本書は、SF作家がどのようにデビューして、どのように書いているかについて語ったりしている本で、「SF小説を書いてみたい人、作家としてデビューしたい人、創作を続けるコツや、ほかの仕事と両立する方法を知りたい人、ビジネスでSFを利用したい人、SFの可能性と危険性を両方知りたい人」におすすめとある。
というわけで、自分は読者対象になっていないし、本書についてもそれほど興味はない。
では何故手に取ったかというと、以下のような感想を見たからである(よく日付見たら1年前のポストだった……)。
『SF作家はこう考える』収録の近藤銀河「過去に描かれた未来 マイノリティの想像力とSFの想像力」とても良かった。この鋭利な批評が載っていることが、この本全体に緊張感をもたらしていると思う。特に「SFの想像力が失敗し差別に加担する時」という章が、SFが差別的になりうることを明言してて重要。 かくいう自分にとっても他人事ではなくて、同論考の中では私自身がクィア的なSFとして好んでいたヴァーリイの諸作品に内在する差別的な要素が厳しく批判されており、問題点を自覚させられた。(なおこれは、だからその作家をキャンセルすべき、といった短絡的な主張をする文章ではないはず)
https://bsky.app/profile/kosukeeeex.bsky.social/post/3ks7ntp6wdm2u
ヴァーリィは自分も好きな作家なので、気になった次第。
目次としては以下の通りだが、近藤銀河の論考とインタビュー、あと津久井五月のインタビューだけ読んだ。
第1部 作家のリアルとそこで生きる術
座談会「SF作家のリアルな声(揚羽はな・大澤博隆・粕谷知世・櫻木みわ・十三不塔・門田充宏・藍銅ツバメ)」
「SF作家になるには」大森望
「戦略的にコンテストに参加しよう―さなコンスタディーズ2021‐2023」門田充宏
第2部 フィクションとの向き合い方
「え?科学技術とSFって関係あるんですか?本当に?」宮本道人
座談会「SFと科学技術を再考する(茜灯里・安野貴博・日高トモキチ・宮本道人・麦原遼)
インタビュー「“社会”の中でフィクションを書く(近藤銀河・津久井五月・人間六度・柳ヶ瀬舞)
「過去に描かれた未来―マイノリティの想像力とSFの想像力」近藤銀河コラム 小説にかかわるお仕事
編集者・翻訳者・校正者・デザイナー・『WIRED』編集者小谷知也さんインタビュー
インタビュー「“社会”の中でフィクションを書く」(津久井五月)
10代の頃から安部公房や川上弘美を読んでいたらしいけれど、SFというジャンルを意識するようになったのは、市川春子と『BLAME!』らしい。
アフタヌーンっ子じゃん
インタビューの主な内容はSFプロトタイピングについて
SFを書くことについて、おちょくるとかいたずらとかいった語彙で表現していて、作風とギャップがあった
「過去に描かれた未来―マイノリティの想像力とSFの想像力」近藤銀河
1 SFとのアナクロニスティックな遭遇
SF小説は未来について描いているが、作品は必ず(読者から見て)過去のある時点で書かれている
2 アナクロニズムとマイノリティの想像力
『攻殻機動隊』
公衆電話が描かれるというアナクロニズム
『GIS/攻殻機動隊』
素子が生理(月経)に言及→サイボーグになぜ生理があるのかと議論を呼んだシーン
スタージョン『ヴィーナス・プラスX』
→アナクロニズムに自覚的な作品で、ジェンダー規範の変化を意識させる
シュー・リー・チェン作品
ミンディ・セウ『Cyberfeminism Index』
ヴェイパーウェイブ
→このジャンルではトランスジェンダー作家が活躍していたらしい
3 過去を想像する時間を飛び越える
MCU映画『エターナルズ』
伴名練「ゼロ年代の臨界点」
”クィア・タイム”
→ハルバースタムが提唱した時間概念。異性愛規範によって作り上げられた人生の時間(成長、卒業、結婚など)から外れた時間のこと
マット・ラフ『ラヴクラフト・カントリー』
→誰がホラーの中で恐怖の対象となるのかということと黒人差別とを結びつけた作品
4 SFの想像力が失敗し差別に加担する時
伊藤計劃『ハーモニー』
→身体の管理をテーマにしているが、出生については扱われず、出生の管理という差別については取りこぼしている
ジョン・ヴァーリィ作品やタニス・リー『バイティング・ザ・サン』
→性別移行を扱っているが、トランスジェンダーの経験や葛藤は無視されている。異性愛規範は維持され、同性愛者も無視されている。田中兆子『徴産制』も性別移行という道具立てで女性差別の現実は描くが、トランスジェンダーとは重ならない、と。
5 フェミニズムとジェンダーと言語SF
SFに言語SFというジャンルがあることと、フェミニズムやジェンダー理論に言語による構築性という観点があることとを類比させている。
以上のように、かなり多くの作品を駆け足で見ていく論になっていて、一つ一つの作品についてあまり深く掘り下げられているわけではない。
ヴァーリィ作品についても、わりとざっくりとした話ではあると思う。がしかし、性別移行を扱っているが、トランスジェンダーについては無視されており、その無視こそがトランスジェンダー差別を生産するものである、という指摘は、ドキリとさせられるものがある。
冒頭に引用した感想ポストにもある通り、「これは、だからその作家をキャンセルすべき、といった短絡的な主張をする文章ではないはず」
さらにいえば、だからこの作品はダメだ、ということでもないだろう。
例えば、本論が冒頭で提示している、『攻殻機動隊』には公衆電話が出ているという指摘についてだが、これは『攻殻機動隊』が未来予測に失敗している例であるが、かといってだから『攻殻機動隊』はダメな作品だ、ということにはならない。
ではこれはどういうことなのかといえば、現代の読者は、『攻殻機動隊』という作品が描かれた時代には、公衆電話がなくなる未来を予測することができなかった、ということを読み取らないといけない。
ヴァーリィ作品への指摘もそのように考えるべきだろう。
つまりこの指摘は、作品そのものについての評価というよりも、その作品に何が書かれて何が書かれていないのかから、読者が何を読み取らないといけないのか、ということを問うている。
だからこそこの指摘は、ドキリとさせられるものなのである。