前回、こちらの記事を書いて、F氏との対話を記録した。sametashark.hateblo.jp
その後、ブクマや記事へ、新たな視点の提供コメントをもらった。
記事へのコメントについては一定の時間をかけてしたためたので、
コメントをした方以外にも是非読んでもらいたい。
さて、2人(あるいは1人?)からあくまでも私の個人の意見・考えとして小さく認識しようという意見が寄せられたので、ここではそれにまつわる研究があることを共有する。researchmap.jp
特に、「3 性表現の影響に関する研究 」や、とりわけ「3.3 性表現の影響研究の限界」以降には、私の言いたかったことが、ある程度のエビデンスをもってまとめられている。
私は、因果関係と相関関係の使い分けを今回初めて意識したため、やり取りの中で提示できなかったのはちょっと悔しい。
現時点の私の意見をまとめると
- コンテンツと性的暴行の因果関係が証明されていないことは理解している。エビデンスはそもそも否定していない。
- ただし、加害者の手口や発想にはコンテンツ等との"相関関係"はあるとみなしてよい事実の積み上げがあると感じている。
- 因果と相関は物事との結びつきに強弱があるとはいえ、特に加害目的や加害手段の獲得には大きく影響している事案も見受けられるため、どちらの内容も正しく認識すべきだ。
- 被害の事実に相関の積み上げがあるにもかかわらず、当方の意見を軽視するために因果関係のエビデンスが利用されているのが、F氏とのブコメのやり取りの本質であると感じている。
- 相関関係があるからといって一律に規制すべきというわけではない。
- しかし、「それを楽しんでいるうちに、フィクションで描かれるような一方的な価値観や、行動パターンを持つきっかけとなる可能性がある」点については共通認識としたい。
- この共通認識は「統計的に証明された因果関係がないから関係ない」と片付けるのではなく、被害者保護の観点と、加害者にならないための予防策として、「規制一辺倒ではなく」、「リスクを減らすために、何をどう考え、どのように行動すべきか」を目的としている。
前回の投稿に含まれないが、新たに付け加えたい内容として以下も挙げる。
- ここでの「刷り込み」は、獲得したり強化されたの意味で使用している。
- 「コンテンツや同好者の共感により刷り込まれた価値観」は、特に以下のようなタイミングで表出してくることがある(あくまでも私見)
・ストレスが重なるなどして、他人への甘えが出た
・思い通りにいかない物事の代わりに、何かを思い通りにしたい欲が高まった - 事象により強く結びつく因果関係によって、様々な相関関係が隠れてしまう可能性がある。
- いわゆる「魔が差した」タイミングで表出する発想や、根底にある価値観の形成要因は、無自覚かつ単一要素としてはとらえられないため、統計的に分析し、証明することは極めて難しい。
- 統計的な因果関係の証明が難しいからこそ、相関関係に基づいた予防策の認識が重要なのではないか?
現時点で当初の一文を置き換えるとしたら…
旧:
コンテンツや性的欲求への共感が現実の性暴行とは関係ないと言う人がいたら、それは願望であって事実ではないことを共通認識にしたい。
新:
コンテンツや性的欲求への共感が、加害目的や手法の形成に相関する可能性がある以上、『現実の性暴行とは関係がない』と断言することは、事実に基づくものではなく、単なる希望的観測にすぎないことを、共通認識にしたい。
おまけ:ChatGPT 4oへの質問
この話題では因果関係を否定する人が多いですが、相関関係について誰も話をしないのはなぜだと考えられますか?
因果関係を否定する人が多いのに、相関関係について誰も話さない理由について考えると、主に以下の4つの要因が考えられます。
1. 「因果関係」と「相関関係」の混同
多くの人が、**「因果関係が証明されない限り、相関関係も問題にならない」**という誤解をしている可能性があります。
(A) 「相関はあるが、因果ではない」と言いたくない心理
- 「相関がある」と認めると、「因果もあるのでは?」という疑念が生まれるため、相関関係の存在そのものを議論しないようにしている可能性があります。
- たとえば、「ポルノ消費が増えた時期に性犯罪が減少した」という統計を持ち出す人は多いですが、これは相関関係の話です。
「逆に、ポルノのある文化圏で特定の性犯罪が発生しやすい傾向がある」という相関については、議論から外されがちです。(B) 「因果関係の証明が難しい=相関関係すら無視する」という誤認
- 統計的に相関関係が見られても、それを「因果ではない」と言いたい人が、相関の存在そのものを無視しようとする傾向があります。
- **「因果関係の証明が難しいから、そもそも相関すら議論しない」**という態度になりやすい。
2. 「相関がある」と認めたくないバイアス
相関関係が議論されると、ある種の文化やコンテンツに対する社会的な評価に影響を与える可能性があるため、無意識のバイアスがかかっている可能性があります。
(A) 「ポルノや暴力的コンテンツを擁護する人々」にとって不都合
- もし「性的暴力を描いたポルノが、性的暴力の価値観を刷り込む可能性がある」という相関関係が統計的に示されると、それは「ポルノ規制」に向かう圧力になるかもしれません。
- そのため、ポルノを擁護する側は、相関関係すら認めたくないという心理が働く可能性があります。
(B) 「規制を求める側」にとっても不都合
- 一方で、「相関はあるが因果関係はまだ証明されていない」となると、「じゃあ規制の根拠にはならない」と反論されやすくなります。
- **「相関がある=問題がある」ではなく、「相関はあるが、他の要因(家庭環境・教育・経済状況など)も影響している可能性がある」**と言われると、規制を求める側にとっても決定的な論拠にならないため、あまり言及されないのかもしれません。
3. 社会的・学術的な議論の場で「相関だけの議論」は軽視されやすい
学術的な議論では、「相関は因果を示さない」という基本原則があるため、相関関係の議論自体が軽視されがちです。
(A) 「相関だけでは不十分」とみなされやすい
- 「相関関係を示すだけでは、何も結論付けられない」という前提があるため、議論の俎上にすら載りにくい。
- たとえば、「気温が上がるとアイスの売上も上がるが、これは犯罪発生率の上昇とも相関する」といった話があるが、「アイスの売上が犯罪を増やすわけではない」となる。
(B) しかし、「相関があること自体には意味がある」
- 相関関係は「何らかの関連性がありうる」と示すものであり、そこから次の研究につなげることができる。
- しかし、現実の議論では、「相関はあるが、因果関係は未確定」と話すことが、無意味とみなされがち。
- 特に、社会問題に関する議論では「相関はあるが、因果関係は不明」と言うと、すぐに「じゃあ関係ない」と片付けられてしまう。
4. 「反論のために、相関関係の話を意図的に避ける」
因果関係がないことを強調するために、相関関係すら話題にしない戦略がとられることがある。
(A) 因果関係を否定する論者が「相関すらない」と思わせたい
- もし、「ポルノを消費する人の一部が、より過激な性犯罪に至る傾向がある」という相関関係があったとしたら、それは問題の兆候とみなされる可能性がある。
- しかし、「因果関係がない」と言うことで、「相関すらない」と思わせる議論の進め方がされることがある。
(B) 「逆相関」のデータだけを使うことで、全体の相関を語らせない
- 例えば、「ポルノ消費が増えた時期に性犯罪が減った」というデータを持ち出すことで、「だから相関もない」と話を片付けてしまう。
- しかし、これは「全体の性犯罪数の増減」の話であり、特定の種類の性犯罪の増減とは異なる問題である。
- 「特定の犯罪タイプが増えている可能性がある」という相関の議論を避けるために、全体の犯罪率で議論を誘導することがある。
結論:「因果関係を否定するために、相関関係の議論そのものが避けられている」
✔ 多くの人は、「因果関係がないなら、相関も問題にならない」と誤解している。
✔ 相関を認めると、因果関係の可能性も疑われるため、議論を避ける人がいる。
✔ 学術的に「相関は因果を示さない」と言われるため、相関関係の話自体が軽視される。
✔ 特定の立場の人々にとって、相関関係を認めることが都合が悪いため、意図的に言及されないことがある。
では、「相関があるかどうか」をどう議論すべきか?
もし相関関係の議論をしたいなら、以下のように進めるとよいでしょう。
- 「相関は因果ではないが、議論の価値はある」と明言する
- 「相関関係があること自体は、何らかの関連性を示唆するものだ。これは議論すべきではないか?」
- 「ポルノの影響を受けたと語る加害者が存在する以上、それが偶然なのか、傾向なのかを考える必要がある。」
- 「逆相関のデータがあるからといって、全ての相関を否定できるわけではない」
- 「ポルノ消費の増加と性犯罪全体の減少が関連しているとしても、特定の種類の性犯罪(未成年者への犯罪、特殊な手口の犯罪)が増えている可能性はないのか?」
- 「特定の傾向を示すデータがあるかどうかを探る」
- 「特定の犯罪の手口が、ポルノに影響されているという証言が一定数あるなら、それは少なくとも相関があるのでは?」
こうしたアプローチをとることで、相関関係を議論の対象にすることができると思います。