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ウィムザット&ビアズリー「意図の誤謬」(河合大介・訳)ウォルトン「芸術のカテゴリーについて」(森功次・訳)

銭清弘『芸術をカテゴライズすることについて』を読む前に、基本論文を読んでおく企画。
「意図の誤謬」はノエル・キャロル『批評について』(森功次・訳) - logical cypher scape2の中で言及されていて、あれ、そういえば読んでいなかったぞ、と気づいたので読むことにした。

ウィムザット&ビアズリー「意図の誤謬」(河合大介・訳)

『フィルカルVol.2No.1』
詩を読むときに、詩人の伝記的事実を気にする必要はないですよね、みたいな話?
いや、読んだはいいのだが、全然頭に入ってこなかった。
一つは自分の読んだときのコンディションの問題で、眠いなあと思いながら読んでいた気がするので。
もう一つは、この論文の中で言及・引用されている議論とか作品とかが知らないものが多くてよくわからなかった、ような?


なんか目についたキーワードだけひろう
クマラスワミという美学者が、芸術作品についての探究は、二種類あると述べている、と。
一つは、意図が実現されているかどうかについて、もう一つは、保存されるべき価値があるかどうかについて。
これって、ノエル・キャロル『批評について』(森功次・訳) - logical cypher scape2における成功価値と受容価値にそのまま対応するのでは、という気がした。
クマラスワミは前者こそが芸術批評だと主張するのに対して、ウィムザット&ビアズリーは、芸術批評は後者だよねえ、という。


意図の誤謬はロマン主義


詩の批評と作者の心理学があり、
内的な証拠と外的な証拠がある。

ウォルトン「芸術のカテゴリーについて」(森功次・訳)

以前、一度読んだけれど、再読
モリス・ワイツ「美学における理論の役割」、ケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」 - logical cypher scape2
冒頭から「意図の誤謬」が!
「意図の誤謬」に対する反論として書かれているのである(とはいえ結構限定的な反論であるようにも思う)
美的性質の知覚はカテゴリーに依存する
どのカテゴリーのもとで知覚するのがよいのか、については、正しさの規準がいくつかある。

そのカテゴリーにおいて見たときに、標準的特徴が比較的多くなり、反標準的特徴が最も少なくなるカテゴリー
作品が最もよく見えるカテゴリー
作者が意図していたカテゴリー
作品が提示された社会において確立しており、はっきり認識されされているカテゴリー
ウォルトンのCategories of Artを全訳しました。補足と解説。 - 昆虫亀

どのカテゴリーで知覚するのが正しいかを判断するのに、作者の意図は基準になる、という点で、意図の誤謬は誤謬である、ということになる。
あくまでも、知覚されることにこだわっていて、知覚できるようになるには訓練がいるという論点もある。どのカテゴリーが正しいカテゴリーか知っているだけでは、そのカテゴリーのもとで知覚できるとは限らない、と。
基準が4つあるけど、どの基準をどう採用すればいいのか、というのは難しそうでもある。
基準1と2だけではだめで、基準3や4があるのは、1や2だと明らかに正しくないのに当てはまっちゃうカテゴリをはじけないから。
十二音技法は、シェーンベルクが作曲していた当時、社会的に確立されていたカテゴリではないけれど、シェーンベルクは自覚的で本人が意図していたので、シェーンベルク作品にとって十二音技法というカテゴリが正しいのは基準3で判断される。
ただ、ジャコメッティの作品なんかは、どのカテゴリが正しいかは最後まで議論が分かれて、正しいカテゴリは判断できないかも、とそういう場合がありうることも述べられている。




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