみた本。この本では「一言一句読む」みたいな読み方を推奨しており、確かにわたしの読みかたに足りていないのはそういう精読の姿勢なのではないかと思った。
それにしてもこういう小説の読み方みたいな本では、著者のものした評論が実例として載っておりフンフンと感心して面白く読むのだが、結局著者の読み方がスゴイのであって、具体的に一般読者の我々が先生みたいに読む(というか、細部に気づく?)ためにはどういう努力をしたらいいんですか?という気持ちになる。自力で工夫して試行錯誤するしかないのですか?もしくはやっぱり直観を磨くことですかね?
↓これを読んだ方がいいのかもしれない…
阿部公彦さんの志賀直哉『流行感冒』評が面白く、教科書以来ノータッチの志賀直哉を読みたい気持ちになった。
舞台
劇団四季『ゴースト&レディ』
十二国記ミュージカル






