「ヒルマ・アフ・クリント」展 - logical cypher scape2で見てきたけど、もう少し解説とかを読もうかと思い。
代表作 徹底解説 中島水緖、高嶋晋一
抽象絵画のディスクリプションってこうやってやるんだなー、と思いながら読んだりした。
神殿のための絵画
各シリーズごとに解説等がなされているが、以下は、その中から一部だけピックアップしたメモ
「10の最大物」は、全体で2か月で制作され、1枚レベルだと4日で制作されたものもあるらしい。本書の他の記事でも、この「10の最大物」が短期間で制作されたことについて言及されている箇所がある。それにしても、あの大きさ、あの量を2ヶ月って……。
「白鳥、SUW シリーズ」について、メタモルフォーゼでもあるよね、と指摘されている。
どのシリーズについての解説に書いてあったか忘れたけど、ヒルマ・アフ・クリント全体に関わる話だと思うが、彼女の着想源は絵画史ではなく本や印刷文化にあったのではないだろうか、という指摘。具体的にはゲーテ『色彩論』やヘッケルの名前が挙げられていた。
ところで、アフ・クリントが神智学・人智学だけでなく、当時の自然科学からも影響を受けていたのではないかという指摘は、展覧会会場の解説でも本書の中でも、度々出てくる。
特に進化論については、「進化、WUS /七芒星シリーズ」という作品があって、でっかくEVOLUTIONって書いてたりする絵があるので、まあ何らかの形で受容しているんだけど、おそらくは霊的進化みたいな話の文脈っぽくって、あれ。とはいえ、この時代の一般的な進化論理解って、現代の進化生物学から見るとどれも無茶苦茶な気がするけれど、それはそれとして、時代の雰囲気を形作っていったようでもあるので、どう把握すればいいのかが難しい(つまり、現代の自分からしてみると「それは別に進化論じゃねーだろ」って思うんだけども、広い意味では、進化論からの影響であると受け止めるべきなのか? と)。
Works on Paper and other
「神殿のための絵画」以外の作品について
Notebooks
ノート類について
未知の力、隠された知を描く 沢山遼
当時のオカルティズム・スピリチュアリズムと自然科学・テクノロジーの関係(例えば、アメリカのフォックス姉妹の霊との交信は、モールス信号による遠隔通信に衝撃を受けたことに着想があるという)
目に見えないものの可視化としての、電磁波や放射線の発見
あるいは、目に見えないものを見えるようにすることを芸術の原理と考えたルドンやクレー
アフ・クリントやそれに先駆けるジョージアナ・ホートンにおける波動や螺旋
ロバート・フラッド『両宇宙誌』、アフ・クリント、アンナ・カッセル作品に現れる球体モチーフ
集団的な制作→「神殿のための絵画」に霊媒的役割を果たした人物13名の名前が記録されているが、「作者」としてのアフ・クリントの署名はない
魂の明け渡し 江尻潔
作品を制作するものとしての「霊媒」と「芸術家」とを区別する(前者の例としては例えば出口なおなどが挙げられている)。「霊媒」も作品制作したりすることがあるけれど、それを美しくしようとか、そういう反省的な意図がない点で「芸術家」とは区別される。
しかし、ヒルマ・アフ・クリントには両方の面が見られる、と。
ところで、神智学には、霊媒(受動)とアデプト(能動)という区別があって、アデプトを重視していたらしい。シュタイナーはアフ・クリントに対して「霊媒のように描くな」というアドバイスをしていて、アデプトのことを指していたのではないかと。
実際のアフ・クリントの作品を分析しながら、アフ・クリントはこれを実際に「見ていた」のだという。普通の抽象画家が、自らの理論を形而下にしようと試みていたのに対して、おのれが見たものをいかに形而上にもっていくか試みていたのがアフ・クリントなのだ、とまとめられている。
すべて緑になるときまで──スピリチュアリズムと図示の隘路 高嶋晋一
「見えないものを見る」というのが、スピリチュアリズムだったり原子物理学だったり、当時のテーマだったのだ、と。
その上でスピリチュアリズムというのは「私」が問題となる。死すべき運命にある「私」とか、「私」のアイデンティティとか。
霊と霊媒の二重性と、描かれるものと絵画という媒体という二重性
CHRONOLOGY Hilma af Klint Chronology──旅と同志とともにあったその人生 齋木優城
アフ・クリントの年譜
若い頃に妹が亡くなっていて、これが神秘思想に関心をもつきっかけだったらしい。
王立美術アカデミーに通って美術教育を受けているけれど、そこで、アンナ・カッセルと出会っている。カッセルは、アフ・クリントの親友で、共同制作者的な面もあったり、同性愛的パートナーであったりもしたらしい。
美術アカデミーを卒業後、職業画家となっていて、動物の解剖画なども手がけている。微生物のスケッチとかもしていて、後の作品に影響をしただろうと指摘されている。絵本の挿絵なども描いている。
「5人」を結成して、交霊会をしている。それを繰り返している中で、高次存在から「神殿のための絵画」を制作するようにという啓示を受ける。
「神殿のための絵画」は、この啓示に従って制作されたということであるが、この制作にあたっては「5人」の他のメンバーとの意見対立があって、アフ・クリント1人で作ることになったらしい(ただし、近年の研究で、カッセルが協力していただろうとなっている)
スウェーデンに籠もっていて外の交流がなかった画家、のように捉えられていたことが、実はそんなことはなかった、として、イタリア旅行が挙げられている。「10の最大物」を作るにあたって、影響があったのではないか、とか。
第一次大戦頃、ストックホルムからムンセー島へ移住している。
人智学の中心地であるドルナッハへも旅行している。憧れの地、みたいな感じだったみたい。ここでシュタイナーとも直接会っている。シュタイナーの死後は、人智学協会の中で後継者争いみたいなのが起きたのに辟易して、ドルナッハには行かなくなった、とか。
アフ・クリントは、自分の死後20年は作品を公開しない旨書き残していることもあって、評価を求めていなかったと言われることもあるが、これもまた違う、と。
この死後20年云々は1930年代から言い始めたことで、それ以前は、自作が展示される場を求めていたりもして、実際、機会を得て展示に至り、アムステルダムやロンドンへ行っている(しかし、どの作品が展示されたのかは不明)。
ただ、同時代的には評価を得られず、未来に賭けた、と。
実際には死後20年どころか、死後70年近くたってようやく評価されるようになった
INTERVIEW ユリア・フォス 齋木優城=聞き手・構成
アフ・クリントの伝記を書いたユリア・フォスへのインタビュー
美大出て美術系の編集者をやっていたのだが、初めてアフ・クリント作品を見たとき、美術教育を受けて美術の仕事をしていたのに知らなかったことへ衝撃を受ける。アフ・クリントの記事を出す際には社内外で賛否両論あったらしい。
上述の年表にもあったが、アフ・クリントが旅行していたことに注目したのは、フォスの伝記
当時のスウェーデンは保守的なプロテスタント国家であり、そうした中で「5人」のような神秘主義の活動をしていた
ジェンダーをコード化した表現を用いて、性が流動的であることを描こうとしていた。雌雄同体であることからカタツムリも描いていた。
ヒルマ・アフ・クリントとスウェーデン・フォークアートの復興 ヴィヴィアン・グリーン(田村かのこ・訳)
アフ・クリントが活動していた頃のスウェーデンは、フォークアートの復興運動が起きていた時期で、これはアフ・クリント理解の伏線になるだろう、と。
スウェーデンで18世紀から19世紀にかけて民衆の間で描かれていた装飾画として「ボーナダー」というのがある。
ボーナダーは、大きな布に描かれて、結婚式などの際に家を飾る。美術教育を受けていない人たちの手によって描かれていて、遠近法などは用いられておらず、文字(聖書のフレーズとか)が一緒に書き込まれたりもしている。
本論では、アフ・クリント作品とボーナダーとの間の類似点(巨大さとか)を指摘し、また、アフ・クリントが当時ボーナダーを見ていたはず、という傍証を重ねている。
最後に、従来、「工芸や装飾」と「ハイ・アート」が対比され、後者が低位(ロウ)に置かれていた。そして、それはジェンダーとも重ねられていた(女性の手仕事としての工芸・装飾)が、こうしたハイとロウとの区別は見直されてきており、本論もそういう文脈にあるよ、と。
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展 - logical cypher scape2でトイバー=アルプが、やはり、刺繍といった応用美術に関わっていたことに着目されていたこと、同型の話だなと思った。
私的な抽象:ヒルマ・アフ・クリント作品におけるジェンダーと性の主題 井上絵美子
当時、第一波フェミニズムの時代で、公的な制度としては女性の権利が認められ始めていた。アフ・クリントが美術アカデミーで美術教育を受けているのも、制度的な整備によるものである。しかし、制度的に整備されたからといって、実態として女性差別がなくなったかといえば、そうとは限らない。
アフ・クリントの作品が「5人」という私的な営みの中から生まれてきたことを忘れてはならない、と指摘している
また、アフ・クリントは、男性をパートナーとしたことはなく、同性愛的な関係を持っていたと考えられている。
近年、「クィア・アブストラクション」という概念があるらしく、簡単に言及されている。
SPECIAL DIALOGUE 岡﨑乾二郎×三輪健仁 ヒルマ・アフ・クリントを見るとは、どのようなことか?
『抽象の力』でアフ・クリントについて論じた岡崎と、アフ・クリント展を担当した学芸員である三輪の対談。わりと、三輪からのコメントに対して、岡崎が「いや、そうじゃないよ」っていう展開が多かったような。
まず岡崎から、近代啓蒙主義・幼児教育・スピリチュアリズム、というのが当時のパラダイムだったんだよーみたいな話。「見たら分かる」、という考え。
三輪が、アフ・クリントはこれまで美術史でマイナーとされてきたもの(神秘思想、スウェーデン、女性)ですよね、みたいに振ったら、岡崎が、シュタイナーは全然マイナーじゃないよ、と応答してたり。
三輪が、アフ・クリントとこれこれについての関係を述べてますけど、アフ・クリントの書いたものに出てきませんよね、と言うと、岡崎は、美術史は、書かれたものだけをファクトとして扱うのは悪弊と一蹴している。これは、この時代のある人が何を見ていたか、は、物証から言えるでしょ、と(岡崎は例として、自分(岡崎)がドラえもんについて書いていないからといって岡崎がドラえもんを知らないことはないでしょ、と述べている。これ、本誌でいうと、アフ・クリントは多分ボーナダーを見ていたでしょう、という論がそれにあたると思う。あれは、当時この美術館にボーナダーが展示されていて、クリントはこの美術館に行っていた事が分かっているので、見たことあるでしょう、という推論をしていた)。
当時のスウェーデンの文化改革ムーブメントから、『ニルスのふしぎな旅』のセルマ・ラーゲルレーヴ、教育学者のエレン・ケイが輩出されている、と。日本では同じ流れでお茶の水女子大や自由学園が生まれていて、平塚らいてうや伊藤野枝がエレン・ケイを翻訳してるよと、と。
また、三輪が、アフ・クリント作品が神智学・人智学の解説になってしまっているというと、岡崎は、絵解きしていてはだめ、と。なぜ正方形かではなくどのように正方形を描いたかを考えろ、と。
また、アフ・クリントが研究所を作っていること、「10の最大物」がビルボード看板のように作られていて、また、「青の書」のように縮小版を作っていたり、バリエショーンが許容されていることから、共同制作に開かれていたものだったのではないか、という話も。