以下の内容はhttps://sakahukamaki.hatenablog.jp/entry/RWC-2024より取得しました。


RubyWorld Conference 2024の本編で喋った&こたつWorldハウスを運営した

こんにちは。炬燵です。父親のリアル戸籍ネームが「辰夫」でして、母の腹の中にいる間はたつおの子、「こたつ」と呼ばれていました。その後フリーター期に炬燵に居座り過ぎて炬燵と名乗るようになり、その事実を知った両親に、子宮に居た頃のあだ名の話をされ、ほなそういうことでいいですと炬燵の後付け由来が出来ました。辰夫君は辰夫君で「おおたつ」*1と呼ばれていたので、「おおたつの子、こたつです」というおもろエピソードがあります。

RWCのサイトに載った本名

本編で喋った

ruby-jpで前田さん(社長の方)(NaClの方)が「RWCに技術色強めなプロポーザルほしいな」と発言しているのを受け、ほなまあ喋れることあるし応募してみるか、と思って応募したら通りました。技術色ゼロなのに通ってしまった。

内容はこんな感じ。クロージングで表示された審査員の皆様を見る限り、クソガキ時代を知る人やRuby合宿でお世話になった人、最初に入った会社の当時社長現会長とかがいたのでまあ個人はバレていたなという感じです。

出した文言ママのやつ

私は、島根県平田市出身のRailsエンジニアです。大阪府鳥取県と引越し、現在は千葉県に住んでいます。 松江市が主催した中学生Ruby教室と高校生Ruby教室、島根県が主催したRuby合宿(2013夏)を過去に経験しています。行政がRubyに関する教育を始めた時期だったかと思います。昨年の「Matz葉がにロボコンで実践するSmalrubyとmruby/cを活用したプログラミング教育」という発表にもあったように、あの頃に比べ、現在のプログラミング教育はコードを書かなくてもプログラミングが体験出来る環境が整っています。 2013年にプログラミング教育を受けた子供は、実際にどんなエンジニアになったのでしょうか? あの頃にRubyを学んだ子供=私が、就職して10年経った今、どんなエンジニアとして成長したのかをお話しします。 会社員としてRailsを学び、仕事をし、現在はフリーランスRailsエンジニアとして働いています。中高と不登校であったり、ADHDであったりと中々社会不適合な要素もありますが、現在はフリーランス故の自由を得て、健やかに、生きやすいように働いています。 RubyWorld Conferenceに授業の一環で顔を出す高校生、高専生に、キャリアの選択肢は無限である事を伝えたいと考えています。それから、あの頃構ってくれたお兄さん達、教えてくれた人々に感謝も伝えたいです。

発表内容は下記の構造で考えています。

  • 家庭環境とRuby
    • NaClの取締役が家に居た
    • Ruby教室やRuby合宿の存在を親が教えてくれた
  • 実際に行ってみた
    • 松江の様々なRubyの会社のエンジニアが教えてくれた
    • Javaは決まりごとが多く難しかったが、Rubyは子供でもとっつきやすかった
    • 原体験に「書いたとおりに動くぞ!」という感動が生まれた
  • 就職とRuby
    • Railsの会社に就職した
    • Rubyのバージョンが1.8から2.2になっていた
    • Ruby合宿で書いたコードは動かなかった(1.8から大きく環境が変わっていたので…)
  • OSSと地域コミュニティ
    • OSS Shimaneに父に連行されていた
    • matsue.rbにいくと知っているおじさんがいた
    • RubyWorld Conferenceで人と話したり、取引先の人と挨拶をしたりして知り合いが増えた
    • RailsGirlsなどに自分も参加し、教える側になった
  • 転職と独立とRuby
    • 会社員として遅刻してばかりだった
    • 環境を変えようと思って転職をした
      • 取引先の人と仲良くしていたのでスムーズに転職できた
    • コロナが始まった
      • 実家の手伝いも必要になり、週4勤務に変更
      • 流れで個人事業主として独立
    • 現在はフリーランス1本で生活中
      • 千葉に引っ越した
      • RubyOSSの活動が盛んな関東に気軽に出たかった
  • Ruby教育を受けた身として
    • 「なんか知ってる、書いたことがある」という体験は学びを活性化させた
    • 過去にプログラムを書いて「動かなくても調べるのが楽しい」と分かっていたので、適性がある気がしていた
    • Railsフリーランスのお仕事は多分ずっと無くならない
      • Railsはすごい!というムーブメントで生まれたRailsアプリケーションは長生きしてしまう
      • メンテナンスのお仕事でも割とやっていける
    • OSSで目立ったコードを書いていなくても、きちんとお金はもらえる
    • プログラミング教育があったことで人生が変わったわけではないが、あったことで確かに得られたものはあった

資料に関してはRWC公式サイトから出るのでそちらをご覧ください。

Ruby合宿って本当に楽しいんですけど、複数回参加しちゃうと楽しさが半減するんだろうなとか、その辺は今でもぼんやり考えています。島根の先輩と仕事先のお兄さんが実はRuby合宿で知り合っていたとかの話もあり、人脈って絶えないんだなとかいろんなことをぼんやり考えたり。

話し終わった後、井上さん(OSS-Visionのひと、NaClのひと、OSSおじちゃんたちのひとり)がニコニコ頷いてくれたり、スーパー(元)公務員(OSS-Visionだっけ?、OSSおじちゃんたちのひとり)に答え合わせしたり、速攻で次の仕事に向かうために会場から消えた父親を捜しに行ったりとしていました。玄関で捕まえた後は古巣の皆さんとゆらと金子さんとみたいな様々な輪が出来上がっていて面白かったですね。後から松田さんも増えて、こたつの名前の後付け由来の話をしたりしていました。

親ガチャSSR、あるいは七光り

父親がそもそも松江のオープンソース界隈で過去活動していたこともあり、今松江でRubyOSSをやっているおじちゃんたちに「大谷です」と名乗ると「あーあの大谷さん」と反応があることが多く、そういう時は大体「うちの父がご迷惑をおかけしております」というテンプレ行動に出ます。割と強引な人なので、まあご迷惑かけてるやろなみたいな感じで……。OSSおじちゃん達にはバカウケしてます。よかったね。

スライド中でも触れたんですが、というか父親、もともとNaClという松江におけるRubyめっちゃ強いみたいな会社の初代社長で、その後取締役をずっとやっていて、そのころにMatzを初めて「Rubyの生みの親」として採用した側の人間だったので、「俺の父親Matzの元上司(笑)」みたいな話ができちゃうんですよね。これ出来る人、私が知る限りはあと井上家の子供たちができるんじゃないのかな。井上家、子供時代にお子と全員対面しているはずなんですが誰一人顔を思い出せず、今回井上さんに「うちの息子♡」と紹介されてお互いはじめましてな対応をしました。向こうもなんも覚えてなくてワロタ。

親の七光りムーブをすることに抵抗がないのかといわれると、一ミリもないんですよね。大谷の子だからと得られたものの方が多かったし。OSS島根に顔を出していたときも父に引っ付いていたし、すでにある装備が使えるなら使った方がお得という精神でいる。
これは七光りな人々がそれを使わないのはおかしいという話ではなく、私は後光を背負いありがたく効果を使いながら生きているよというだけの話です。

父親、すでにOSS界隈から手を引いており、RWCに参加するとOSSおじちゃんたちに「お父さん元気?」と聞かれるのが定番だったんですが、今回は「お前の子供が登壇するんだぞ見に来ないなんてありえんだろう」と引きずり出し*2、一階のブースを一緒に回って「大谷の辰夫の方だよ~~~」と見せて回りました。各所で昔話が弾んでいて、子供としては見ていて楽しかったです。都度都度「俺は昔の人間なので…」と逃げようとしていたのが良かったですね。逃がさん。逃げるな。

鋭い話

発表内容、特定個人から「もうちょっと鋭い話するんだと思ってた」といわれたんですが、島根の会社で働いてるときに夏休みこどもプログラミング教室の手伝いをしていたとか、OSSしまねが「遊びに行く場所だった」とかエピソードを削っているあたり、そもそも話す時間が足りていなかったのかもしれないですね。というか、「実際Ruby合宿もRuby教室も実務の役に立ってない」という発言は「鋭い話」にならないのか? 怖い人たちだな。

実際問題、Ruby合宿で得られたものが仕事で役に立っているかというと、いや五十嵐さんとの出会いが今の仕事につながっていることを考えれば役に立っているんですが、それも一時的なもので、契約を三年継続しているのは私自身の勝ち得た信頼だしなとかその辺を考えると、やっぱり「結論としてRuby教育から直接得られたものはない」んですね。

あの場で喋れないエピソードなんていくらでもクソガキ時代に作っていて、そのうち自分でもやばいなと思っていたエピソードはきっちり当日掘り起こされましたね。

しいて言うならもうちょい…なんかもうちょい……いや表に出せないなこれ……ちゃんとオープンソースおじちゃんたちに怒られるな……みたいな悪口オンパレードになるな。今度アルコール入れて話しましょう。

伏線回収

本編中に「Ruby合宿は1泊2日でした」と言いましたが実際は4泊5日でした。これはクロージングで井上さんに言われたんですが、「終わった瞬間に教えてくれよ」というのが正直なところ。

まーじでこれ。

実は親子二代で登壇している

実父

プログラム | RubyWorld Conference 2011

13年前のRWCで父親もしゃべってます。内容としては多分これですね。喋っている落合さんは家族ぐるみで仲良くしていただいています。

www.youtube.com

ということで、世にも珍しい親子登壇という感じではないでしょうか。

登壇回りの裏話はあんまりないので、これくらいかな。あとは早めにスライドを出していたせいでタイマーが早まっているのに気付かず焦った問題があるので、次からは手元で別のタイマーを表示しようと思います。

顔出しNGにすると、早めに隠れたほうがいいとか様々なアドバイスを得られる。そういえば仮面で登壇したいといったら断られました。残念。

こたつWorldハウス

平杯を作ろうといわれたのでデータ提出してのんびり待っていた。なんか勘違いされているんですが、こたつは何もしてなくて、波に乗っただけです。

Day0

Day0はいつも通り佐香やカラコロ広場店にて飲み。ビールの方に人が吸い寄せられている気配を感じつつハウスへ帰宅。ハウスでは佐香屋前後合わせて4合瓶が3本空きました。

Day1

楽しくハウスで飲んでいた。4合瓶は4本空いた。

Day2

華金なので飲み屋街から奇声が聞こえてきた結果、えもりさんが様子を見に行って帰ってこなくなる事態が発生。

なんか去年も同じことありましたね。

酒をこぼしたらもう酔ってるみたいな基準があった。平杯に酒を注ぐ際に「私まだこぼしてないから」と言い張るえもりさんが起源。

追加の酒は持ち帰りになりました。カニ鍋の人とかね。べーたさんをはじめ様々な人を日本酒沼に引きずり込んでいくえもりさん面白かった。

佐香屋から連れ帰ってきた保護者に「このまま寝たら吐瀉物で窒息死する可能性があるので縦にしておいてください」といわれてみんなで見守ったりしていた。

Day3

チェックアウトギリギリまでだらだらして、観光へ向かう人々を見送ったり、Keebの準備をしたり、カニの話を聞いたりしていた。

コロッケ布教

布教した。ミートショップきたがきはいいぞ。私はヒレカツも好きだしコロッケよりメンチカツ派です。

サンライズ

遅延したので困った困った。

10時出雲市駅着の12時古巣訪問の予定だったのが、13時半とか? に出雲市着になるのは困りましたね。 ということで乗り換え。

12時半に出雲市駅について無事古巣の上司とごはんに行けました。

新しいやくも、面白かった。

ruby-jp#sunriserbでの一幕

車掌さんは「サンライズからの乗り換えの人は指定券を持っていないので立っているようにアナウンスされているはずだが?」みたいな圧をかけてきたが、全く覚えがないのでしれっと座らせていただいた。マジで覚えがない。新大阪に停まるから乗り換えてくれとかは言われた覚えがある。その辺はそちらのコミュニケーションエラーですね……。

Day3、4

「去年は広場光ってたけど今年は光ってなかったね」という声もあった後にこれを見れたのでよかった。

あとKeebで喋ってた。魔王のせいです。

あと年末年始に帰省しない分家族サービス?をしてた

家族で県美に行ってた。楽しかった。

*1:辰夫君、辰年の辰夫君だから「たつお」がたくさんいる年ですね。

*2:チケット代、子供負担




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