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ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(松本健二・訳)

20世紀科学史・数学史における人物伝の形で、科学が人類の理解を越えてしまったのではないか、ということを描きだそうとうする中短編小説集
白水社エクス・リブリス
登場するのは、フリッツ・ハーバー(「プルシアン・ブルー」)、カール・シュヴァルツシルト(「シュヴァルツシルト特異点」)、アレクサンドル・グロタンディーク望月新一(「核心中の核心」)、エルヴィン・シュレディンガー、ルイ・ド・ブロイ、ヴェルナー・ハイゼンベルク(「私たちが世界を理解しなくなったとき」)である。
それぞれ独立した短編ないし中編となっているが、テーマとしては共通していて、最後に配置されているエピローグがまとめ的な位置づけとなっており、短編集全体で一つの作品となっている、ともいえる。


冒頭にも述べたが、科学が人類の理解を超えてしまったのではないか、というようなことを描いており、それこそ量子力学史を扱った「私たちが世界を理解しなくなったとき」のタイトルがそのことをわりと端的に表わしている。
科学による疎外、みたいにまとめると、これはまあ19世紀末・20世紀初頭から人類を悩ませている、非常にポピュラーなテーマかなと思うし、それを描くに当たって、ピークとして量子力学不確定性原理を持ってくる、というのも、それ自体は驚きも新しさもないところかな、と思う。
このテーマだと、AIを取り上げたことは現代的ではあるよなあ(それもまた、もはや当たり前過ぎるかもしれないが)と思いながらエピローグを読んでいたのだが、訳者あとがきによれば、ラバトゥッツの、これの次に書かれた長編小説は人工知能も出てくる話になっているらしい。
ところで、じゃあ大したことない作品なのかというと、もちろんそういうわけではないだろう(といいつつ、最初の方は正直どう面白いのかよく分からないなと思いながら読んでいたところはあるのだが)。
この短編集は、筆者自身が、次第にフィクションの度合いを大きくしていったと書いているのだが、ここでいうフィクションというのは(起きている出来事自体が事実と異なるというところもあるが)、登場してくる科学者の内面が描かれる、ということではないかと思う(三人称だけど、それが史実かどうかとは関係なく、本人しか知り得ないであろう状況について描かれるようになっていく)。
発見にいたる過程や発見したことへの悩み・苦しみが描かれている。
それも例えば倫理的な悩みということではなくて、認識上の苦しみであり、それが時に病気など肉体的な苦しみと重なり合って描写されていく。
自分で何かを見つけるのだが、それは自分で自分を追い込み苦しめた先に夢や幻視のような形で現れるので、後になって、自分がどうやってそれを見つけたのかが分からない、とか
そういう天才たちの凡人離れした苦悩の様が描かれていくのが、物語として面白い、というのはある。
ただ、引きつけられるのは、その筋というよりは、描写の力なのかなと思う。
訳者あとがきで書かれていたが、作者は詩人に師事していたらしくて、その点での描写力というか。
短編集全体の構成もよくて、最初の短編「プルシアン・ブルー」の中で、本全体のタイトルである「恐るべき緑」というワードが提示される。この緑は植物のことを指しているのだけど、エピローグは「夜の庭師」で再び植物の話として短編集全体が回収されていく。
また、本書全体に散らばっているキーワードとしては「核心」と「過剰」があると思う。この「過剰」という言葉が、広がりをもたらしているように思う。


チリの作家による作品である*1
とはいえ、この作品に、チリ性(?)とかラテンアメリカ性みたいなものはないと言っていいと思う。訳者によると、チリは独裁制崩壊後の90年代に西欧の文学が翻訳で入ってきて、本書の作者ラバトゥッツのように、それを若いときに読んでいた世代が現れてきた、という感じで、いわゆるラテンアメリカ文学とは距離があるらしい。
本書以前は無名の作家で、3作目である本書の英訳版がコロナ禍の中でヒットしていったらしい。
訳者あとがきでは、実は作者は理系ではない、と書かれているが、それ自体はそれほど驚きではない感じがする。
確かに本書は、科学者・数学者を主人公にした作品で、彼らの研究内容についても触れられているし、もっといえば科学そのものが主題ではある。しかし、そうした内容について専門家レベルで知識が必要なことを書いているか、といえば、必ずしもそんなことはないと思う。
SFではないので、既存の科学理論をもとにフィクションとしての理論を作っているというわけでもないし。
科学史小説であって、そういう意味では歴史小説の一種で、史実をもとにしたフィクションということになる。
読む上でも、量子力学について知っていることが本当に皆無、とかだと難しいかもしれないけれど、シュレディンガーの猫とか不確定性原理とか粒子と波の二重性とか、何となく聞いたことあれば、まあ読めるんじゃないかと思う。
逆に、物理学ちゃんとやった人が読むとどう思うのかはちょっと気になるかもしれない。


上の方で「倫理的な悩みということではなくて」と書いてしまったが、倫理的な問題について書かれていないわけではない。というか、むしろ本書のテーマ的にはそこも大きい。
ハーバーについていえば、毒ガス開発の結果、夥しい人数が死ぬことになるのだけど、しかし、ハーバー・ボッシュ法は、それとは桁違いの人数(何十億)の糧となっていて、単純に、この人の研究結果がもたらした人の生き死にを合算すると、プラスが圧倒的に多くなるけど、しかし、何ともいえない倫理的なモヤモヤは残る。
ただ、こういう直接的な軍事利用みたいな話はあんまりなくて、もう少し抽象的ないし神秘的な感じで示されることになる(シュヴァルツシルトの懸念とかグロタンディークが数学辞めた理由とかハイゼンベルクの見た幻影とか)。
考えてみれば、彼らが自分たちの発見に至った過程も、ロジカルなものではなく、夢や無意識の中で得られるものとして書かれていて、そういうのも科学者の発見のエピソードとしては珍しくはないものだけれど、そういう意味ではやっぱり、別に理系的な話ではないなと思う。
しかし、人類と科学という壮大なテーマを短編小説集で描き出すという試みは面白いものがあった。

プルシアン・ブルー

毒として知られるシアン化物についての歴史
一応、主人公はフリッツ・ハーバーということになるかもしれないが、ハーバーが登場してくるのは後半で、全体としては、上述した通り、プルシアン・ブルーとシアン化物の歴史とて書かれている。
筆者自身により「フィクションなのは1段落だけ」と明かされているが、文章自体、ノンフィクションの筆致で書かれており、これはあんまり小説を読んでいる感じがしなかった。
冒頭、第二次大戦末期から戦後にかけて、ナチスの高官たちがシアン化物で自殺していたというエピソードから始まり、そこから時代を遡って、プルシアン・ブルーという顔料の歴史が紐解かれる。そして、フリッツ・ハーバーの話へと至る。ナチスが台頭してきたところで、ハーバーが亡くなり、ちょうど円環を閉じるように話が終わる。
どこがフィクションなのかは分からないが、単純に考えると、一番最後の段落か。
ハーバーは、最後に後悔を綴ったが、それは毒ガス開発についてではなく、ハーバー・ボッシュ法によって植物が繁茂しすぎるのではないか、というもので、本書タイトルの「恐るべき緑」というフレーズはここに現れる。


18世紀初頭、ディースバッハによってプルシアン・ブルーという顔料ができる。画期的な青の顔料だった。北斎の作品にも使われている。
ディースバッハの助手に、ディッペルという錬金術師がいて、ディッペルはスウェーデンボリを魅了した人物で、のち、メアリ・シェリー『フランクシュタイン』の着想源にもなった、と。
1782年、化学者シェーレが、偶然にもプルシアン・プルーから「青酸」を生み出す。
シェーレがヒ素を用いて作った顔料は、セントヘレナ島でナポレオンを蝕んだ
また、シアン化物が使われた例として、ラスプーチンチューリングの挿話も
そして、1915年、史上初の毒ガス攻撃の計画者として、フリッツ・ハーバーが出てくる
戦後、ハーバーは戦犯となるが、その一方で、ハーバー・ボッシュ法によってノーベル化学賞も受賞する
ハーバーは、戦間期にシアン化物を用いたガス殺虫剤(ツィクロン)を開発するが、ドイツでは次第に反ユダヤ主義が高まりつつあった。しかし実は、ハーバーは、キリスト教に改宗した同化ユダヤ人でもあった。イギリスへ亡命するも、第一次大戦での毒ガス作戦の汚名により受け入れられない。各国を転々とするうち、自分の開発した毒ガスが同胞のユダヤ人を大量に殺すことになるとは知らずに、亡くなる


第一次大戦中の毒ガス計画に反対して、ハーバーの妻が自殺した話が途中で出てくるが、自分はこのことは、木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2で読んで知った

シュヴァルツシルト特異点

シュヴァルツシルト半径に名前を残す、カール・シュヴァルツシルトの後半生について
アインシュタインのもとに、シュヴァルツシルトから相対性理論の厳密解が書かれた手紙が送られてくるところから始まる。まさかこんなに早く、解く人が現れるとは、とアインシュタインを驚かせている。
シュヴァルツシルトは幼いころから天文に興味をもち、研究者になると、あちこちのテーマを次々と移りながら、生涯で120本もの論文を書いたという。
年齢的にも職業的にも兵役を免れていたが、志願して第一次世界大戦に従軍する。
従軍中に、毒ガスにあたったためなのか、天疱瘡となり、病床で苦しむ中、自分が導き出した解と戦っていた。
シュヴァルツシルトの導き出した相対性理論の解によれば、物理法則の成り立たない、誰にも観測不可能で理解不可能な特異点が存在することになってしまう。しかし、そんなものは本当にあるのか、と。この解を導くにあたって、シュヴァルツシルトは単純化された架空の天体を用いているので、それのせいかと、色々考えるのだけど
最期、彼は特異点が人類の倫理にもあるのではないかとまで懸念するようになる。これは、アウシュビッツを示唆しているのだろう。

核心中の核心

数学者望月新一アレクサンドル・グロタンディーク
望月がabc予想を説いたとする論文をブログで発表し、宇宙際タイヒミュラー理論を展開するが、その後、姿をくらまし、ブログも閉鎖してしまう、という顛末と、望月はグロタンディークの呪いの屈したのだと人々が噂したということが語られる(なお、筆者により、望月にまつわるエピソードはすべてフィクションだと明かされている)。
そのうえで、では、望月が心酔したグロタンディークはどんな人物だったのか
グロタンディークは、父親がロシアのアナキストナチスの収容所のガス室で死んでいる
若い時から数学の天才で、様々な人を自分のプロジェクトに巻きこみながら、数学の統一を図ろうとした。俯瞰した視点から誰も思わなかったようなスケールで研究を行い、何万ページもの論文を書いた。
しかし、ルーマニアアルジェリアベトナムを旅行し、核兵器拡散に悩み、42歳の時に「大転換」が起きる。
自宅をコミューンにしてしまい、数学から離れ、環境問題を気にかけ、宗教的というか神秘思想的な生活や言動をするようになる。
晩年の彼に接触することに成功した数学者は、彼が、人類を守るために孤立していると語ったのを聞いている。
物理学が核兵器を作ってしまったように、自分の理論が「核心中の核心」に触れてしまったとき、どのような恐怖があらわれてしまうのか、ということを危惧したのだ。
なお、望月もブログ閉鎖の理由を、万人の利益を守るため、としていた。
グロタンディークが最期の日々を過ごした病院で、唯一、彼が面会を許した人物(おそらく望月)がいた、というエピソードで終わっている

私たちが世界を理解しなくなったとき

これは中編で、他の作品よりも長い。
ハイゼンベルク、ド・ブロイ、シュレディンガーについて描いている。
ミクロの世界を波として捉えようとするシュレディンガー、ド・ブロイ、アインシュタイン陣営と
ミクロの世界は古典的な物理観では捉えることができない(最終的に波でもあり粒子でもあり、それは観測するまでは分からないというコペンハーゲン解釈に結実する)と考えるハイゼンベルク、ボーア陣営との対立、というのが背景にある。
1926年のミュンヘンでのセミナーでシュレディンガーハイゼンベルクに勝利したところから始まり、
最後、1927年、ブリュッセルでのソルベー会議で、ボーアがアインシュタインに勝つところで終わる。

  • 一 ヘルゴラント島の夜

花粉症(枯草熱)によるひどいアレルギーから逃れるためヘルゴラント島にやってきたハイゼンベルク
とにかくひどい顔になっていったので、ひたすら看病しようとかまってくる宿屋の女将さんと、それを振りはらおうとするハイゼンベルク、みたいな感じで進む。
ハイゼンベルクは、ただ観測データだけをもとに、それを粒子とか波とか古典的な物理でとらえるような前提をもたずに、捉える方法をひたすら考え続ける。
ゲーテが14世紀の詩人ハーフェズに影響されて書いた『西東詩集』が宿屋の部屋に置かれていて、熱にうなされながら、ハイゼンベルクはそれを暗唱する。
ゲーテ=ハーフェズの詩と、量子の振る舞いを記述するための行列とをひたすら行ったり来たりしながら、思索を続けながら、行列力学を作り上げていく。

  • 二 公子の波

ド・ブロイについて
幼い頃は姉の影響下にあったが、のちに、物理学者だった兄の影響で物理学の道へと進む。
第一次大戦に従軍していて、数少ない友人となった画家ヴァセクのコレクションを引き継ぐ。このヴァセクのコレクションというのが、いわゆるアール・ブリュット的な奴で、ド・ブロイがこれの展覧会を開催する、というのが書かれているが、このあたりはフィクション。
博士論文で、光だけでなく物質もまた波であるというアイデアを提唱する。
審査委員はこれを評価できず、アインシュタインに手紙を送ると、アインシュタインはこれに賛同する。

  • 三 耳の中の真珠

シュレディンガーにとっては、第一次世界大戦中は平穏な時代だった(従軍しているけれど戦闘の起きないところでむしろ非常に暇な時間を過ごしていたらしい)、と。
戦後、オーストリア帝国が崩壊したことで混乱がおとずれ、さらに結核となってしまう。
結核治療のために訪れたヘルヴィッヒ医師の別荘で、波動関数を作り上げていく日々が描かれている。
ヘルヴィッヒ医師には娘がいるのだが、患者の近くで生活していたため、幼い頃から結核を患っている。別荘から出たことはないが、読書しまくって、非常に頭脳は優秀。
シュレディンガーは彼女の数学の家庭教師を引き受けることになる。
雪に閉ざされた山荘で、この少女に惹かれながらも、波動関数を作るために苦悩する。
ある時目が覚めると、ノートに目的の方程式が書かれているんだけど、ノートの他のところに書かれている内容から飛躍していて、どうやってここにたどり着けたのか分からない、と悩んだり。
クリスマスの夜、パーティに参加したくない娘とシュレディンガーは、最後の授業を行う。

  • 四 不確実性の王国

ハイゼンベルクコペンハーゲンのバーでからまれる
帯にも書かれている「この素晴らしい地獄は、あなた方のおかげでないとしたら、いったい誰のおかげでしょうか」という台詞はここで出てくる。
逃げ出したハイゼンベルクは、幻影を見る。この幻影の内容は、死んだ赤ん坊だったり、焼かれた幾人もの影だったりしていて、原爆を示唆しているようである。
ハイゼンベルクは、師匠のボーアに不確定性原理について語り、賛同を得る。しかし、この幻影のことは話せない。

  • 五 神とサイコロ

1927年 ブリュッセルでのソルベー会議
シュレディンガーの発表の翌日、ハイゼンベルクとボーアがコペンハーゲン解釈について発表した。「現実世界」は存在しないのだ、と。
これについて、アインシュタインが会議期間中、毎朝、ボーアに反例となるような思考実験をしめし、夜にボーアが反論したという、有名な顛末が書かれる。結局、ボーアの主張を崩せなかったアインシュタインが言ったとされるのが「神はサイコロを振らない
最後に、アインシュタインシュレディンガー量子力学を憎むようになった旨のエピソードがつけられている。
どっちがどうというわけではないが、ハイゼンベルク側の方がややヒールっぽい印象をうけるように書かれていると思う。アインシュタインが必死に抵抗したように、コペンハーゲン解釈が、物理学者にとって悲劇的なものであるかのように(もっとも、その後の世代はむしろハイゼンベルク・ボーア派になったことも少し触れられているが)。


個人的に、このあたりの量子力学の歴史をよく分かっていなかったので(本作はもちろん史実をもとにしたフィクションであり史実ではないにせよ)、こういう対立図式があったのかーと面白かった。
アインシュタイン量子力学に反対していたとか、シュレディンガーの猫不確定性原理への反論として作られた話だとかは、知っていたけれど、それがどういう流れの中で言われたことなのかを把握していなかったので。


あと、とにかく行列式というのが、複雑で難しいということが再三強調されている。ハイゼンベルク自身がよく分かってないところがあったり。シュレディンガーの式とハイゼンベルクの式が等価であることが示されるんだけど、だとしたら、こんな得体の知れないハイゼンベルクの式は使いたくない、みたいなのが科学者たちの反応として書かれていたりする。
でも、最後にはこっちの方が説明できるのが多い、ということになっていく。


でもまあ、この話の読みどころは、シュレディンガーハイゼンベルクそれぞれが、病気に苦しみながら、夢だか幻だかよく分からないところで、ひらめきを得るところと、そのシチュエーションの異様さかな(片やゲーテの詩集と格闘しながら、片や結核の少女と関わりながら)。

エピローグ 夜の庭師

小さな村に引っ越してきた「私」が、夜散歩をしていると、庭の手入れをしている男と出会う。
「夜の庭師」は、中が腐って伐採しなければならないのだが伐ることができないでいる樫の木の話をする。それは、彼の祖母が首をくくった木だという。
7歳の娘と散歩中に犬の死骸を見つける。害獣駆除のための毒団子的なものを誤って食べてしまったもので、この毒というのがシアン化物
庭師がハーバーについて語る
「夜の庭師」は実は元数学者。いずれ人間の理解ができなくなってしまうことに気付き、数学をやめた。例えば、使い方はわかるが本当の意味は分からなくなってしまった物理理論のように……。
レモンの木は、死ぬ間際に過剰に果実を実らせるのだ、と「夜の庭師」は語る。寿命はどのように知ることができるのかと聞く「私」に対して、切り倒して年輪を見ないと分からないけどそんなことする奴はいないと「庭師」は答える。
このレモンの木の話は、明らかに人類ないし科学についての比喩になっていると思うが、「恐るべき緑」とか樫の木とか、本書の中で植物のイメージが反響し合う感じになっている。
夜の庭師が、使えるけど意味が分からなくなっていると語るのは、量子力学のことを指しているはずだけれど、今だと、ディープラーニングAIの話をしているように読める(というか、本書自体2020年の作品なので、意識していないとも思えないが)。

*1:オランダ生まれとあるが、14歳でチリに移住、両親もチリ出身ということなので、チリの人ということでよいのだろう




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