進化学と優生学の歴史について書かれた本
著者は『歌うかたつむり』などでも有名であり、一般向け著作がいずれも評判がいいので気になっていた。
生物学者として、進化学と優生学の研究史をまとめているが、前半で出てきた進化生物学者たちが、後半で優生学者として登場してきており、進化学と優生学が表裏一体であることが分かる。
文章もうまくて読みやすいし、倫理学への言及もよくなされている。
進化学への誤解や過度の単純化、あるいは偏見を科学によって都合よく正当化することなどを「呪い」と呼んで、その呪いの現れとして優生学の歴史が描き出されている。
ただ、筆者は、こうした誤解や単純化、都合のよい正当化を、単にそうした人たちとの愚かさや邪悪さのせいにはしない。
誤解にいたる歴史的経緯であったり、あるいは邪悪さよりも善意が動機となっていたり、ということを指摘し、優生学をただの過去の出来事としてではなく、未来への教訓として捉え直している。
第一章 進化と進歩
ダーウィンは『種の起源』でevolutionは使わず、transmutationを使っている
evolutionは、「展開する、繰り広げる」という意味のラテン語に由来
現在、生物学でいう「進化」は、方向性のない進化のことを指し、ダーウィンの独創性はそこにある。進化を「進歩」のような意味で使うのは、誤りだとされる。
しかし、当時、evolutionという言葉は、発展や進歩のような意味で使われていた。だからこそ、ダーウィンもevolutionは使わなかったのである。
むしろ、現在の「進化」の意味の方が、元々は異端だったのだ、とまで述べられている。
のちにダーウィンも、evolutionという言葉を使うようになってしまい、この違いは曖昧になってしまう。
進化を進歩の意味で使うのは、確かに誤りではあるのだが、もともとは誤りではなかったし、ダーウィン自身が区別を曖昧にしてしまったので、誤解されてもいたしかたない経緯があったということである。
ダーウィンは、研究者になることを父親から反対されていたが、ジョサイア2世のフォローによってその道に進むことができた。
ダーウィン家とジョサイア家というのは、度々、婚姻関係を結ぶなど、交流があった。あとで、今度はジョサイア4世とかも出てくる。
ダーウィンは、マルサスからの影響を受けているが、生存闘争の意味合いについて、マルサスとは違いがある。マルサスが文字通り、闘争をイメージしていたのに対して、ダーウィンは環境への適応全般を「生存闘争」としている(文字通り闘うことだけでなく、時に協力しあうようなことも含まれる)。
自然選択の3つのタイプ
方向性選択、分断性選択、安定化選択
『人間の由来』
道徳性も自然選択によって生み出された
ダーウィンは集団選択について言及している。
のち、集団選択の単位として、国や民族なども考えられるようになる。
集団選択は、20世紀初めまでは研究者たちにも受け入れられていた。が、総合説により否定された。
しかし、その後、マルチレベル選択として、複数のレベルの単位に同時に選択がなされるという考えが生まれてくる。
第二章 美しい仮説と醜い事実
第2章は、「適者生存」とスペンサーについて
章タイトルはハクスリーの言葉
- 「適者生存」という語をめぐって
この言葉を使ったのはダーウィンではなくスペンサー
自然選択は創造的な作用であるのに対して、適者生存は変化を止める作用で創造的な作用ではない(自然選択の3つのタイプのうち、適者生存は、安定化選択のみを指す、ともいえる)
このためもともとダーウィンは使っていなかったが、ウォレスが「適者生存」を採用する(「自然選択」という言葉は、誰かが意図的に選択しているように誤解されるのではないか、とウォレスは危惧したらしい)。それをうけて、ダーウィンも使うことになる
ただ、上述のように「適者生存」と呼ぶことで自然選択の創造性がオミットされてしまう弊害をハクスリーは指摘している。
- スペンサー
自然選択を適者生存として理解したスペンサーは、そこに創造性を見いだせなかったので、創造的な面をむしろ、ラマルクの獲得形質の遺伝に見いだす。
また、進化理神論を奉ずる。
進歩は偶然ではなく必然というエヴォリューションの法則によって、森羅万象を説明しようとした。
ここでいうエヴォリューションは、ダーウィン的な意味ではなく、進歩とかの意味
自然の法則は道徳的であり、これに従うことで道徳的になれると考えた。
それゆえ、自然の法則に介入しない方がよいと考え、政府による介入的な政策に対して批判的であり、また、他者危害原則による自由概念を支持し、リバタリアニズム的な思想を持っていた。
ところで、社会ダーウィニズムという時、実はそれはダーウィンの考えではなくスペンサーの考えを指すのだ、という指摘はよくなされるが、この社会ダーウィニズムないしスペンサー主義に対して通念的に抱かれるイメージと、スペンサー自身の思想も異なっていることが指摘されている。
つまり、社会ダーウィニズムないしスペンサー主義は、弱肉強食的な世界観や植民地主義を正当化する思想として捉えられがちであるが、
スペンサー自身は、協調的で利他的な社会を理想としており、また、植民地主義には否定的であった。
とはいえ、スペンサー自身の考えとは別に、社会ダーウィニズムが植民地主義の正当化に利用されていった面はある。
日本への「適者生存」の輸入についても説明されているが、ここでも、本来のスペンサー思想とは異なる形で受容されたということである。
第三章 灰色人
章タイトルは、H.G.ウェルズから
ダーウィン理論がどのように一般に普及したか。
ダーウィンは一般への普及を目指していて『種の起源』も一般向けに書かれたが、ダーウィンが期待するほどには売れなかった。
一般への普及という意味では、ハクスリーが貢献している。
ダーウィンは、自分よりハクスリーの方がその点での才能があると思って、ハクスリーに頼み込んでいる。
多くの科学者は、方向性のない進化や自然選択まで受け入れたわけではなかった
また、ダーウィン自身が晩年にラマルク的な進化を受け入れていたので、ダーウィン支持者もダーウィンが多元的な進化プロセスを認めたと考えていた
進化の概念を普及させたのは、サイエンス・ライターたち
しかし、大半は自然神学の支持者
また、そうでなかったとしても、スペンサーの支持者かラマルク進化の信奉者
- 19世紀に大きな役割を果たしたライター=ベンジャミン・キッド
闘争による適者生存
スペンサー進化論の枠組みに粗雑な自然選択を組み合わせたもの
ラマルク進化の場合、個人の努力が次世代に受け継がれるので、個人と社会が結びつく(スペンサーの社会有機体論)
自然選択は、そうではない
キッドは、個人と社会の利害対立の緩和剤に宗教を持ち出す
チェンバレン、マッキンリー、梁啓超、内村鑑三が影響を受ける
ハクスリー
自然選択は道徳の基礎を提供できないと考え、自然と人間社会をはっきりと区別
スペンサーと異なり、政府による介入を支持する
正統的ダーウィン理論の普及につとめた人物
- 動物学者レイ・ランケスター
ダーウィン、ハクスリーとランケスターの父親が友人で、正統的なダーウィン理論をよく理解していた。
- SF作家H.G.ウェルズ
『タイムマシン』のボツ原稿にかかれた灰色人のエピソードが引用されている。
ここでは、盲目的な進化が描かれている。
ウェルズが、ダーウィンの考えた方向性のない進化という考えをちゃんと理解していたのは、ハクスリーとランケスターのもとで学んでいたから。
第四章 強い者ではなく助け合う者
「最も強いものが生き残るのではない。最も賢いものが生き残るのでもない。唯一生き残るのは変化できるものである」
この言葉はダーウィンの言葉として紹介されることが多いが、実はダーウィンの著作からは見つけられない(どころか、ダーウィンは強い者が生き残るとすら書いている)。
1963年、経営学者レオン・C・メギンソンが『種の起源』からの引用だとして紹介しているのが初出しだとされる。
さらにこの元ネタを遡ると、前半部については、アナキズムの思想家でり生物学者でもあるピョートル・クロポトキンから
ところで、日本の新人官僚向けの書籍案内の中で、『種の起源』が、誰もが名前を知っているが読んだことがない本として紹介されており、その上で、上記の引用がなされているという。筆者は、見事な予言の自己成就であり、またこの引用箇所がじつはアナキストによるものなのは何とも皮肉だ、と述べていて、ちょっと笑ってしまった。
シベリアのフィールドワークを手がけ、ダーウィンの進化論と、ケスラの相互扶助による進化説から影響を受ける。
クロポトキンは、ダーウィンのいう進化を正しく理解していたが、「生存闘争」の意味をめぐり、ハクスリーを批判
つまり、ダーウィンのいう「生存闘争」は、文字通りの闘争だけでなく、環境への適応全般を指す概念であり、争うのではなく協力する場合も含まれる。
しかし、ハクスリーは闘争的な面だけを受け取っていた。これに対して、クロポトキンは、協力なども含むという点を重視し、これにケスラの影響を受けて、相互扶助を協調した。
強い者が生き残るわけではない、というのは、そのことを言い表したものであって、ダーウィンを誤解していたわけではなく、クロポトキンはクロポトキンで正しくダーウィンを解釈していたのである。
しかし、当時においては、協力関係を自然選択で説明するのは難しく、クロポトキンは、ラマルク的な獲得形質遺伝へ傾いていく。
といったところで、では、協力がどのように自然選択で説明できるようになったのかということで、利他性の進化についての研究史が解説されている
トリヴァースとかハミルトンとかアクセルロッドとか
さらに、道徳自体が進化や遺伝によるものなのではないか、という哲学者等の見解が駆け足で紹介されていく。
このあたり、筆者は進化生物学だけでなく、関連する倫理学についても詳しいということが分かる。
リチャード・ジョイス
道徳は自然選択の産物。ゆえに善は普遍的ではない
ジョナサン・ハイト
道徳的判断は進化による遺伝的背景をもつ
ロバート・ボイド
文化的な要因を重視。文化進化。
また、こうした哲学者等の見解とは別に、トロッコ問題における道徳的判断とオキシトン受容体遺伝子の多型が関与するという研究も紹介されている。
ジュリアン・サヴァレスキュ
トランスヒューマニズム
道徳と進化に関する現代の議論が、4章で展開される構成は、ちょっと驚かされた。
第5章では再び19世紀に戻るので、時間順序的にも飛ぶし、テーマ的にも、こういう話題って、最後の方に応用・発展として触れるのがわりと普通かな、と思うし。
実際、トランスヒューマニズムの話は本書の最後で再び取り上げられることになる。
しかし、協力関係・利他性を自然選択・進化でどのように説明するか、という話をクロポトキンからつないでいくのは自然な流れだったし、この本はただの生物学史の本ではなくて、進化生物学と道徳・倫理との関係を問うていく本だよ、というのがここで印象づけられることになる。
第五章 実験の進化学
ネオ・ラマルキズムの隆盛と没落
あるいは、古生物学や遺伝学と進化学との関係についての章
コープやオズボーンといった古生物学者は、恐竜ファンとしてはよく名前を知っているが、進化論との関わりでどのような存在だったのか、というのは知らなかったので、面白かった
というか、オズボーンのことはもっとちゃんと知りたい感じがする。
- ネオ・ダーウィニズムvsネオ・ラマルキズム
獲得形質の遺伝が起きないことを実験から主張したヴァイスマン
これをスペンサーが批判しはじまった論戦が、2つのネオ・~ズムの対立の始まり。
なお、前者は獲得形質の遺伝を完全否定していたが、後者は自然選択を否定していたわけではない。
自然選択は変異がどうなるか説明するが、なぜ変異が生じるのか説明しない、というのが19世紀の段階では問題だった。
- アガシの弟子たち
19世紀後半のアメリカの動物学者は、ほとんどがルイ・アガシの弟子
アガシ自身は進化論を否定
アガシの弟子たちのなかで、例外的に正統的なダーウィン進化論の支持者2人
エドワード・シルヴェスター・モース
デヴィッド・スター・ジョーダン
モースは東京帝大の教授となったが、ジョーダンも3度来日したことがある人物
ジョーダンは魚類学者で、地理的隔離による種分化を発見した
- アメリカのネオ・ラマルキズムと古生物学
エドワード・コープとアルフェウス・ハイアット
ヘッケルからの影響を受け、個体発生の変化から変異が生じるとした、ラマルク的な新亜k
ダーウィンが化石資料を使わなかったのに対して、化石記録こそがダーウィンを補完するものと考えた
が、ダーウィン以前のエヴォリューション概念をくんだ、方向性のある進化=定向進化
ヘンリー・オズボーン
コープから指導をうけた
適応放散=もとは、オズボーンが、生物のもつ内的な力によって各種が進化していくパターンを呼び表すのに作った言葉
博物館、動物園、古生物学の普及、啓蒙活動に貢献
アインシュタインに次ぐ人気と知名度の高さをもつ科学者
- アメリカにおける遺伝学の進展
オズボーンは、獲得形質が遺伝するか実験で確かめようと呼びかけ
コールドスプリング・ハーバー研究所
オスボーンがカーネギー財団の諮問委員として提案し、設立された進化実験を行うための研究所
初代所長のチャールズ・ダヴェンポート
定量的研究を目指し、メンデル遺伝の研究を重視
ダヴェンポート自身の研究には難があったが、資産家などからの資金援助とリーダーシップで、アメリカの遺伝学を発展させる
コロンビア大学のモーガン
ショウジョウバエの実験
ネオ・ラマルキズムは失墜していく
モーガンについて、山賊のようという形容がなされているが、このモーガン研究室の様子については、中屋敷均『遺伝子とは何か』 - logical cypher scape2にも描かれていた。
- ドブジャンスキー
モーガン研究室に所属
生殖的隔離の進化プロセス
「種」を生殖的隔離に基づき定義
ドブジャンスキーーマラーモデルという、生殖的隔離による種分化モデルを提唱
適応地形と生態的ニッチを関係づける
オズボーンの元部下シンプソンは、このモデルを化石記録に応用
第六章 われても末に
- フランシス・ゴルトン
ダーウィンのいとこ
適応度(という言葉は使わなかったがそれに相当する概念)を用いて、集団遺伝学の基礎となった。
ダーウィンのパンゲンを証明しようとしたが、逆にないことが証明されてしまった
回帰と相関という概念をそれぞれ導入
子世代は平均に戻っていくという現象で、ゴルトンはこれを発見したので、進化においてダーウィンがいうような漸進的な変化は起きないと考えるようになった。
ゴルトンからそれぞれ違うものを受け取った2人
ウィリアム・ベイトソン→飛躍的な変化という考えを受け取る
ウォルター・ウェルドン→計量的な研究方針を受け取る、そのため、連続的な変化と考えた
この2人は、元々は非常に親しく、研究上の考え方の違いも友情に影響しなかった
がしかし、ある時期を境に、論争するようになっていき(私的な問題も関わっていた)、最終的に2人の友情は決裂する
- カール・ピアソン
ウェルドンの新たな盟友
フェミニストでマルクス主義者
ウェルドンと知り合ったことで遺伝学の研究に乗り出し、その過程で、カイ二乗検定、P値、主成分分析、相関・回帰分析、多変量解析などの統計学のツールを生み出していった。
ウェルドンを通じてゴルトンと出会う
人類学者フランツ・ボアズ
ダヴェンポート
メンデル派(ベイトソン、サンダース、パネットら)
生物測定学派(ウェルドン、ピアソンら)
ベイトソンとウェルドンの対立は、2つの学派の対立となった。
ベイトソンは、メンデル遺伝学と出会い、これを自身の考えと結びつける。
ベイトソン
「遺伝学」「ホモ接合子」「ヘテロ接合子」の名称をつくった。
大きな変化は突然変異のみによって生じ、自然選択は安定性の維持のみと考える
ウェルドン
因果関係が解明できるほど科学はまだ進んでいない
ピアソン
そもそも科学は数式による記述であり、因果関係の追及ではない
- ロナルド・フィッシャー
1918年の論文(1916年に一度投稿したが、その際、ピアソンからもメンデル派からも評価されなかった)
「分散」概念を導入し、メンデル派と生物測定学派の統合を成し遂げた
ただし、この論文の意義が正しく理解されるようになったのは、1960年代だった
自然選択と遺伝的浮動の効果をともに含む進化の一般モデル
1930年『自然選択の遺伝的理解』
フィッシャーを支えた人物として、ダーウィンの息子、レナード・ダーウィンがいる。
レナードは進化論についても詳しく、支援だけでなく研究上の助言を与えた。
メンデル派と生物測定学派の統合を示唆したのもレナード
フィッシャーによる統合ののち、ドブジャンスキー、ジョーダン、ホールデンの研究が融合し、進化の総合説(ジュリアン・ハクスリーが命名)となっていく。
第七章 人類の輝かしい進歩
1927年 アメリカ最高裁が強制不妊手術を許可するヴァージニア州法に合憲判決
→ヒトラーはこれに関心をもつ。ナチスの手本はアメリカだった
- ゴルトンと優生学
1883年『人間の能力とその発達の研究』
「優生学」という用語誕生
ただし、ゴルトンは『種の起源』を読んだ時からずっと優生学を考えていた。
英国社会のレベルを高めるための人為選択
しかし、ゴルトンが「適した」性質と考えたのは、英国の中産階級の価値観を反映した、自分たちに都合の良い基準
正の優生政策:「適した」者を増やす
負の優生政策:「不適な」者を減らす
この2つの区分を考えたのもゴルトン
IQテストの起源(フランス→アメリカ)
1904年 ロンドン大学に優生学記録局設置
1907年 優生教育学会設立
1907年 優生学記録局をピアソンに
- ピアソンと優生学
自然のプロセスで行われてきた「浄化」を自発的に実行しなければ
ピアソンにとって道徳的な正しさは、集団の生存
階級対立はその障害になる
→社会主義+帝国主義によってこそ、実現が可能
政策を正当化するために科学的事実を歪曲(ユダヤ人と非ユダヤ人を比較した研究で、サンプルに偏り)
負の優生学を打ち出す
非専門家が多い優生教育学会とは関係をもたない
一方、優生教育学会は、レナード・ダーウィンを迎える
第八章 人間改良
イギリスの優生学について
- レナード・ダーウィン
進化は進歩ではないからこそ、人間の介入が必要
貧困層・下層階級の出生率の高さを懸念
イギリス優生学は、社会階級の問題と関連している。
- フィッシャー
学生時代にケインズとともにケンブリッジ大学優生学会立ち上げ
『自然選択の遺伝学的理論』後半は優生学の「怪文書」
社会的成功と生物学的成功の逆相関
→レナードと同じく、貧困層や下級階層の方が出生率が高く、社会的に成功する程出生率が低くなるパラドックスを指摘・懸念した
これを解消するために、上位階級(知的階級)への家族手当を提案した。
ホールデンやジュリアン・ハクスリーも優生学者
負の優生政策も
イギリスでは、人種や民族は対象とならず、階級が対象だった
- ベンジャミン・キッド
優生学批判をしたまれな一人
晩年を優生学とその布教者であるピアソン批判に費やす
ここまで、進化の総合に貢献した(つまり進化学史的にはヒーローの)ゴルトンやピアソン、ダーウィンJr.が、実はごりごりの優生学者でもあったことが書かれた後に、第3章では、スペンサー進化論を世間に広めた(つまり進化学史的にはむしろ悪役的な)キッドが、ここで優生学批判者として登場してくる展開は、正直熱い展開だな、と思った(文章構成がうまい)。
1905年頃から、キッドと同じく優生学批判を行う
どのような学説を支持しているかと、優生学を支持するかにはあまり関係がない
ピアソンの盟友のウェルドンは優生学と関わらず
ベイトソンのリベラルな人間性を結びつける意見もあるが、筆者はこれもあまり関係ないとしている
ベイトソンは別にリベラルではなかったのでは、という点で家族との関係が簡単に紹介されているが、ベイトソンの三男が、あのグレゴリー・ベイトソンで、名前の由来はグレゴール・メンデルということが明かされている。
ベイトソンが出てきた時から、このベイトソンってあのベイトソンと関係あるのか? と思いながら読んでいたら、ちゃんとそれについても種明かしが用意されていて、文章が上手い。
- ジョサイア・ウェッジウッド4世
優生学は、福祉政策を削減したい政府にとって都合がよかった
また、女性の権利向上運動とも結びつきがあった
ダーウィンjrの働きかけで、心神耗弱者の不妊手術法案起草
これに反対したのが、ジョサイア・ウェッジウッド4世
(彼の曾祖父は、ダーウィンを支援したジョサイア2世)
議会で、ウェルズ『タイムマシン』を引いたりしながら批判。個人の自由に対する脅威であり、人権が人類の利益に優先するという視点に欠くと主張した。
これを機に、意義知る社会からも優生学への批判が出てくる
第一次大戦後、イギリスでの優生学の影響力は低下していく
政財官学を束ねるような者がいなかった結果、英国の優生学運動は衰退した。
イギリスの優生学については、リチャード・オヴァリー『夕闇の時代──大戦間期のイギリスの逆説』(加藤洋介・訳) - logical cypher scape2でも章が割かれていた。
第九章 やさしい科学
- 魚類学者ジョーダン
ゴルトンの優生学をアメリカに伝える
負の優生学を主張し、人種差別的
- ダヴェンポート
ピアソンから統計学と優生学を学ぶ
精神疾患や依存症、犯罪、貧乏すべて遺伝子が支配していると考えた
「人種」や民族」と結びつける
→これに対して、人類学者のフランツ・ボアズは、「人種」概念を否定し優生学とダヴェンポートを批判した。
政財官学に影響力を持ち優生学運動をリード
ダヴェンポートの「優生学綱領」には、のちのニュルンベルク法の原型がある
教え子の一人が作った知的能力評価テストは、人種差別の正当化に用いられた。このテストはのちに大学進学適性試験(SAT)となる
ダヴェンポートの弟子であり右腕のハリー・ラフリンは、優生学の制度化・政策化を目指す
ラフリンは、各州での強制不妊手術法案成立に関与
1924年移民法にも寄与
いわゆる排日移民法として有名だが、優生学に基づく移民排除
- フランスの優生学
アメリカは負の優生学が主流で、これは、自然選択を不利な性質を排除するものととらえていたから
フランスは、ラマルク流の考えが主流で、優生学は、運動や芸術、教育を重視する穏健なものだった
ただし、人種差別はあり、種を時間的に発展するものと考え、有色人種などを未発達な種ととらえた
アルテュール・ド・ゴビノーによる、白人はすべての人類の祖として中央アジアで誕生した「北方人種」思想がアメリカに影響した
- オズボーン
国際優生学会議は3回中2回がアメリカ自然史博物館で開催
オズボーンが優生学運動の中核だったから
1922年 アメリカ優生学会設立
人類の中央アジア起源説
→アフリカの霊長類の進化とは独立して、中央アジアで現生人類は誕生したという説
→ピルトダウン人がその証拠とされた。また、ゴビ砂漠調査もこれを証明するため。
人種の隔離、「不適格」な人々の排除を実現するために、博物館などによる啓発を行った。
オズボーンによるゴビ砂漠調査の目的が、恐竜ではなく、哺乳類や人類の調査にあった、ということは知っていたが、こういうゴリゴリのやばめの思想だとは知らなかった。
人類中央アジア起源説も、まあ当時はアフリカ単一起源説まだ全然だったもんね~くらいで捉えていた。
オズボーンは、アメリカで恐竜人気を確立させた第一人者っぽいが、その啓発・普及運動としての手管が優生学の普及にも使われているという光と闇のギャップが……
そこらへんのこと、もう少し詳しく知りたい感じあるな。
- マディソン・グラント
オズボーンの盟友で、国立公園・野生動植物保護運動・生態系保全の推進者
しかし、生態系保全の考えを人間にも適用
個体数の管理、「北方人種」の保全
グラントの著書は、若き日のヒトラーを感激させる
この人について知らなかったが、国立公園の整備や野生動物保護・生態系保全といった光の面と、「北方人種」の保全等の闇の面のギャップが……。
ダヴェンポート、オズボーン、グラントは1918年「人類起源進化研究ゴルトン協会」設立
優生学を一貫して批判
遺伝学の知識はまだ人間に応用できる段階にない
1920年代には、上述のボアズほか、優生学への批判がでてくる
- ドイツ優生学
アメリカの優生学と協力関係
ダヴェンポートとラフリンからの影響が大きい
アメリカの優生学者はナチスの政策を賞賛し、また一方で、ナチスはオズボーンを招聘したり、ラフリンに名誉学位を授与したりしている。
その後、ナチスの優生政策が過激化していくのは周知のとおり
第十章 悪魔の目覚め
優生思想の起源とナチス以後の優生思想
ゴルトンやダーウィンをあげつつ、優生学は個人の価値観に由来しているわけではない、として、古代ギリシアからあった優生思想を紹介している
プラトン『国家』
イヌやウマの育種になぞらえて、「不適格」な者の排除と「適格」な人間の繁殖を説いている
アリストテレスは、プラトンの方法には異を唱えたが、優生思想自体には賛同
優生政策はスパルタで実行されていたが、人口減が著しく、衰退
ナチスの非道によって、優生学という言葉は使われなくなったが、優生思想・政策は残った
スカンジナビア諸国の強制不妊手術
スウェーデンでは1934~1975までに6万人以上が不妊化
日本の優生保護法、1948年~1996年まで2万5000人を不妊化
1950年代、J.ハクスリーは優生学を「進化的ヒューマニズム」と呼びイメージアップに執念を燃やす
1950~60年代、マラーとドブジャンスキーの論争。いずれも優生思想
1972年、アメリカ優生学会は、「社会生物学会」に名称変更
第十一章 自由と正義のパラドクス
リベラルと優生学
優生学は、右派の活動を考えられがちだが、政治思想の左右とはあまり関係ながない、と
イギリスの20世紀初頭の優生学運動は、メンバーの思想的社会的位置づけが、戦後の核軍縮運動と共通
優生学運動の推進者は、リベラルで進歩的、科学への関心が高く、道徳意識が強い
本書の著者や読者層とも、特徴が重なるだろう、と筆者自身が指摘している
マーガレット・サンガーやマリー・ストープスといったフェミニストも優生学活動家で、強制不妊手術の提唱者でもあった
優生学を、単なる疑似科学だと切り捨てればいいわけではない、とも
ヒトラーの進化説はピアソンのそれと大差がないので。
(一方で、疑似科学という点では、オズボーンの進化論の方がよっぽどだと、何故かオズボーンに流れ弾が飛んでいた)
優生学の誤りについて、筆者は、倫理上の問題、科学上の誤りをあげつつ、最も問題なのはその「目的」だとしている
近代の優生学運動として、ナチスにいたる動きとは独立した別系統があり、その起源が忘れられているものとして、オリンピックがあげられている
普仏戦争後のフランスで、フランス人の進化的劣化が起きているという考えが、フランスの優生学運動となった
フランスは、ラマルク説による優生学がすすめられ、その方法の一つとしてスポーツ振興があった
フランスを「筋肉共和国」にしようとしたクーベルタンは、フランス国民を遺伝的に向上させるために、世界のアスリートを集めてフランス人と戦わせるものとして近代オリンピックを提案した
20世紀前半に、マッチョ文化・ボディビルの流行があったのは知っていたけれど、クーベルタンの思想は全然知らなかったので、世紀転換期の文化史という観点でも面白かった。
第十二章 無限の姿
トランスヒューマニズムについて
この言葉は、1930年代フランス人技師による造語だが、J.ハクスリーが広めた
- 遺伝的改変技術への寛容化
もともと、治療目的にのみ限って正当化されると考えられていた
1990年代、治療と強化をわける壁の弱体化
ジョン・ロールズの「一次材」概念
一次財を増強する場合に、遺伝的強化も許容されるという考え
2000年代
ロナルド・ドゥオーキン:将来世代の人生をよりよくするように考えることは問題がない
アレン・ブキャナン:機会均等に遺伝的介入が必要なこともある
性質と遺伝子の関係を単純化しがち、因果関係が不明なままで粗雑な推論しがちな点は、優生学と似ている。
が、その目的が、集団の向上ではなく、個人の向上と幸福にある点は異なる、と
しかし、トランスヒューマニズムには、子の自由を奪う、格差を固定化するという批判があり、何より、目的は優生学とは異なるが、結果は優生学と同じになるという批判がある
筆者は、トランスヒューマニズムは近い将来、部分的には実現するだろうとしつつ、一世代限りの強化なら許容できるが、世代を超える遺伝的強化には反対としている
ヒュームの法則
「である」と「べき」のギャップ
サミュエル・ハリス
道徳的価値は神経生理学的に説明できると主張
文化進化について
選択によるものかラマルク的なものによるものか、の議論の紹介や、文化進化についても、生物進化学が優生学になってしまったような、闇堕ちの可能性がありうるのではないか、とか。
道徳のパラドックス
道徳意識が強いと逆に反道徳的となる
スーザン・ウルフ
最高の道徳性を持つ人々からなる社会は、逆説的にディストピア
この章について、書評 「ダーウィンの呪い」 - shorebird 進化心理学中心の書評などでは「そこから思索に沈んでいる」「話が次々に飛んでなかなか難解だが,今の千葉の偽らざる思いなのだろう」と評されている。
読んでいる最中は面白く読めたのだが、読み終わって、いざブログにまとめようと思うと、実際、まとめにくさがあった。
ただ、第11章、第12章と単なる生物学史にとどまらない射程の広さがあり、本書の魅力となっているところだと思う。