表題作の「初子さん」は日常と仕事を繰り返していくことの話。一生懸命働きつづけて数年経ってしまい、さして儲かるわけでもなく、好きではじめた仕事でもいつのまにか暮らすことでせいいっぱい。初めてほめられたときの「あの時のうれしさはどこへ行ったのだろう。」なんでこんなに胸がギュッとなる大人の苦しさを書くのがうまいんやろうか。
「嫌なことをする時は好きな服を着ていくといいと言った。…次の日から美根子は白ゆりのスカートをはいて糸工場に行った。」これも好きな一節だった。実は仕立て屋の初子さんがちょっと嫌なお客さんやなと内心思いながら作ったスカートなんですよ。そういう前振りがあって、だけどちょっとお高くとまってるような美根子にだって苦労はあるんやみたいなことがわかってくる。それを「嫌なことをする時は好きな服」というけなげで共感しやすい表現で書いてくれてるのが好き。
一番笑ったのは、化学調味料を使うと頭にええと信じてるおばあちゃんが、調味料の粉を入れた缶をだいじそうに仏壇から出してきて「こういうもんはいつまででももつんや」というところ。たしかに粉っていつまででももつよな~。
『まっ茶小路旅行店』は、ちょっとめずらしい設定、京都の旅行代理店の話っていうのが読んでいくうちにジワジワ効いてくる。
数珠つなぎの「昨日と同じ」日常が連綿と続いて、法事も200回忌までいってしまう、それが京都。我々の観光旅行なんて非・「日常」なんていいつつ蜃気楼みたいなもんを眺めてるだけで、その土地の現実や地続きにある過去の歴史のことは本当はなんもみてないのである。別にそれがいいとか悪いとかでもなく。フィリピンへ戦友の慰霊旅行にいく鷹井さんのエピソードが、対比として端的にあぶりだしてくる。
『うつつ・うつら』も京都が舞台、いわば夢を追う芸人の話。作品の方向性は三つのなかではいちばん観念的な気がしたけど、しかしこれは最後に日常を脱出する。(でもわたしは「ほっちっちー」の小夜子ちゃんも救われてほしかったな、と思う)
著者が亡くなっているのでこの短編集については編集の力というのもあるかもしれないが、どうも三作とも京都という町を日常に埋没する重苦しさを描く装置として書こうとされていたような気がする。
赤染晶子さん、ユーモアのセンスと書かれてるテーマの切れ味が絶妙に好みなんです。
今回の『初子さん』出版にあたってなのか、京都新聞のWEBにお母様へのインタビューが出ていた。寡作のまま夭折されたのがずっと気になっていたのだけど、こんなふうに現実と戦っておられた方なんや、と改めて作品を読み直したくなるインタビューでした。
