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乾敏郎・門脇加江子『脳の本質』

主に予測符号化理論・自由エネルギー原理を用いて、感覚、知覚、学習、発達、記憶、想像、言語獲得、好奇心、意識などの仕組みを説明していく本
同じ筆者による類書としては乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』 - logical cypher scape2乾敏郎・阪口豊『脳の大統一理論』 - logical cypher scape2を読んだことがあった。
内容としては重なるところが多いが、意識について1章を割いているので読んでみようかなと思って手を取った。
実のところ、意識にかんしては、以前読んだ本とそれほど変わりがなかったという印象であったが、むしろそれ以外のところで学びがあった。
また、研究史というか、上の2冊と比較して、神経科学研究史における重要人物や偉人(?)への言及が多かったようにも思う(そのあたりは新書としての読みやすさを意識したものかなとも思う)。
扱っているトピックが多く、ヒト脳の機能を網羅的に扱おうとしているともいえるが、章によってはややまとまっていない印象のものもあった。

まえがき
第1章 脳の本質に向けて
第2章 五感で世界を捉え、世界に働きかける
コラム1 感覚統合――異種感覚を統合する
第3章 感情と認知
第4章 発達する脳
コラム2 ヘブの洞察力
第5章 記憶と認知
コラム3 海馬の機能――出来事の順序を記憶し、再生する
第6章 高次脳機能――知識、言語、モチベーション
第7章 意識とは何か
終 章 脳の本質
あとがき

第1章 脳の本質に向けて

この章はさながら偉人紹介というか。
ヘルムホルツ、ウィーナー、ノイマン、シャノンらが紹介されてる
ベルタランフィやシュレディンガーについては、人間や生命を開放系とみなしたという点で紹介
あと、ナイサーの知覚循環モデルとか
ここらへんは、色々な人たちが色々と脳とか知能とかの特徴をこういう風に説明していたよ→それを全部説明できるのが、自由エネルギー原理です、という流れだった気がする。
しかし、実のところ、あんまり今後の本書全体に関わっていない章だな、という気はした。

第2章 五感で世界を捉え、世界に働きかける

知覚と運動を、自由エネルギー原理で説明する
予測最小化や自由エネルギー理論の基本的な話ではあるけれど、
注意や精度について、ドーパミンだけでなくアセチルコリンも関与しているのか、とか
あと、ガンマ波の話とかが、気になった。
「身体化された認知」の話が出てきたが、『ワードマップ心の哲学』(一部) - logical cypher scape2では、予測誤差最小化と4E認知は相性が悪いのでは、と指摘されていたんだよな。こういう他の理論との関係とかが、なかなかわからないんだよなー

  • 歴史的な話

井上達二→日露戦争時に、脳部位の損傷と視覚の関係を発見
フェルスターが、実験で井上の発見を検証
→フェルスターの研究室で、ペンフィールドが「ホムンクルス」発見


外界は脳にとって隠れ状態→知覚とは推論
主観的な事前確率分布=生成モデル
生成モデルを使って近似的にベイズ推論
随伴性の学習
→2つ以上の事象の相関関係を、学習や発達の研究分野では「随伴性」と呼ぶ
(Aが起きるとBが起きやすいということを、経験を通じて学習していくことで、生成モデルが作られていく、ということだと思われる)
1990年 川人・乾 大脳視覚皮質の計算理論=予測誤差最小化
2006年 フリストン 自由エネルギー原理
フリストン
もともとPETを用いた研究から脳活動を視覚するソフトウェアを開発したことで有名
ヒントンとの交流→ヘルムホルツ・マシンをベースに自由エネルギー原理を考案

  • 一つの対象に属している多くの特徴をどのようにまとめあげるのか

1989年 ウルフ・シンガーの発見
ガンマ波による同期
アセチルコリン
→予測誤差ニューロンの活動を大きくする。注意機能を担う。
興奮性ニューロンと抑制性ニューロンの回路
→互いが互いの活動を興奮させ抑制させ興奮さえるというサイクルを生む
予測誤差ニューロンも興奮性ニューロン・抑制性ニューロンの回路あるので、同様のサイクル
→活動の同期(ガンマ波)
アセチルコリンがガンマ波の振幅大きくする

  • ミラーニューロン

他者の行為を自己の身体の運動を通じて把握・理解
=「身体化された認知」
予測機能も持つ
他者動作の予測をしている(軌道や意図の予測)
身体運動を担う部位が活動しているが、運動出力への精度が下がっているので、実際の模倣動作は起きない
精度をコントロールするのは、ドーパミン

コラム1 感覚統合――異種感覚を統合する

音源の位置の推定や自分の手の位置の知覚
視覚と聴覚、筋感覚と視覚とを統合している
どちらの情報を信頼するか
テレビから聞こえてくる音について、視覚の信頼度をあげているので、テレビのスピーカからではなく画面内のしゃべっている人の口元から聞こえてくるように聞こえる

第3章 感情と認知

乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』 - logical cypher scape2とかにもあった話。
感情二要因説ってプリンツと同じでは、と思ったら、『感情とはそもそも何なのか』の感想でも同じこと書いていた。


ジェームズ・ランゲ説→キャノン・バード説
1960年代 シャクターらの感情二要因説(内臓状態の知覚と原因の理解)


ホメオスタシス
ベルナールの提案したモデルを1世紀後にキャノンが「ホメオスタシス」と命名
アロスタシス
2012年 ピーター・スターリングが提案
ホメオスタシス概念を更新
→恒常性の予測制御
未来の状態に向けて調整している。不確実性を低下させる。


不確実性の変化と感情の関係の研究もある
不確実性が下がると快、上がると不快
その上がり方・下がり方に応じて、希望とか幸福とか怖れとか失望とかを分類
これも乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』 - logical cypher scape2にあった気がする。


内臓感覚皮質とGABA(神経抑制)
うつだと、GABA濃度が低い
内受容感度が低い人ほどとラバーハンド錯覚が起きやすい
内受容感覚と自閉症、ADHDの関係

第4章 発達する脳

ヘブ
ペンフィールドの弟子
1949年 ヘブ則
ニューロンAとBが同時に活動すると、AとBとの結合が強まる
学習理論の基礎
相関学習とも呼ばれる
随伴性の学習も相関学習の一例

ヒューベルトとウィーゼル
視覚の臨界期発見
脳の成長=シナプスの刈り込み


1982年 BCM理論
ヘブ則の欠点を補うもの。
つまり、同時の活動で常に結合が強まるなら、飽和してしまうのでは、という問題
シナプス後細胞の活動によって、結合が強くなるか弱くなるかが決まる。
シナプス後細胞の活動には基準値があって、シナプス後細胞が活動しているほど基準値が高くなる。


赤ちゃんの発達の話いくつか


マー
博士論文「小脳皮質の理論」(1969)
プルキンエ細胞からの教師あり学習
1992年 川人が、プルキンエ細胞の教師信号は予測誤差信号だと


GABAシフトの不全と発達障害

コラム2 ヘブの洞察力

ヘブの論文をよく読むと、ニューロンAとBが同時に発火した時、ではなくて、ニューロンAがBを発火させた時、という書き方をしている。
A→Bという順で刺激したあと、B→Aという順で刺激すると、A-B間の結合は逆に弱くなる
発火タイミングの違いにより、因果関係こみで学習している
(逆に発火して、原因と結果の関係じゃなさそうだったら学習されない)

第5章 記憶と認知

  • 記憶研究史

ジェームズ:一次記憶と二次記憶(1891『心理学の原理』)
→いまでいうところの短期記憶と長期記憶
ヘブ:短期記憶・長期記憶を提唱(1949)
スピラー:記憶の数を数える研究(1902)
ペンフィールド:電気刺激で記憶の再経験(1933)
ミルナー:ヘブの学生でペンフィールドの研究所へ。HMの研究(1957)
 →神経心理学の創始者。100歳になっても記憶研究のアドバイザー
マー:1970「大脳皮質の理論」1971「海馬の理論」
→海馬の二つの役割
(1)エピソードが混線しないよう符号化(スパースコーディング)
(2)エピソードの一部を見聞きしただけで全体を思い出せる(パターン補完)(自己連想)
海馬で一時的に記憶を保存して、それが大脳皮質へ移行する


1990年代以降
海馬が、時系列を処理することがわかってきた
海馬の損傷→時系列順序の記憶障害
記憶だけでなく、その場にないものをイメージさせると、海馬が損傷している患者は、イメージの空間的表現の一貫性が損なわれる
海馬は、時空間的な文脈を提供する機能を持つ


2003年 トノーニら「シナプスのホメオスタシス仮説」
睡眠中のシナプスの刈りこみ


概念細胞
抽象概念の符号化


場所細胞
1971年 オキーフらが海馬で発見→2014年ノーベル賞
場所の記憶そのものではなく、場所についてのインデックスの機能を持つ
シータ波の波にそって順に活動することで、道順を覚える
2010年 利根川進ら
→まだ進んだことのない場所の場所細胞も経路順に活動することを発見
→リプレイではなく予行演習(プリプレイ)
未来の想起にも海馬は関係している


神経伝達は遅い
だから、予測がある
ボールを見てバットを振ることができるのは、予測したものを知覚してるから。


コップを見るとき、脳内で仮想的に身体を動かしている
=身体化された認知
メンタルシミュレーション、と呼ぶ

  • 感想

ヘブとマーはすごいなあ、と
100歳こえても研究に関わっているミルナーもすごいけど(107歳でまだ存命か!)(ちなみに、マーは35歳で急逝している)
海馬が、記憶というより時系列処理の機能をになっている、という話面白い
概念細胞って、ニューラルネットワークに出てくる特徴量? みたいなものなのだろうか。
場所細胞の話でも、脳波の話でてきたなー

コラム3 海馬の機能――出来事の順序を記憶し、再生する

脳についてカオス理論から説明している説があるのはなんとなく知ってて、ググったら出てきた名前が、ここにもでてきた

  • 津田一郎

時系列の順序を学習することと出来事の記憶を再生することの両者が海馬で行われていることをカオス理論で説明

第6章 高次脳機能――知識、言語、モチベーション

章タイトルにあるとおり、ここでは知識、言語、モチベーションについて扱っているが、なんでこの3つを一つの章に? という話で。まあ、知識と言語は関係するとしても、モチベーションも同じ章になっているのはやや謎
知識と言語の話にしても、いろいろな話がでてきて、個々の話題はまあそれなりに興味深かったりもするのだが、全体的にこの章のストーリーがよくわからなかったところはある。
特にこの章は、こういう処理はこの脳部位でなされている、という話が多かった印象。


概念はカテゴリ構造をしている(ジョナゴールド<りんご<果物、のように)
で、そういう構造が脳部位にも反映されているっぽい、とか。


1992年 マンドラーの「イメージスキーマ」
乾 イメージスキーマと数学のカタストロフィー理論との対応を指摘
動きの種類というのは16種類だかあって、それで概念を認識している的な話


2011年 キルナー 二経路仮説
意図の理解には腹側経路と背側経路の両方必要
腹側経路と背側経路でてきたー、と思ったら、意図の理解に必要という意外な話でちょっと面白かった(視覚に関係する神経回路だよ、という話は当然説明された上で)


名詞やら動詞やら助詞やらが、それぞれどこの脳部位で処理されているか、という話が結構書かれている。


言語理解に、メンタルシミュレーションと予測


文法的知識(=生成モデル)によって、文の階層構造を推論している
予測しながら会話しているので、話者交替とかができる


モチベーションと期待自由エネルギー最小化
行動選択プロセスとドーパミン(精度が高められた行為が選択される)
眼窩前頭皮質で価値は符号化されているやら、大脳基底核ループで行動選択はなされているやら
あと、好奇心の話とか

第7章 意識とは何か

フリストンは、期待自由エネルギー(未来の不確実性)の最小化ができてこそ、意識が生じるということを述べているらしい。


内受容信号の精度は高い
→内受容感覚は知覚へ影響する
その日の気分とかで景色の見方が変わるとかはそのせいだろう、と。


自己意識をなす3つの要素
自己主体感 筋感覚の予測誤差0または小さいときに生じる
自己所有感 異なる種類の信号の統合が生じたとき
自己存在感 内受容感覚の予測誤差が小さいとき


神経には遅延があるので、予測処理をしないと過去の世界に生きることになる
運動の予測誤差が修正されるのは運動後。
事後に、知覚や認知が修正されることを「後付け的再構成(ポストディクション)」と呼ぶ
つまり、自己主体感なるものは錯覚、と下條は述べている。
皮膚ラビット錯覚も、ポストディクションの例
フリストンは、ポストディクションを、時系列全体の予測誤差最小化により説明(2016 年)
つまり、現在についての推論は、過去についての推論と未来についての推論の3時点の予測誤差を最小化するように行われる、というもの
自由意志(自分で選択したという感覚)もポストディクションかもしれない(下條)


最後、AIの対照学習(教師なし学習)って脳の学習と似てるねーみたいな話

感想

意識については最近渡辺正峰『意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く』 - logical cypher scape2を読んだが、その観点からいくと、本書の7章より2章の方が近いかと思った。
これだと、アセチルコリンやドーパミンの働きは結構無視できない。
無論、これらの機能がわかっているならば、デジタル化は可能だろうけれど、BMIでちゃんと読み取れるんかな、とも思った。
渡辺本では、生成プロセスをCGのレンダリング過程に喩えて説明していたけれど、こっちの本ではそういう話はなかった
確率分布を用いた外界についての推論=知覚である、と
意識経験というのは知覚経験のことだと思うので、これ自体一つの意識理論であるし、渡辺本が、意識とは生成プロセスのことだ、といっているのはこのことだとも思う。
現象性(クオリア)がどこから生じているのかこれだけじゃわからないのでは、とも思う一方で、いや、複数の感覚を統合しながら外界の状態を出力しているならそりゃまあ現象的なものになるんでないの、という気もする。
ところで、この本の意識の章は、冒頭にチャーマーズの話をしていてクオリアの話もふっているのだけど、その後に続くのが、自己意識の話やポストディクションの話で、それはそれで大事な話なんだけど、ハードプロブレムで問題にされている話とはまた別の話だよなあとは思った。
脳波の話が結構出てきているのだけど、脳波の役割の話というのがいまいちよく分からないでいる。
結構、意識にとっても大事そうな感じがする。

ミラノ・コルティナ五輪スキークロス男子

決勝トーナメントを見た
面白かった!
というか、スキークロスって面白かった以上に何書けばいいんだw
スキークロスみてると、自分もやりたくなるな
ああいう滑り方したい、と思った
イエローカードとか以前見ていた時はなかった気がするなあ
あと、選手視点カメラがあるのにびっくりした。
選手にカメラ持たせるとかありなんだ。よく見ると、確かにみんなゴーグルの額のあたりにカメラらしきものついてる
見てる分には面白いけど。
自分は、スキークロスの日本代表って瀧沢、河野までしか知らなかったので、今回、3人も出ていたことに驚いた。
しかも、少なくとも2人は北京も出ていたんだな。
今回のオリンピックで見たやつ、ハーフパイプ以外はみんな雪降っていた気がする。
特にスキークロス男子は、時間がたつにつれて雪が激しくなっていた印象。
解説は小野塚
小野塚ってハーフパイプの選手じゃん、と思ったけど、そういえば昔はごんちゃんが解説してたんだった

1/8ファイナル

第1ヒートから写真判定だった
フランスのチクナボリアンって2人いたけど兄弟? あと誰だったか忘れたけど、従兄弟同士みたいに言われていた人がいたような。あと、姉だか妹だかが女子スキークロスの選手とか
須貝という選手が、日本のエースだったらしいが、2ヶ月前に全治6ヶ月の怪我を負ったとかで、それでもなお出場したらしい……
第6ヒート、北京で銀のスイスのフィーバ、40歳ということだから、同じ年だ。スポーツ選手としては超ベテランというか、普通に引退しててもおかしくない年だと思うけど、スキークロスは結構息の長い選手がいたりする競技でもあり。
で、このフィーバ、やはりベテランということでうまかった。スタートが遅くてもするすると追い抜いていく。
で、後半から1位になっていたのだけど、ゴール直前の土壇場で、カナダのシュミットがさらに刺してきて1位でゴール
ところが、次ヒート準備中に、もう一度順位表出てきて、なんだ? と思ったら、シュミットが旗門通過していなかったことが発覚して、反則負けとなった。シュミット、めっちゃキレてた
第8ヒートは、日本人2人とオーストリア人2人だった。古野と小林、スタート自体は出遅れたものの、スタート直後のウェーブで巻き返して、最後、オーストリア二人に両サイドを挟まれつつも、古野は首位をキープしてゴール。

準々決勝/準決勝

準決勝にあがった8人くらいになると、少しずつ人がわかるようになるな
それにしてもスキークロスはヨーロッパに偏ってるなあという感じ
カナダ選手は何人かいるんだけど、アメリカが全くいないのが不思議
イタリア
金銀のワンツーを決めたデロメディスとトマソーニは、準々決勝、準決勝、決勝全部でワンツーフィニッシュしてたのか。
デロメディスがイタリアのエースという感じだったのかな。どのレースも終始トップを維持する感じだったような気がする
トマソーニは、途中からぐっと上がってくる感じだったような気がする。スキークロスホープ(?)と呼ばれてたのにトマソーニだったかな
スイス
北京で金のレゲツと銀のフィーバ
上にも書いたけど、フィーバはマジでうめーな
ドイツ
ウィルムズマンがドイツのエースだったのかな。1/8も準々決勝もスタートで先頭とってという戦い方をしていたが、準決勝はスタートで一番後ろになってしまって、そのままだったような気がする。
で、フロネク、実況曰く「ティムロー」(と須貝が呼んでいるらしいが)が、後ろから刺してくるタイプだった気がする。
あと、レンも1/8でそんなだったような
フランス
チクナボリアンとデュプレシス
実況(というか須貝)がスタートの鬼と呼んでいたのはデュプレシスだったかな


あと、「エスケープアーティスト」って呼ばれてた選手いたな。カナダの選手か。
なんかスキークロスの選手、あだ名持っている人多い?


準決勝第2ヒートは、フィーバが先行、古野は出遅れて3番目からついていくところから始まり、4位のティムローが刺してくる。レゲツとティムローの2位争いが熾烈で、古野はなかなか前に出れないのだが、その2人が接触してバランスを崩した隙をついて、古野2位
という、これぞスキークロスという感じの展開をしていくレースだった。
解説の小野塚が完全に感極まってしまって、リプレイの前半、完全に無言だった。

決勝/順位決定戦

準決勝あたりから、みんなゴールしたときに息が上がり始めていた。
トーナメントの前にタイムアタックもしているから、決勝までいくと5本連続で滑ることになる。
最初にも書いたけど、決勝にもなってくると、雪も結構降っていて、積雪でスピードが落ちていて、さらに疲労もあって、スタート直後のウェーブから180度ターンまでは、明らかにみんなタイム落ちてるなって感じだったけど
デロメディスが先行、フィーバが続く感じだったんだけど、トマソーニが巻き返してきて、古野もそこに最後まで食いつく。この3人が団子状態でゴール。フィーバとトマソーニは写真判定。タイム差だけみると古野も僅差なんだけど、写真で見ると結構はっきり違いがある。


ほかのフリースタイルスキーだと、滑り終わった後、フィニッシュエリアで板片方持ったりしながら順位を待つ、というのがよくある光景で、スキークロスも準々決勝あたりまではそうなのだが、準決勝あたりからみんな疲れてきてそうでもなくなってくる
古野とかストックにもたれてめっちゃきつそうにしてたし
で、決勝はなんかもうみんな、思い思いの場所に板脱ぎ散らかして、寝転がったりしていて、ここまでハードなのかーと思った

クリストファー・プリースト『逆転世界』(安田均・訳)

プリーストの第三長編(1974/邦訳1983)。プリースト初期の長編SFとして有名な作品で以前から気になっていたが、最近、創元SF文庫で復刊したのを機に読むことにした。
ネットでレビューを眺めていると、おおむね絶賛されているが、時々ものすごくdisられていて、それもそれで気になる作品だった。
荒野の中、レールの上を動き続ける都市、を舞台にした作品で、この世界が一体どういう世界なのかということを探っていく話となる。


酷評されるような作品ではないと思いつつ、めちゃくちゃ面白い作品というわけでもないという感じもする。
プリーストは、この後クリストファー・プリースト『魔法』 - logical cypher scape2とかドリーム・アーキペラゴシリーズとか、あるいは映画化もされた『奇術師』とかを書くことになるわけだけれど、ここらへんは広い意味ではSFかもしれないけれど、狭い意味ではSFではなく、どちらかといえばスリップストリームとわれるような、SFと文学の間、少しファンタジーも含む、みたいな作風の人と認識している。
というわけで、あんまりプロパーなSF書く人というイメージがなかったのだけど、『逆転世界』は確かにそういういわゆるSFな作品となっている。
なっているわけだが、おそらくプリーストの書きたい作品というのは、上述のような作品で、この作品もおそらくそういうところに重点があったのではないだろうか、と思う。
つまり何が言いたいかというと、プロパーSF作品として期待すると、そこはやや当てが外れるんだろうな、ということ。
もっというと、SFの「S」部分の種明かしやオチにあたる部分は確かに弱い。
結構SF的な大ネタは仕込んであるんだけど、最後のどんでん返しについて、全て説明がつくようになっているかといえば、確かにできていない。
とはいえ、SF作品ってみんながみんな、ちゃんと作中の事象全てに説明つけれているんですか、といえば必ずしもそうではないのでは、とも思うし、ここの点数をどれくらい厳しめに、あるいは甘めにするかは難しい。


全部で5部構成となっている。
第4部以外は、主人公ヘルワード・マンの視点で書かれるが、第1部は「ぼく」という一人称、第2部は三人称、第3部は「私」という一人称で書かれるなどして、区別されている。
舞台となっているのは「地球市」、七層構造をした建築物(木造箇所も多い)で、1年に36.5マイルのスピードでレールの上を動いている。
都市の住民の多くは、都市から出ることを許されていないが、秘密の誓いをたてたギルド員だけは都市の外で仕事をしている。
ヘルワード・マンは、成人年齢になった時、ギルドの見習員となって都市の外へと踏み出す。(この世界では、年数をマイルで表記していたりする。)
ギルドはいくつかに分かれていて、未来測量ギルド、牽引ギルド、架橋ギルド、軌道敷設ギルド、交易ギルド、民兵ギルドがあり、さらにその上に航行委員会という組織があって、都市全体の運営を行っている。
ヘルワードは、父親が所属する未来測量ギルドを志願する。ただし、見習時代はすべてのギルドを経験することになっているので、それにより都市が置かれた状況を次第に知っていくことになる。このあたりの流れは、読者としても面白いところ。
ところで、しごくどうでもいいが、「未来測量員マンです」と名乗るの、一瞬「未来測量マン」に見える(人名のマンではなくて、営業マンとか鉄道マンとかのマンに見えてしまう)。


南北方向にレールを敷いているのだけど、資源に限りがあるので、通り過ぎたレールは外してそれを前方まで持っていて再敷設するということをやっている。これが、軌道敷設ギルドの仕事。
ある程度レールが敷設できたところで、都市を動かすのが牽引ギルドの仕事。都市には原子力機関があって、牽引ギルドはこの機関の管理を司っている。
あと、進行方向に峡谷があることがあって、そういう場合は、架橋ギルドの仕事になる。
軌道敷設や架橋は、ギルド員だけでは手が足りない。
実は、都市が移動している荒野には、原住民が住んでいて、都市は原住民を出稼ぎ労働者として雇っている。その交渉をやるのが交易ギルド。原住民には貨幣経済がないので、食料とか薬品とかで雇っている。
都市がレールの上を動く話、というのは事前に知っていたのだけど、まさか、人力でレールを取っ替え引っ替えしながら、動いたり止まったりしながら進んでいっているとは思わなかった。
で、軌道や都市を原住民から守っているのが民兵ギルド。ちなみに、民兵がもつ武器は石弓。
都市は北へと進んでいるのだが、ギルドでは北方向を未来、南方向を過去と呼んでいて、都市の進行方向に斥候しにいって測量して地図を作ってくるのが、未来測量ギルドとなる。
未来測量ギルドが作った地図を見ながら、都市が進む方向を実際に決めるのが航行委員会である。


ギルドに入ったヘルワードは、軌道敷設ギルドを皮切りに見習いを始める一方で、親が決めた婚約者と結婚する。この結婚相手というのが、ギルドの秘密主義に思うところがあって、最初、ちょっと気まずくなったりもなりつつ、まあまあなんとか結婚生活は回り始めたかなあというところで、見習いの最後の仕事として、過去へ下るようにという命令が下される。
都市は、原住民の男だけではなく女も連れてきている。まあ、子供を産ませるためなのだが。契約期間が終了して、女を元の集落に連れて帰る、というのが命令の内容である。
しかし、過去へ向かう道で、ついにヘルワードは、何故都市が北への移動を続けているのか、という理由を体感することになる。


以下、ごりごりとネタバレ
南へと移動していくうちに、次第に軌道の枕木と枕木の間が狭くなったり、以前、橋を架けてこえた谷の幅が狭くなっていたり、女性たちが都市の食べ物を受け付けなくなったりと異常な事態が続く。
そして、女性たちが次第に横に引き延ばされた異様な形態へと変化し、さらに南の方角へ落下していくような感覚が生じる。
あとで、都市に帰ってくると、ギルドの中で共有されている古い本に書かれていて、世界は双曲面になっていることがわかる。南の先は無限に広がっている。
あと、都市の外にでると、太陽や月の形も円形ではなかったのだが、それの説明もつく。
落ちていくというより、地面そのものが北から南の方向へ動いていっている。最南端まで行くと無限に引き延ばされてしまう。だから、都市はたえず動いていないといけない。
また、ヘルワードの主観時間と都市での経過時間に不一致が生じていて、ヘルワードが思っていた以上の都市では長い時間が過ぎており、帰ってみると妻からは一方的に離婚されていた。
その後、ヘルワードは正式に未来測量ギルドに加わり、今度は、都市の進行方向(未来=北)への測量任務に就くことになる。
ヘルワードはもはや、都市を常に動かし続けなければいけないというギルドの方針を絶対に正しいものとして受け入れたが、都市内部では、移動を止めるべきという考えが次第に広がり始めていた。そして、その中心人物はヘルワードの元妻であった。
未来方向へいくと、逆に、ヘルワードだけが老け込んでいくことになる。次第に、都市にかかわることをさけて、測量へいっては、趣味のスケッチに耽るようになる。
そしてヘルワードは、原住民ではないが、地球市の住民でもない女性と出会う。
彼女は、ここは双曲面世界などではなく、惑星の地球だという。
かつて(200年前くらい)、化石燃料の枯渇により人類滅亡の危機があり、とある科学者が考案・発明した新エネルギー機関を動かすと、そういう知覚異常が発生してしまうとかいう説明がなされる。都市は、ただユーラシア大陸を西進していたらしい。
人類、一部を除き全体的に文明レベルが下がったのは確からしくて、彼女はイングランドから、ヘルワードたちが原住民と呼ぶ人たちへの援助ないし近代化のために派遣されていた。
最後、都市はポルトガルの大西洋沿岸までたどり着く。ギルドは、海を谷だと言い張り、架橋ギルドが橋を架けようとするが当然うまくいくはずがない。
ヘルワードはなお都市の正しさを信じて海に向かって泳ぎ出すのだった……


地球市という謎の都市の社会や、双曲面世界の異常さが描き出される前半から中盤は非常に面白い。
南の方に行った際の描写は、一体何が起きてるんだ?! となる
スペースコロニーの中にいるのかなと思ったりもしたけど、双曲面だった、とか、マジでどういうこと? となった。
その後、都市内部での意見対立が起きていくくだりも、わりと面白い。元妻が運動の中心人物になっちゃって、元妻の父親というのが架橋ギルドの重鎮で、架橋がうまくいかないことを集会で証言させられてしまうところをみて、ヘルワードがいたたまれなくなっちゃうとか、そういうとこの描写うまいし。
で、いや実はここって地球なんですよオチは、いうなれば『猿の惑星』タイプのオチだし、アイデア的には決して悪くないものだと思う。
ただ、ギルドメンバーが体験したことは全部、知覚の歪みによる錯覚なんですよという説明ですますのは、まあ確かに超展開みがあって、この作品へのdisはみなそこを問題視しているのだと思う。
で、プリースト自身は、以降の作品で、認識のズレみたいなものをどんどんテーマにしていって、そのテーマを必ずしもSF的なギミックを用いずに書くようになっていったと思う。登場人物の間で、認識のズレがあって、出来事に矛盾が生じてしまうんだけど、まさにそのズレと矛盾こそを描きたいのであって、それをSFのギミックで整合的に説明するというところにはあまり関心がないんだろうな、と思う。だから、SFギミックを廃していったんだと思う。

プリーストの長編リスト

伝授者(1970/邦訳1980)
Fugue For a Darkening Island(1972)
逆転世界(1974/邦訳1983) ← 本書
スペース・マシン(1976/邦訳1978)
ドリーム・マシン(1977/邦訳1979)
不死の島へ(1981/邦訳2026)
魔法(1984/邦訳1995)
The Quiet Woman (1990)
奇術師(1995/邦訳2004)
The Extremes(1998)
イグジステンズ(1999/邦訳2000)
双生児(2002/邦訳2007)
夢幻諸島から(2011/邦訳2013)
隣接界(2013/邦訳2017)
The Gradual(2016)
An American Story (2018)
The Evidence(2020)
Expect Me Tomorrow (2022)
Airside (2023)
リンクされているのは、自分が既読のもののブログ記事
こうしてみると、知名度に対して意外と邦訳されていないようにも思えるが、最近立て続けに出てるから、というのもあるか。

『科学2026年1月号』『日経サイエンス2026年3月号』

科学2026年1月号

  • 岩波書店

【特集】AIは科学をどう変えるのか

[巻頭言]生成科学──AIと科学の融合形態へ……橋本幸士

AIに、修士学生に対してするような指導をして論文書かせたら、修士学生レベルの論文でてきたわっていう

言葉に囚われた私たちの科学と人工無能について……瀧川一学

『言語能力は人工知能で解明できるか』という本の存在を知った。

〈異質な科学〉と〈科学の疎外〉──AIが科学にもたらす変化の哲学的含意……呉羽 真

やっぱりキーワードは「理解」かな
〈異質な科学〉というのは人類以外による科学
〈科学の疎外〉というのは、人間が理解できない形で科学が進む場合疎外が起きるよね、という話。
しかし、最後、最近のAIを巡る状況は哲学者にとっては飯の種が増えてうれしいわ(こういう言い方はしていない)というようなこと書いてて、面白かった

共同最終決定者としてのAI……出口康夫

「WEターン」から考えるAIとの科学
人間が科学の主体ではなくなってしまうのではないか、という危惧に対して、WEターンによって、「われわれ」の中にAIも位置づければよいのだ、という論
測定器具のもつ誤差(系統誤差)のアナロジーによって、人間にもAIにもそれぞれ固有のバイアスがあるが、人間だけ、AIだけで科学をやるとそれに気づけない。両者がそれぞれ協力することで是正できるのでは、とか。

「生成科学」時代のシステム論──科学のモデルとしての集合的予測符号化……谷口忠大

科学探究の全体像とは何かを考える
記号創発システム論を科学コミュニティ全体に拡張する。

数学的超知能の実現,あるいは人類の知的活動について……三内顕義

言語モデルだけだとハルシネーションのおそれがあるが、数学には、証明支援系という証明の正しさを検証できるツールがあり、これと組み合わせるという手法がある。
言語モデルに証明を出させる→証明支援系で検証→検証結果を学習させる
数学オリンピックの問題が解けるだけでなく、数学者との協働が可能に
このモデルが出してきた証明から、人間の数学者が洞察を得る、ということが実際にあった。

古代エジプト語を理解し,話す人工知能──古代言語と現代技術の協奏……宮川 創

古代エジプト語は、子音のみが書かれていて、母音は書かれていない
しかし、母音は発音のみならず文法要素を知るためにも重要(例えば英語でも、sing、sang、sungと変化するが、子音だけで書くとsngになってしまう)。
コプト語と比較することで調べる
コプト語のコーパスがあって、それを参照するAIを開発

科学を支援するAI:現状と課題……相澤彰子

論文検索、論文執筆、AI for Science、AIサイエンティストなどのこと
AIでサーベイ論文作成が増えて、arXivがサーベイは査読後じゃないと載せないことになったとか
スタンフォード大で、AI制限ばっかしても仕方ないので、AIと協力して研究しようというイベントをやってて、筆者も参加した際のエピソードが書かれていて、透明性の確保が難しいと感じたというのが面白かった。つまり、AIが研究にどれくらい関与しているかを書かないといけないが、AIをがっつり研究に組み込むほど、どこからどこまでがAIかを記述するのが難しくなる、と。

生成AI時代における論文の意義……有田正規

そもそも研究論文って情報の流通にこそ意味があるんだから、著作権とか二重投稿の禁止とかやめたら? ということを提案してる

[新連載]因果をめぐる7の視点1 連載開始にあたって……水藤 寛

東北大の数学者たちと富士通との間で、因果をテーマにした共同研究を行っているとのことで、数学者、哲学者、物理学者が集まってやっているので、それを連載していきます、という話だった。
数学と企業との共同研究は珍しいです、みたいなことが書いてあった気がするけど、確かに、数学と富士通とで因果の研究って、そんな組み合わせあるんだ?! という感じではある。

日経サイエンス2026年3月号

  • 日経サイエンス

短期集中連載:定説が覆るとき プラスチックの功罪

元々、プラスチック製品が広まったのは、象牙製品の代替として
最初が1860年代で1940年代に急増している。この時期、綿とかそういうのも化石燃料製品へと置き換わっていく。
当時は、天然資源の逼迫を和らげるという、いわばサステナビリティ問題の解決策として普及し、豪華な品を大衆的なものへ、という流れだった
が、1970年代までには、プラスチック製品の有害性の認識も広まり、現在は、マイクロプラスチックの問題がよく知られている。
また、近年になって、プラスチック製品の増加は、象牙需要を減らさなかったということが明らかになってきたという。

ミラノ・コルティナ五輪フリースタイルスキー(ビッグエア・ハーフパイプ)

ビッグエア 男子

スキーのビッグエア、五輪に採用されたのは北京から。
3回滑って点数の高い2本の点数の合計を争う。なおその2本は回転方向が違わないといけない、というルールだと初めて知った。
DNFでもDNSでもなくDNIというのも初めて見た。Do Not Includeで点数の更新がなかった、という意味らしい。
解説・小野塚。
ビッグエアって改めて見ると斜度すごいな。スキージャンプみたいな斜度あるんじゃ。
板のしなり、やべーな。factionというメーカーが多かったような気がする。モーグルにおけるID one程じゃないかも。
最大で6回転半(2340・トゥエンティースリー)とかの世界になってる。トリプルコークとか普通に回してくる。1440だとなんか回転少ないなって思えるのヤバ……
しかし、回転数が多くなくても点が伸びることもある。というか実際、金メダルのフロスタは、銀・銅の選手より回転数が少ない。バイオ軸とかバターとか(踏切の時にバターしてるらしい)で評価された、らしい。
確かそのフロスタだったと思うが、回転数勝負には興味がないというコメントをしているらしく、解説の小野塚も、そういうところが面白い競技なので注目してほしいというようなことを度々語っていた。
ターンしながらキッカーにエントリーしていく、とかもあった(カービングと呼ぶらしい)。
グラブはセーフティが多めだったかな。途中でダブルグラブになる人も何人かいた。
脚を開いて飛ぶか、閉じて飛ぶかもスタイルと小野塚が言ってた。
ドロップする時に、横の壁を一回キックしていった人がいたなあ。かっこよかった。
雪の降りしきる中での決勝で、スイッチのランディングで転倒する選手も多かったが、3回目のラン、最後の3人がメダル確定してあとは色というところで、3人とも点数を更新してきたのがヤバかった。97とか98とかのハイレベルな戦い。
ノルウェーのルードは北京で金、今大会のスロープスタイルで金で、二連覇・二冠がかかっていたが8位だった。そういえば名前に聞き覚えある。男子スロープスタイル、ちらっとだけ見たので。ただ、メモ残してなかった。


リザルト

1 Norway FROSTAD Tormod  195.50
Run 1 95.25  A  r-NB-d-Bio-14-sf
Run 2 97.00  B  x-r-TB-d-Bio-16-sf
Run 3  98.50 A r-NB-d-Bio-16-sf

スコアの後ろにあるA、Bが回転方向。1回目のトリックと回転方向が同じか違うかが区別されている(Aが右、Bが左とかいう意味ではなく、1回目に右(左)回転してたらその選手のAは右(左)ということかと)。
3回目に、A回転で1回目のスコアを更新したので、採用されるのは2回目と3回目のスコアとなり、97.00+98.50=195.50というのが最終的なスコアとなる。
トリックの種類の読み方は全然わからんが、NBがノーズバター、TBがテールバター、Bioがバイオ軸、数字は回転数、sfがセーフティグラブのことだと思われる。

2 USA FOREHAND Mac  193.25
Run 1 95.00 A x-l-tC-21-Mu
Run 2 95.00  B  l-NB-tC-19-sf  
Run 3 98.25  B l-NB-tC-21-sf

tCはトリプルコークかな? Muはミュートグラブ。21だからどっちも6回転やってんのか

3 Austria SVANCER Matej  191.25
Run 1 91.75 A x-l-TB-tC-18-sf
Run 2 95.25   B  l-Hd-tC-19-sf
Run 3  96.00 A   x-l-TB-tC-21-sf

ビッグエアってエレベーターで上がるんだ?!

ハーフパイプ男子決勝

解説の小野塚が、最後に実況のアナウンサーから「一言でまとめると」とふられて「高さは正義」と答えており、実際、高さ勝負なところもあったが、一方で、転倒も多発する決勝だった。パイプ自体がスピード出るようになっていたのかもしれない。
正直、パイプは見ててもトリックが全然見分けられないが、最後の最後まで順位が更新されていくので、ハラハラしながら見れて、アツい展開だった。

1 USA FERREIRA A 93.75
2 EST SILDARU H 93.00
3 CAN MACKAY B 91.00
4 USA GOEPPER N 89.00
5 USA IRVING B 88.00
6 GBR KENWORTHY G 84.75
7 CAN LONGINO A 76.50
8 IRL LYNCH B 75.00
9 NZL HARRINGTON B 73.75
10 USA HESS H 58.75
11 CAN MARINEAU D 22.50

決勝進出は12人だが、一人怪我で辞退とのこと。日本人選手が予選13位にいたらしい。
ハーフパイプ決勝は3回滑って最もよかったスコアで競う。
現在、難度の一番高いのは1620(4回転半)で、それをバックトゥバック(2回連続)でやったりやらなかったり、というあたりなのかなあ
高さでいうと、最大で5.5mとか出てた。ヤバい。5m超えるとめちゃ高ぇな、という感じ。一番高かったのと平均の高さが表示されるのだけど、まあまあ、平均は3m台かなあという感じなんだけど、金のフェレイラだったか誰だったか平均5mいってたのでは?
この手の種目は世代交代が激しいのだが、名前に見覚えある選手が二人いた。
ニック・ゲッパーとガス・ケンワージーである。
ケンワージーは、小野塚がW杯で優勝とかしていた頃に、やっぱり表彰台に何度も立っていた選手で、小野塚も自分が現役時代に戦っていた選手が今もなお五輪のファイナルで戦い続けていることは本当にすごい、と称えていた。
ニック・ゲッパーは、元々スロープスタイルの選手で五輪メダリストである。3回目だか4回目だかの五輪出場なんだけど、今大会からハーフパイプに転向してきたらしい。
それから、自分は名前を覚えていなかったのだけど、アレックス・フェレイラも、ほぼ同世代(30代前半)で、同じような時期からトップで活躍している選手だった。今まで五輪の金だけとっていなかったとのことで、悲願の五輪・金
対して、銀メダルのシルダルは、19歳で五輪初出場だったとのこと。エストニアってのもわりと珍しいな、と思った。やっていたトリックも、ほかの選手と雰囲気が違って見えたけど、よくわからない。
ゲッパーは、ただ一人、バイオ軸のエアを飛ぶ選手で、2回目のランで決めて89点で暫定3位になっていた。3回目のランでは、さらに回転数を増やしたが、リップに落ちてしまい、かなり派手なクラッシュ。かなり怪我が心配になる落ち方で、担架も運び込まれていたが、一応、最後は一人で立ててはいた。
で、予選1位のマッケイは、決勝の1回目、2回目ともに失敗して低い点数に沈んでいたのだが、最後の最後、91点を出したことでゲッパーを抜いて、銅メダルに、というのがなかなかアツイ勝負だった。
誰だったかな、失敗したあとも、客にサービスしてた人いたな。リップ上でハイタッチしていったり。あと、確か別のランだけど、コザックみたく開脚してストック8の字に回すの、とか。あれすごかったな。
ビッグエアの時にもいってたけど、今回の五輪、客席との距離が非常に近くて、雰囲気のよい大会だった、と。ハーフパイプも、横から見れるのなかなかいいよなあ、と思った。
ビッグエアも、フィニッシュエリアと客席の距離が近くて、滑り終わった後すぐに関係者のところにいってる選手が結構いた。

『Newton2026年2月号』『日経サイエンス  2026年2月号』

Newton2026年2月号

From朝日新聞 謎多き琵琶湖の水中遺跡

水中考古学の話
11月に発表された、琵琶湖での水中遺跡調査について
そもそも日本では、水中遺跡の存在がまだあまり認知されていない。
調査が難しいからだが、それを補う技術が発展してきたという話
今回の調査で使われた水中レーダーは、海底ケーブルの調査に用いるもので、考古学調査に使われるのは初めてだったが、人間が潜るのと遜色ないデータがとれた、と
水中はGPSが使えなくて測位データがとれないとか、多くの水中ドローンはカメラが一つしかないとかがネックだったのだけど、今回使った機材は、4台のカメラで座標と立体的な地形データもとれる。

発見間近!? 地球外生命 監修 関根康人 執筆 福田伊佐央

CoLDスケール
NASAが提案した、バイオシグネチャーの信頼度を評価する7段階のスケール。地球外生命探査をどうやって進めるかというガイドにもなる
金星のホスフィンや火星のメタンは、実はレベル2(真のシグナルであること)もクリアしてない、と。
ホスフィンがそうなのは知ってたけど、火星のメタンもそこまだクリアできてないのか
2025年9月に火星でパーセヴィランスが発見したノジュールはレベル2までクリアしている。硫酸還元細菌によって作られた可能性があるらしい。
地球の生命とは材料が異なる生命について
そういう場合も、使われている分子には、選択性と機能性があるという点から、生命を探すことは可能だとか。
系外惑星の話で、グレース・ローマン宇宙望遠鏡やHWOやTMTが紹介されているが、TMTはアメリカ側の予算が打ち切られる可能性があると書かれていた……
惑星保護の話で、地球の生命が火星に持ち込まれた場合、火星で生きていけるのかという話をしていて、火星は窒素が少ないのでまあ多分生き延びれない、と。窒素問題は、火星入植する場合にも課題となる、と。

大澤正彦─ドラえもんに挑む

インタビュー記事で、サブタイトルに「意図を読みとり,人に寄り添うAIをつくる」とあるが、意図をくむ、というのがAIの課題。これは、LLM以前も以後も変わらずそう、ということっぽい。
子供の頃からドラえもんを作りたいと思っていたが、思いすぎて逆にドラえもん嫌いになってた時期があるみたいなことも言っててちょっと面白かった。

人間のとなりで暮らすクマ 街に出没する「アーバンベア」は なぜふえているのか? 監修 小池伸介 執筆 小野寺佑紀

人の手の入っていない土地が拡大している、というのが衛星写真データ付きで示されたり
山と人里の間の中間地帯から人が消えて、クマが進出しちゃったよね、という話で、そこをやっぱりどうにかするしかない、と。
山に住んでいるクマは相変わらず人に近づかなくて、中間地帯に進出したクマ、さらにはそこで生まれ育っちゃったクマとかがどんどん「アーバンベア」になっていく、と。

歴史から消されたファラオ ツタンカーメンの父,アクエンアテンの謎にせまる 写真 鈴木革 監修 河合望 執筆 迫野貴大(編集部)

アメン信仰だったのをアテン信仰に無理矢理変えて~みたいな話
大体、知っている話だったような気がする
 

日経サイエンス  2026年2月号

  • 日経サイエンス

短期集中連載:定説が覆るとき② 神経は再生する D. クォン

神経は一度損傷したら回復しないと思われてきた
末梢神経については、19世紀頃から神経再生についてわかってきて、20世紀にカハル(!)がメカニズムを示した。ただ、縫合手術は益より害が上回ると思われてきた。神経の縫合手術は二つの世界大戦によって進展する。
切断より潰された場合のほうが再生しやすいらしい。
中枢神経については、20世紀後半。
成人の脳でニューロンが新生するとは思われていなかった。今でも議論が分かれているらしいが、それでも成人の脳でニューロン新生が起こる証拠は積み上がっている。ただ、海馬など限定された領域に限られる。

銭清弘『芸術をカテゴライズすることについて』

サブタイトルは「批評とジャンルの哲学」
批評というか、批評のことをも含む芸術鑑賞のことと、ジャンルについて
銭さんの博論の書籍化だが、博論からだいぶリライトしているとのこと
もともと、例えば応用哲学会2024年大会 - logical cypher scape2などで、もとになるアイデアについては触れていたが、こうして一冊の著作として読むことができてよかった
刺激的だし、ジャンル実践について説得力のある議論だと思った
一方、一般的な、通俗的な、あるいはぼく個人の直観とは異なるところもある。そうしたところへのフォローもなされてはいるのだけれど……。色々な人の感想も聞いてみたい。
自分はジャンルについての伝統説もそれなりに惹かれる

はじめに
第一章 批評とは鑑賞のガイドである
第二章 鑑賞とは単なる好き嫌いではない
第三章 鑑賞とは卓越性の測定である
第四章 鑑賞はカテゴライズに依存する
第五章 カテゴライズは単なる分類ではない
第六章 ジャンルとは鑑賞のルールである
第七章 ふさわしいジャンルとは制度である
第八章 批評の意義は判断の柔軟性を養うことにある

はじめに

この本で何をどのように論じていて、何を論じていないかが書かれている。
さーっとひっかかりなく読んでいたが、ブログのために見直した際、本書では、経験主義を擁護することなく採用してる(が、その前提を今は疑っているとも)と書かれているのに気づいた。
アリストテレス的説明とか、あんまり経験主義的ではないのではないかと思ったのだけど、7章の鑑賞の最適化とかが経験主義なのかな。

第一章 批評とは鑑賞のガイドである

 1 批評とはなにか
 2 鑑賞ガイドではない批評があるとする反論に応答する
 3 批評ではない鑑賞ガイドがあるとする反論に応答する
 4 酷評も鑑賞ガイドなのか
 COLUMN 選択ガイドとしての批評

鑑賞ガイドではない批評や、批評ではない鑑賞ガイドもあるのではないか、という反論に対して答えている(必要性と十分性の検討)


批評ではない鑑賞ガイドもあるのではないかを検討する中で、サティの曲に対する2つの対照的な演奏を例に出して、こうした曲に対する解釈がなされた演奏も、サティの曲の鑑賞ガイドとして機能しているので、批評といえる、という主張がされている。
「批評的だ」と言われる時の用法の少なくとも一部は拾っているといえそうで、妥当だとも思える反面、批評っていうのはあくまでテキストであって、そうではないものを「批評的」とか「批評性がある」とかいうのは比喩表現なのではないか、と考える余地もある。
「鑑賞のガイド」という考えは、基本的にはしっくりくるのだが、「批評」という言葉の定義として用いるには広すぎるような気もする。


選択ガイドは批評ではない
どれを買えばいいよ、的な奴は批評じゃないよ、と。それも批評だというと、Amazonのリコメンドのアルゴリズムも批評ということになってしまう。

第二章 鑑賞とは単なる好き嫌いではない

 1 芸術鑑賞は好き嫌いの問題なのか
 2 素朴な主観主義に反し、鑑賞は単なる好き嫌いの問題ではない
 3 ヒューム的説明――鑑賞は好き嫌いの問題だが、鑑賞者については有能さが問えるとする見解
 4 ヒューム的説明の問題点――理想的鑑賞者は一方で十分な権威を持たず、他方で過度な権威を持つ

主観主義に対して、芸術鑑賞には深刻な意見対立があるという事実と教育可能性の観点から、素朴な主観主義は成り立たないことを指摘している。
主観主義が支持されるのはむしろ客観主義への反発だろうとした上で、客観主義は「正解」があるということではない、としてその反発を和らげる。
鑑賞を説明する理論は「主観制約」と「客観制約」を満たす必要がある。


主観主義の代表例である「ヒューム的説明」
理想的鑑賞者により、客観制約を満たそうとする。


理想的鑑賞者の問題点

  • レヴィンソン

→なぜ「私」が理想的鑑賞者の意見を気にする必要があるのか
→快楽の最大化のため

  • ジェームズ・シェリー

→レヴィソンの説明は、過小評価をやめる理由にはなるが、過大評価をやめる理由にはならない

  • アレクサンダー・ネハマス

→画一化の問題(ネハマスの悪夢)

第三章 鑑賞とは卓越性の測定である

 1 鑑賞の客観的側面から出発する
 2 アリストテレス的説明――鑑賞は好き嫌いの問題ではなく、特定の目的に照らした測定だとする見解
 3 主観制約を満たさないことは美的なものと芸術的なものの区別によって正当化される
 4 アリストテレス的説明に残された課題――観点選択の問題
 COLUMN ムーア的説明?

鑑賞についての「客観制約」と「主観制約」
前者の方から鑑賞を考える


アリストテレス的説明=目的論的アプローチ
卓越性の測定としての鑑賞
芸術的価値の多元主義にコミット


主観制約を満たさない
→美的と芸術的を区別することで正当化


芸術的価値の多元主義
(1)卓越性は、ある目的を首尾よく達成できる限りにおける良さであり、端的な良さではない
(2)美的価値は、芸術の種類によって卓越性に寄与することもあれば、そうでないこともある
(3)有能な鑑賞者の普遍的な基準は存在しない(ネハマスの悪夢の回避)


アリストテレス的説明にとって、観点選択が課題


理屈としてはわりと納得できるが、感覚としてはなかなか
確かに、美的経験を伴わない芸術作品もあるわけだし、主観経験に重きをおくのもおかしいよね、というのは理解できつつ、しかし、「卓越性の測定」なんて実際そんなやってないのでは、という気もする。
もっとも「鑑賞」という言葉はそもそも多義的である、という予防線も張られているのだが。

コラム ムーア的説明?
  • ケレン・ゴロデイスキー

良いものは良いと世界の側で決まっているというムーア説を芸術へ拡張した
芸術作品に芸術的価値があるかどうかは世界の側で決まっている
芸術的価値は美的快楽を引き寄せる
美的快楽によって芸術的価値があることを知ることができる
芸術的価値について、形而上学的にも認識論的にも神秘化されている点が問題

第四章 鑑賞はカテゴライズに依存する

 1 カテゴライズが鑑賞を左右するとはどういうことか
 2 反文脈主義から文脈主義への移行
 3 美的判断はカテゴライズによって左右される
 4 美的判断論から芸術批評論へと拡張する

ウォルトン「芸術のカテゴリ」解説
ウォルトン論文そのものだけでなく、論文が発表された当時の文脈や、論文発表後にこの論文に対してなされた解釈も紹介されていて、非常に勉強になる。
特に、2020年に、「芸術のカテゴリー」出版50周年記念でウォルトン自身も含めて再検討されていたのは面白い(ウォルトン自身、当時の自分の意図がわからなくなっているところがあったり、ほかの人の解釈に対してお墨付きを与えたり、していたようだ)

主観的テーゼ:作品を鑑賞するカテゴリー次第で、特徴への重みづけが変わり、知覚される美的性質も変わる
規範的テーゼ:作品には、そのもとで鑑賞するのにふさわしい特権的なカテゴリー(Nカテゴリ)がある。これは、文脈的なものを含む一連の考慮事項を通して決定される
認識論的テーゼ:カテゴリーに依存した美的判断にとって、狭義の知識は必要でも十分でもない。美的判断は知識を動員した推論ではなく、学習を経た知覚だけに基づいて下される。(pp.96-97)

認識論的テーゼについては、認知的侵入説と知覚学習説という2つの解釈があるが、前者ではなく後者だ、とも整理されている(ウォルトン自身が後者の解釈にお墨付きを与えている)。
ウォルトン論文は、反文脈主義から文脈主義へと美学の傾向が変わっていく流れの中に位置づけられている。
が、規範的テーゼが文脈主義的である一方、認識論的テーゼは反文脈主義的である、という複雑なところがある。


エリザベス・シェリケンスによる、美的判断の形成と正当化の区別
→ウォルトンは形成についてのみ述べている
ブライアン・リーツによる、カテゴリーが役割を果たすケースの場合分け
→カテゴリーは様々な役割を果たすが、ウォルトンはそのうちの一つのことしか言ってない


何故ウォルトンは美的判断の正当化に触れていないのか
→シブリーの非推論性テーゼを前提しているから
→ところで、シブリーは知覚的証明、という非推論的な正当化を主張している
→が、実際の批評実践において、正当化はなされているのではないか?
→シェリケンスは、美的判断の形成と正当化を区別することで両立を試みている
筆者:美的性質と非美的性質の正当化構造を実現しているのものこそ、カテゴリー

第五章 カテゴライズは単なる分類ではない

 1 ふさわしいカテゴリーと属するカテゴリー
 2 芸術作品は属するカテゴリーにおいて適切に鑑賞されるとは限らない
 3 芸術作品は属さないカテゴリーにおいて適切に鑑賞されるかもしれない――奇妙さからの論証
 4 純粋な認知主義との決別

  • NカテゴリーとCカテゴリーの区別

Nカテゴリー:ある作品をそのカテゴリーのもとで鑑賞すべきカテゴリー
Cカテゴリー:ある作品が所属するカテゴリー

  • NカテゴリーではないCカテゴリーはあるか

→ゲルニカス
→そもそもウォルトンがNカテゴリーを選ぶ考慮事項に意図や確立を挙げていた。Cカテゴリーの中からNカテゴリーを選び出すため。

  • CカテゴリーではないNカテゴリーはあるか

筆者は、革新的な作品における奇妙さのパラドックスを提示している
これがパラドックスなのは、NカテゴリーはCカテゴリーでもあるという前提の時
背理法的に、NカテゴリーはCカテゴリーではないことがあることが導かれる。
「4分33秒」は、古典音楽として聞くと奇妙な作品であり革新的であるが、コンセプチュアル・アートとして聞かれる場合はそうではない。そして「4分33秒」のCカテゴリーは、古典音楽ではなくコンセプチュアル・アートである。しかし、「4分33秒」は、奇妙で革新的な作品である。

  • 純粋な認知主義との決別

作品がどのカテゴリーに属しているかと、作品をどのカテゴリーのもとで鑑賞すべきかは別問題
=カテゴリーに依る芸術鑑賞(「カテゴライズ」)は、単なる「分類」ではない

第六章 ジャンルとは鑑賞のルールである

 1 ジャンルとはなにか
 2 ジャンルとは作品を分類するための諸概念であるとする見解 
 3 ジャンルとは鑑賞を統制するルールであるとする見解
 4 作品はジャンルへと分類されるのではなく、ジャンルのもとにフレーミングされる
 COLUMN 1 伝統としてのジャンル?
 COLUMN 2 ジャンルとしてのカラー写真

カテゴリにも色々な種類(メタカテゴリ)がある。
メディウム、形式、様式、そしてジャンル
本書は、ジャンルを分類概念として捉えることに反対し、分類説に対して統制説を提案する。

  • 分類説

分類ルール:作品Xが性質Fを持つならば、XはジャンルKに属する。
ジャンルをほかのメタカテゴリからどうやって区別するか
追跡する特徴の種類によって区別できるのではないか
分類説の問題点 
→追跡する特徴が多様で、ジャンルというメタカテゴリの個別化ができない


ジャンル理論が捉えるべき二つの側面
(1)ジャンルは鑑賞や批評を左右する
(2)上述の規範的な効力と無縁でない仕方でジャンルは社会的


ジャンルは、評価、解釈、鑑賞的反応を統制する
ジャンルは批評的理由付けの背景となる

  • 統制説

鑑賞ルール:作品Xが性質Fをもつならば、Xに対して鑑賞的反応Rをせよ
鑑賞的反応=評価、解釈、想像、知覚、注意、共感、知識形成など
分類ルールは構成的ルール、鑑賞ルールは統制的ルール


リーツによる、カテゴリーが関与する場合分け
(1)直接的に関与的なケース(贋作とか)
(2)比較において関与的なケース(ヒッチコック映画とか)
(3)目的論的に関与的なケース
いずれもルール化できる


ジャンルのルールの明確化
(1)鑑賞ルールの入力には限度がある
(作品のあらゆる要素が入力になるわけではない)
(2)ジャンルのルールの出力ははるかに広い
(本書では「鑑賞的反応」と鑑賞者に限った話をするが、創作や編集、修復、キュレーションなど様々な関与を統制しうる)


ルールは何でもジャンルになるわけではない
有効なルールだけがジャンル
→ルールのセットアップ
作品の理由付けの背後にジャンルが位置づけられる
(このブラシストロークがあるから優美だ、というのが理由だとして、ブラシストロークが優美になりうるのはその絵画が印象派だから、というのが理由の背景にあるルール)
ジャンルをセットアップする社会的基盤とは何か?
→共有された信念? 人々のふるまい?


「この作品はホラーだ」という言明は、分類ではなく「フレーミング」
提案行為
セットアップのもとをたどればフレーミング


なぜジャンルなのか
(1)ジャンルはほかのメタカテゴリと違い強引な帰属を許容する
(2)様式や形式はしばし「~を持つ」と言われるのに対して、ジャンルはそのように表現されない
ジャンルとほかのメタカテゴリ(様式・形式)にはこのような非対称性がある
にもかかわらず、ジャンルが分類概念とみなされるのは何故か
カテゴリーは多機能的で、同じカテゴリーがジャンルとしても様式としても用いられることがあるため
(例えば俳句は形式だがジャンルのように機能するものもある)


構成的なルールは統制的ルールに還元可能(構成的なルールは統制的なルールから導出可能)(グァラ)
分類ルールは鑑賞ルールから導出可能

コラム 伝統としてのジャンル

エヴニンの伝統説を紹介している
エヴニンは、ジャンルのもつ規範性を、シェフラーによる伝統の説明を参照しながら説明している
筆者は伝統説の問題点として、全体-部分関係の推移性を挙げている
筆者は、伝統説と自分の統制説がある意味では似ている(規範性や社会性を説明しようとしている点)としつつ、伝統説は存在論的にラディカルすぎるので、伝統説までいかず、統制説で十分と
テローネが、クラスタ説を提案しているが、これは分類説の亜種

第七章 ふさわしいジャンルとは制度である

 1 ふさわしいジャンルはなにによって決まるのか
 2 ふさわしいジャンルは作者の意図によって決定されるという見解
 3 ふさわしいジャンルは制度的に決定されるという見解
 4 いいとこ取りとしての制度主義
 COLUMN ジャンルとしてのヴェイパーウェイヴ

観点選択の問題を解決する
ジャンルの決定について、意図主義に対して制度主義を提案する。


ふさわしいジャンルとは、鑑賞の最適化という課題に取り組むジャンル選択ゲームにおける、均衡=制度
鑑賞の最適化には、個人的なインセンティブと共同体的なインセンティブがある
自分の経験を最大限よくしようというインセンティブと、自分のやり方が周囲の人に受け入れられたいというインセンティブ
ジャンルは新設される
ふさわしいジャンルは偶然的なもので改定可能性をもつ
ふさわしいジャンルは共存することがある(『ねじの回転』は幽霊譚か精神分析小説か、どちらのフレーミングも定着)
作者は、作品にもっとも早くアクセスし、もっとも目立つ形でフレーミングを行うことができる、という点で特権的だが、やっていることはほかの鑑賞者・批評家と同じ


鑑賞の最適化のスタートは、鑑賞者の好き嫌い、という点で制度主義は主観制約を満たす

コラム:ジャンルとしてのヴェイパーウェイブ

自分はこの本の筆者を、まさにヴェイパーウェイブの紹介などをしていた頃に知ったので、いまだにヴェイパーウェイブ好きな人というイメージがあるのだが、当時自分で書いたものの意味がわからなくなっている旨書かれていて、時の流れを感じた

第八章 批評の意義は判断の柔軟性を養うことにある

 1 批評の意義とはなにか
 2 芸術実践をゲーム実践になぞらえる
 3 芸術鑑賞の価値をゲームプレイの価値になぞらえる
 4 芸術批評の価値をゲームデザインの価値になぞらえる

グエンが、芸術鑑賞をゲームプレイに喩えて論じている。
筆者はそれを踏まえて、鑑賞者をゲームプレイヤー、批評家をゲームデザイナーに喩えた描像を提案する(なお、作者ではないのかという点に対して、作者は一番最初の批評家として位置付ける)


批評は鑑賞ガイドであるが、正解へ導くという意味でのガイドではない
観光ガイドのような発散的なガイドであり、柔軟性を養う
主観主義でも客観主義でもなく観点主義




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