以下の内容はhttps://sanasanagi.hatenablog.jp/entry/2024/08/01/220000より取得しました。


『いなくなくならなくならないで』向坂くじら

死んだと思ってた10代の頃の親友が、社会人になった今突然目の前に幽霊(?)となって現れたら……

 

 


切り離したいけど愛おしみたい10代の自分、カッコつけて綺麗なままで結晶のように閉じ込めていたかったのに、タイムカプセルを開けてべっとりと張り付いた蔦を切り刻んでもなお絡みついてくるから、血を流さなければひき剥がせなくて。

朝日ってなんなんだろう?母?のように思えた瞬間もあったけど、やっぱり10代の自分。だと思う。過去のまま停滞し続けたときの自分。いつまでもモラトリアムを続けてた場合の自分。幽霊みたいにぼんやりとしていた朝日がだんだん「他人」であることがはっきり分かっていくのだが、それがわかるのは自分の知らないところで他人とかかわりを築いていることに気づいたからであって。一方で両親ははっきりと閉じられていて、閉じているからこそ変わっていかない。閉じているし変わっていかない幼い自分を守っていた揺籠みたいな「家族」と、守られていた「10代の自分」を引き剥がすことの痛みについての作品だな、やっぱり。

朝日が死んでなかったらどうなってただろうね。寄りかかられることにもまた依存してたみたいな時子は。でも水谷みたいにやっぱり別の人間関係ができていって自然とはなれていってたのかもね。

そう思うと「大人になって自然と離れてしまった友達ともし永遠にずっといられる呪いがあったら」ってifを意外とみんな考えてしまってるのではないかという気がするけど、それってどうしたっておとぎ話でしかないよねっていうほんのりとした切なさと割り切りを抱えることを我々は成長と読んでるのかもな。




以上の内容はhttps://sanasanagi.hatenablog.jp/entry/2024/08/01/220000より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14