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2024年9月に読んだ本とか

もし初対面で読書好きの人と話す機会があったとして、「どんな本読むんですか?」よりも「積読ってしますか?」と聞きたいと思ってしまう今日この頃。

というのも今月読んだ『三人の逞しい女』、ふと奥付けを見たら2019年初版のものを買っていて、刊行すぐ買ったわけではないにせよ5年も積んでた…?と思ってがーんとなってしまったのだった。

奥付が気になったのはこの著者ならコロナ後をどう書くのかなあと気になってしまったからでもある(そもそも翻訳されるまでにタイムラグはあるわけだが)。この疑問、気になる著者と気にならない著者がいて、たとえば江國香織はわたしにとっては後者かもしれない。

 

 

積ん読の本
積ん読の本

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書店で見かけて即買い。こういう本棚紹介の本大好きなんだよね〜と思ってニヤニヤ読んでいたら、インタビューを読んでいるうちに「本を読む」という行為の意味するところが人によって相当違うのかもしれないということに気付かされる。

一冊ずつ本を通読するということだけを「読み終える」とわたしは思っていたけれど、たとえば本の一部のパラグラフだけを何度も何度も読み込む、データ化して言葉の検索からその前後を読む、といった部分読み。買ってすぐに全体に目を通したり、ほとんど教材にメモを取るかのように本に書き込みをする、といった本の使い方。などなど。

いずれにせよ本への深い愛が感じられる写真に見入ってしまう。読みたいと思う本の紹介も多々。もっといろんな本を読みかたをしてみたいとワクワクさせてくれる本だった。

 

小説

『この世にたやすい仕事はない』津村記久子

うわーなんでこれ今まで読んでなかったんだーと思う傑作。

この世にたやすい仕事はない (新潮文庫)

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とある理由で十年以上続けた仕事を辞めた主人公がハローワークで「たやすくない」仕事を転々とする連作短編なのですが、この仕事たちのフィクションと現実味のバランスがなんとも絶妙。ついでにいうと彼女の住む街の、実際にはどこにもないけどどこかにはありそうな塩梅もなんとも絶妙(はっきりと書かれてないが、なぜかマテ茶が流行ってるらしいところとか……)。

全体的に低体温な雰囲気でちょいちょい仕事サボってる人の描写があるのがいいよな……と思う一方で、津村記久子という人の職場哲学がしっかり書き込まれてるのがいい。

「まあ、職場の人間は、シチュエーションに応じて悪人になるので、」(p.104)
「軽く見られている係に江里口さんと私はいるわけだが、みだりに人を軽く見ることが明るみに出るのもこっぱずかしいもんだと思わせることができたら幸いである。」(p.122)

このように淡々と自分重視で仕事をしているように思えた主人公だが、最終章では遂に……。仕事のしすぎで思い詰めるのはかえって仕事の質を下げてしまうという話なんですよねこれは。実はこの罠は誰だってかかる可能性があるし、かからないようにすることの方が時には難しい。

余談ですが、304ページ、また、トイレの窓から脱出してる…!!!!とおもいました。確か前にもあったよねトイレの窓から脱出する話。*1

 

『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織
ひとりでカラカサさしてゆく (新潮文庫 え 10-20)

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上白石萌音さんの解説が素晴らしすぎて、このラストシーンの隣に間髪はさまず載せるのはずるい、とすら思う。終わらなかった。本当にそう。ただここに書かれてるのは人生の一場面で、思い出したり思い出されたりするための、ある段階。
人の縁のふしぎ。いっしょにいても分かり合えなかったり説明できなかったり、それでもたまたまいっしょに生きて、死んだりすることもある不思議。不思議…とうっかり思うのは、人生とか死に意味を持たせすぎてるからで、ただわたしたちはずっと一人一人がそこにいるだけ。今までも、これからも。

 

『スイマーズ』ジュリー・オオツカ

さまざまな理由で日常的にスイミングプールに通ったり通わなかったりする人びと、そしてプールのひび、介護施設のオリエンテーション、そして施設での日々。

認知症と水泳についての小説、というと確かに不思議な組み合わせだけれど、読んでみると彼女の晩年の時系列がそのままそこにあるようである。いっぽうで小説の構成としてスイミングスクール・プールの「ひび」・そして介護施設、というのは、より深く彼女の「思い出」に降りていくための階段みたいなもののように思える。

プールを泳ぐように。静かに。規則正しく。一定の速度で。

これほど細やかに人生の細部を、ユーモアと物悲しさに満ちて描き出した末に、ラストシーンが至高の輝ける瞬間であることに涙が堪えきれなかった。

母親とは自分がただこうであることを受け入れていてくれていることだけを望んでいる相手。この小説の語り手なのかもしれない「あなた」にとってもまた、そうしてくれていたことに感謝をしている相手なんだと思う。

 

『三人の逞しい女』マリー・ンディアイ
三人の逞しい女

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「三人の逞しい女」とは一体だれのことなんだろうと思いながら読むことになる。訳者あとがきにもあるように、逞しいという言葉から安易に連想されるのとは違った物語だったから。彼女たちは家というものの抑圧に耐え、怒り、大切なものを守り、貧困から逃れようとし、自由を希求する。
特に第三パート、たとえ他人からぎょっとされるほどの無残な姿に陥ろうとも、決して自分自身であることを手放さないカディのパートには心打たれた。小説の中には何度も鳥が登場する。支配者として、抑圧するものとしての、守る者として、怒る者として。その鳥が、ラストには大きく飛翔するという、物語の終焉としての美しさ。

重い感情描写に満たされた小説ではあるものの、絶望的な現在がまず示され、そしてそこに至った経緯が説明されるという文章の流れが推進力を生みだしているように感じる。
例えば第二パートでは、主要人物であるルディが自分自身すら欺いていた過去の記憶にまつわる嘘が次第に明らかになるのだが、それと並行して、他人を羨んでばかりいてしまう劣等感の根源を見つめ、内省する克明な描写が響き合う。ひとりの人間の来し方を探りその心の深層部に到達しようとする、スリリングとさえ言えそうな語りだった。

 

『穴あきエフの初恋祭り』多和田葉子
穴あきエフの初恋祭り (文春文庫)

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難しい方の多和田葉子…!と一読して思ったのだが、それでも面白く読めてしまうのがすごい。もちろん背景や文脈や言語を知れば知るほどに深い味わいがあるのだろうけど。言語と意味を繋ぐものへの興味がほぐされていくこと、そこに現代社会への批判的精神がひそんでいること、ということへの興味と感嘆が多和田葉子を読みたくなる原動力になっている。

 

『N』道尾秀介

実家に帰ったとき母が貸してくれて読んだ本。書店の文庫コーナーでめちゃくちゃ大々的に展開されてる売れ線の本なのに、借りるまで全く存在に気づいておらず、いかに自分がいつも見るとこしか見てないかということが分かりちょっと怖くなった。

N (集英社文庫)

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6つの短編があり、各冒頭1ページ分ずつと読む順序は自由であることが最初に示される。読む順番により読後感が変わることを狙っているとのこと。確かに通常短編集ってどの順番で読んでも自由なはずと言いつつ、なんだかんだ最初から順に読むことを意識して編集されてるけど、あえて順番は自由であるのを謳ってるの面白いですよね。

わたしはけっこういい順番で読んだ気がする。自分で選んだ順番だけどなんだかんだ絶妙に読了感の良い話は後ろに回すようにされてるのかな?

ネタバレ感想は*2

 

まんが

バーナード嬢曰く。7
バーナード嬢曰く。: 7 (REXコミックス)

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新刊出てるのに気づいてなくて、ド嬢久しぶりに読んだ気がするんだけど初っ端から「選書に自意識が滲んでしまうことに悩むという自意識」を祭り上げる話でそうそうこれこれ!とニヤニヤした。

『タイタンの妖女』を読んで神崎に思いを馳せる町田がめっちゃ良い〜。と思ってたら豆本のエピソードもめっちゃ良い〜。のだが、あとがきに書かれてた修正前の神林の感情が確かに解釈違いでびっくりした。どうしてそうなってたのか逆に読んでみたい。雑誌とコミックスで神林の人格違うのか…?

 

舞台

RENT JAPAN TOUR 2024

実は初めてのRENT。曲が好きと思いつつタイミングのがして観たことがなく、山本耕史氏がブロードウェイカンパニーに参加ということでこれを機に観なくてどうする!?とチケットを取りました。山本耕史氏は流石めっちゃ馴染んでましたけど、ロジャーとの関係性がいまいちよく分からないままではあったかな?と思っていたらロジャーのキャストが大阪公演はアンダースタディだったんですかね?山本マークはむしろジョアンとのほうが絆を感じてしまった…笑

劇場で小耳に挟んだ観客の雑談などを耳にするに、これまで愛されてきた作品であるぶん過去の公演(日本初演含む)や逸話を重ねることで感動がよりいっそう深まる作品なのかなあとも思ったけど、観てみると作品自体にもわりとストレートにメッセージ性があるし、なにより音楽の力で気持ちをぐぐっと持っていかれるシーンがいくつもある。

Seasons of love があんなに切ない歌だったとは…(めっちゃ初見の感想…)。誰しも死ぬまでの時間は有限だから1秒を大事にしよっ!みたいな感じかと思ってたけど死までの時間があんなに限られてる人たちの話だと思うと途端に切なくなる。ミミとロジャーが結局死に瀕さなければうまく仲直りできなかったのも同じで、なぜ人間は終わりを意識しなければ限りある自分の人生をうまく愛せないんでしょうね。

しかしミミ最後生き返るのはなんというか……多分やってる人も観てる人ももうみんな話知ってる前提なのか、生き返る演技がギャグっぽくなってて笑いそうになってしまった。いやでもミミ役の方(チャベリ―・ポンセ)はミミの切なくて甘くて孤独を抱えてる感じとか、歌声も素敵で大変グッときました。正直途中まで人間関係の把握に苦労してしまった感じはあったけれど、ミミの登場シーンあたりからぐっと気持ちが入っていったので。あとキャストでいうとコリンズ役の方(アーロン・アーネル・ハリントン)の低音の響き方が大好きだった~~。出てくるたびにうっとりしました。

*1:「サキの忘れ物」(新潮文庫)所収『隣のビル』

*2:「笑わない少女の死」→「飛べない雄蜂の嘘」→「名のない毒液と花」→「消えない硝子の星」→「眠らない刑事と犬」→「落ちない魔球と鳥」だったんだけど、「落ちない魔球」→「飛べない雄蜂」読むと結構悲しい気持ちになると思うし、「消えない硝子の星」は「笑わない少女の死」を先に読んでたからこそ、少し切ないが変わらない生のきらめきを感じられたと思うし……
もし「眠らない刑事と犬」の後に「名のない毒液」を読んでたら吉岡の最後を知った上で読むことになるから、この話が結構哀しみを伴うものになると思うな…
そう思うと、その登場人物のその後(死、あるいは再生)を意識して読むかどうかで確かに味わいは変わるのかも。




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