11月中旬に完結した自作デスゲームラノベ 『不・死亡遊戯の成れの果て(のれのて)』の設計思想を共有しつつ振り返る記事です。
『不・死亡遊戯の成れの果て』

ゲーマー女子・及川三途が目覚めたとき、デスゲームはもうクライマックスだった。
首を一周する金属リング、縛られた身体、迫るカウントダウン。理不尽な脱出ゲームを何とかクリアした三途の前に個性的なデスゲーム参加者たちが揃う。
地雷系、吸血鬼、修道女、帯刀軍人、奇術師、名探偵、継ぎ接ぎ。そしてデスゲームの参加者は八人全員が不死者だった!
皆が絶対に死なず、デスゲームだろうがどうせ不死身。しかしいつ誰がどうやって何のために不死者を八人も集めてデスゲームを開いたのか?
命より軽いものなど一つもないが、デスゲームの真相こそが賞品ならば、それを知る機を逃す手はない。不死者同士が殺し合って親睦を深めて殺し合いながら真相を解き明かす、奇妙なデスゲームが幕を開ける。
という、「全員不死者のデスゲーム」みたいなラノベです。
今回も精鋭の読者たちにアンケートを記入してもらったり読書会(25/12/6開催)に参加してもらったりしてフィードバックを頂きました。ありがとうございました。
以下ネタバレが無限に含まれます。可能なら先に本編を読んでほしいですが、どうしても読む気が起きない場合は読まなくてもよいです。
まず作者側が勝手に言ってる意図として設計の話をしてから、キャラやステージについて読者からの反応を中心に振り返り、その他雑多なトピックを色々書きます。
全体設計
今回のラノベ設計作業を一言で言えば「やばいハンデ戦」だったと思う。
「全員不死者のデスゲーム」という謎のコンセプトが有り得ないくらい扱いづらく、このハンデをどうクリアするかに設計における労力のほとんどを費やした。ふつうに考えて面白くなるわけがないものをどうやって面白く取り繕うか懸命に考えたという意味では学びが多かった回かもしれない。
終わってるコンセプトの確定まで
そもそもなぜそんな終わってるコンセプトでやる羽目になったかから書くと、前作『うるユニ』を書いているあたりで『死亡遊戯で飯を食う。』にハマったのが発端だった(→■)。
それで「俺もデスゲームものを書こう」と思ったはいいが、最も素直でオーソドックスな殺し合いは前々作『にはりが』でやってしまったし、『死亡遊戯で飯を食う。』自体を翻案してガワ替えするタイプの制作も二次創作の『スプーキーフォレスト(15回目)』(→■)でやってしまった。
せっかくの趣味で同じことを繰り返しても学びがないので何か新しいことをしないといけないが、王道をもうやったとなると「逆にデスゲームの参加者全員が不死者だったら面白くない?」という逆張りしか残っていない。
なぜコンセプトが終わっているのか
なぜ「不死者のデスゲーム」というコンセプトがそこまで扱いづらいのかと言うと、デスゲームというジャンルの面白さ全てを最初から失っているからだ。
これは我流の創作論というよりは大抵の人に同意を貰える程度の共通認識だと思うが、一般的に言って、エンタメはプロットとキャラの組み合わせで出来ている。
ここで言うプロットとは「目的に向かって進行すること(無目的なイベントの羅列ではないこと)」、キャラとは「イベントを通じて変化する登場人物(大抵は何かを得て成長する)」くらいのニュアンスを含んでいる。
つまりエンタメとは大抵はプロットの目的に向かう過程でキャラが変化していくもので、適当なストーリーをいくつか思い返すとほぼ全てそんな構造を持っているはずだ。
これを踏まえると、デスゲームというジャンルの強さはエンタメのミニマムが自動かつ一瞬で確定することにある。
デスゲームが始まった瞬間に「生き残れ!」という目的が誰の目にも明らかに提示されるし、キャラも極限状況で「生き残らねば!」と勝手に育っていく(キャラが死んだとてそれはそれで「死」という最大の変化を描けるので美味しい)。
冷静に考えると「デスゲームに巻き込まれる」というイベント自体はだいぶ意味不明なのだが、そういう唐突さまで含めて既にジャンルのお約束という共通認識があるおかげで認知負荷はむしろかなり低い。
翻って、「不死者のデスゲーム」はそういう強みを全て失う。
不死者はどうせ死なないので「生き残れ!」という目的を持てないし、「生き残らねば!」という意識ももちろんない。死なない連中がデスゲームに参加するのはその辺の主婦が川沿いを散策するのと大差なく、何をしに来て何を持ち帰るのかさっぱりわからない。意味不明な逆張りをした代償としてジャンルの強みが二つ崩壊して消えたとも言える。
よって「コンセプトだけ守って手なりで書いても本当につまらない話になるのが確定している」というスタート地点を明確に認識した上で、何がどう面白くなりうるのかをちゃんと設計してリカバーしなければならない。
立て直し①:なぜ不死者がデスゲームに参加しなければならないのか?
プロットを取り戻すために、まず不死者がデスゲームに参加する目的をはっきり決める必要がある。
前提として「生き残るために戦う」は一切使えない(不死だから)のに加えて「実質死ぬ」系も全てNGとした。例えば「封印される」「(命以外の)何かを失う」「存在を忘れられる」みたいな実質的に死ぬのとあんま変わらないペナルティを用いるのも不可とする。その辺りは不死者を定命の者に解釈上でデチューンしているだけで、せっかく不死者というコンセプトを立てた意味がなくなってしまうからだ。
この制約を踏まえ、デスゲームに勝つ動機を「生存」から「真相」に置き換えて対応することにした。つまり「なぜ不死者がデスゲームに参加しなければならないのか?」という問いに対して、「不死者は賞品である『真相』に至上の価値を見るから」というアンサーを与える。
ここで言う真相とはいわゆる「デスゲームの真相」のことだ。デスゲームという意味不明な営みが生まれた背景を掘り下げることはジャンルの文脈とも整合するし、あえて不死者が集められたことも合わせて作品全体を牽引する謎になってもらう。
ただし、なぜ不死者が揃って真相を知りたがるのかは必ずしも明らかではない。
むしろ「不死者のイメージからするとたかがデスゲームの真相などどうでもいいことではないか」と読者が思う可能性も低くなく、それをはっきり否定するために「不死者には真相を希求するモチベーションがある」と納得できるような思想を逆算して作っておかなければならない。
具体的には「不死者は不死ゆえに却って漫然とした生を嫌うため、目の前の出来事には全力で取り組む傾向があり、提示された謎を解く動機は定命の者よりもむしろ強い」という不死者に共通の価値観を最初に与えておく。
つまりこの作品における不死者たちが揃って妙に前向きなのはプロットからの要請であって、別に不死者概念の考察からスタートしたわけではない。また、読者を迷子にしないため、このモチベーションはかなり早い段階で不死者自身にはっきり説明させている(幕間1:不死者たちの晩餐)。
立て直し②:不死者はデスゲームの中で何を魅せる?
キャラに関しても、変化(成長)という魅力ラインを失った不死者たちがキャラとして何で訴求するのかを決めておかなければならない。
より掘り下げて書くと、不死者が成長しない理由は二つある。
一つは不死者には成長する動機がないから。不死者にとってデスゲームは生死を賭けた極限状況ではないため、必死に食らいついて自らの殻を破る理由がない。
もう一つは不死者には成長する説得力がないから。不死者は定義上で超長命なので、デスゲームごときでちょっと頑張った程度でめっちゃ成長されても不自然だ(「今まで何してたの?」という印象になる)。
この課題へのアンサーとして、不死者の魅力として動的な成長ではなく静的な背景を押し出すことにした。つまり「こいつはこう変わりました」ではなく「こいつはこんなやつです」で戦うことにする。
前提、こういうやり方は基本的には避けるべきアンチパターンではある。小説は設定資料集ではないし、設定だけが延々と羅列されるが本質的に何も起きないのでおもんない小説というのは素人がよく陥る末路の一つだ(素人小説はふだん読まないので特に実感はないが、よく言われているしいかにもありそうなことだと思う)。
ただし今回はこれでいけそうな希望も二つある。一つはデスゲームならゲーム要素というエンジンによって一定誤魔化しが効きそうなこと。
デスゲームでは各ステージで各キャラが目の前のゲームに勝とうとする程度の行為意志は勝手に持っているので、(成長ではないかもしれないが)行動自体が全く伴わないという状況はかなり自然に回避できる。言い換えると、いちいち自己変革の動機を設定しなくてもゲーム上のアクションくらいは勝手に進めてくれる。
もう一つは、最近流行っているキャラ系ソシャゲはむしろ静的な背景に頼った作り方が多いこと。
最近完結したスタレのオンパロス編などでは特に露骨だったが、あの手の売り方においてキャラの成長変化を密に描くことは放棄されていると言って過言ではない。バージョンごとに新しいキャラを売ることで収益を立てているソシャゲにおいて、売りたいキャラを新しく出したイベントで成長まで描く尺は基本ない。よって代わりに背景の掘り下げを徹底して「こんな設定の魅力的なキャラだからガチャ引いてね」という売り方をしていることが多い。
それをお手本として、全員が元々不死者という超越属性持ちであるのをいいことに要所要所で即キャラが立つようなソシャゲキャラっぽいオリジンをバラ撒く。バージョン更新ごとのキャラストみたいなイメージで、背景や設定によってキャラを訴求することができるかもしれない。
立て直した方針から逆算で肉付けていく
ここまでの議論によってなんとか最低限の大枠が定まった。
改めてまとめると、まず「不死者がデスゲームに参加する目的がわからない」というプロット上の課題に対しては「不死者は真相を希求する」という不死者の共通思想を立てて対応する。「不死者はデスゲームで成長しない」というキャラの課題に対しては「静的な背景を掘り下げる」という方向に切り替えていく。
とはいえこのままではまだ粒度の粗い方向性に過ぎないので、実際に実装するためには具体的な中身を補填していかなければならない。例えば要請からトップダウンで決まった設定には以下のようなものがある。
真相を求める思想をどう伝えるか?
不死者全員が真相を放置しておかない思想を持っているのはいいとして、作中でそれをどう伝えるのかという問題がある。
そういう重要な情報は地の文より会話で処理したいところだが(ラノベだから)、宙に向けて唐突に思想を語るのは不自然だ。こういうときは読者に近いポジションのキャラに対して説明する形で語ってもらうのが一番自然なのだが、ここで浮上する問題は「全員不死者のデスゲーム」という制約によって定命の者を配置できないことだ(説明を受ける聞き役は不死者の事情に詳しくない必要があるのに)。
そこで主人公を新人不死者にして対応する。つまり他の不死者より明確に経験が浅い新人不死者を主人公とすることで、その者に対して他のベテラン不死者がレクチャーする形で不死者の共通思想を語るようにする。
このために主人公のパーソナリティは「超越的な不死者たちに対しても臆さずに一瞬で距離を詰めて相手に語らせるのが上手い会話好き」になる必要があり、それらの要請が合流するキャッチーなキャラクターとして「距離感がバグったインターネット人間」の主人公・三途が誕生した(誰でも呼び捨てでタメ口をきく)。
この立て付けのおかげで「不死者という属性自体についての情報を出したいなあ」と思ったとき主人公の会話を差し込むだけで済むようになって非常に楽だった。
真相をどう開示するか?
デスゲームの参加者が本質的に希求するものを「生存」から「真相」に置き換えたときに生じる問題として、各ステージのリザルト清算が一回しかできなくなることがある。
つまり、参加者が真相を求めて各ステージを戦う以上、ステージクリア時点で勝ったキャラは真相を知らないといけないのだが、デスゲームの真相とは作品全体を牽引するエンジンでもあるため、読者に対しては毎回その真相を開示することはできないという矛盾がある。これは毎ステージで誰か死んで一件落着と清算できる通常のデスゲームとの違いでもある。
そこで「禁断の果実」というガジェットを使いつつ、真相にそれ自体を秘匿しなければならない動機を含ませることで対応する。真相を知ったキャラはそれを他人には知らせないかなり不自然な挙動を取るのだが、それによって「いったい何を知ったのか」という謎が深まって真相の価値も増していく。
そもそも真相の内容はどうする?
さっき真相の内容に関する要件が一つ定まったが、更なる除外要件として「実は不死じゃない」系の真相も全部NGにした。
不死性を失うことを許容するとせっかく「全員不死者のデスゲーム」というコンセプトを立てた意味が薄まるためだ。例えば「(SAOみたいな)仮想空間のゲームなので実際には死んでいない」とか、「(途中で三途が言及したように)真の死を得る」とか、「何らかの偽装で不死であるかのように見せかけていただけ」とかは全て棄却した。
選択肢は他にもあったかもしれないが、ああいう真相になったことにはそういう背景もある。
キャラの静的な背景はどうする?
キャラについても改めて書くと、動的な成長を扱えない代わりにソシャゲキャラのような静的な背景を組み込むことにしたのだった。しかしその中身についてトップダウンで決めた部分は実はほとんどない。
「ソシャゲのキャラストくらいにインパクトがあって不死者っぽいエピソード」なら何でもよく、ここは設計というよりはディテールに属する部分だと認識している。あとから帳尻を合わせる前提でキャラを考えた時点では決めておらず、オリジンを挿入したいところに差し掛かって初めて後付けで書いていた。
よって全体の役割の中でというよりは個別の評価を見る方が適切で、どのキャラの背景が人気だったかはいつも通りフィードバックから振り返る。
設計の振り返り
より細かい振り返りはまた後で書くが、とりあえず主要な設計意図が機能していたかどうかのみここで振り返る 。
プロットは大枠で問題なし
まず、「不死者は生存ではなく真相を追う」というプロットの設計は大枠で問題なかった。
不死者のモチベーションは読者にも正しく共有されており、徐々に真相が明かされていく展開に期待が噛み合っていたこともアンケート等から確認できている。
とはいえ反省事項が二点あり、一点目は真相の片鱗を見せるのが遅すぎたこと。
確かに不死者たちが真相を希求していること自体はかなり早い段階で提示したが、かといってそれが決して形式的な設定ではなく、読者自身も提示された情報を元にして一定の推測を利かせながら読めることがわかったのは3rdステージの人狼ゲーム中盤あたりでようやくだったと思う。
厳密に言えば不死者たちが真相を求めることと読者たちが真相を求めることの間には若干のギャップがあり、その見通しが甘かったので読み方が宙ぶらりんのままになっている時間がやや長かった。
もう一点は、全体を貫く真相への関心が高かった代わりに個別のデスゲームへの関心がきちんと犠牲になっていたこと。
ステージごとの生存リザルトを扱えない都合である程度までは個別ゲームへの興味が失われることは許容としていたが、それが思ったよりも強かったことをステージへの評価から感じている。
具体的には2ndステージ・争奪ゲームの評価が思ったよりも低く、4thステージ・マーダーミステリーの評価が思ったよりも高い。争奪ゲームはデスゲームそのものに比重を寄せていたが真相を追う役割を果たしていないのでやや人気が低く、マーダーミステリーはデスゲームとしては破綻していたが真相を追う上でターニングポイントになっているので人気が高い。
キャラは個別には問題がないが大枠で意図通りではないかも
キャラについてはやや難しい状況になっている。
まずオリジンの評価はキャラによってかなりバラバラで、読者とキャラの組み合わせによって人気があったりなかったりまちまちだ。少なくともオリジンを頻繁に挿入するやり方そのものに対するネガティブな声はほとんどなかったので、とりあえず大きな問題はなかったとしてもいい。
とはいえ、「動的な成長ではなく静的な背景」という作り方が(失敗というほどではないにせよ)やはりベストではなかったかもしれないと思う理由が消極と積極で一つずつある。
消極的な理由は、なんやかんやで作中で成長を見せたキャラの人気が高いこと(成長しなかったキャラは相対的に低い)。
具体的には、シャルリロとヴァンヒールの二人はデスゲーム中に(禁断の果実を用いることなくナチュラルに)自らの思想や能力を変革した数少ないキャラであり、二人とも最終デスゲームまで残ったことも相まって人気がかなり高い。自由記述にもこの二人の変化を評価する声が少なくなく、やはりキャラ描写の本丸は変化にあると一定思わざるを得ないところがある。
積極的な理由は、結局これは誰が何をする話だったのか腑に落ちない読者が一定数いたこと。
それは全員ではないし人によるレベルではあるが、「キャラが変化しなかったのであれば何も変わっていないのではないか、読んだことに対する報酬が支払われていないのではないか」という声が少なくとも妥当でないことはないと思う。人間的な変化を伴わない概念的なキャラが不条理な営みを繰り返すという意味で「これラノベじゃなくて神話じゃん」という声もあり、正直その評価はかなり気に入っている。
キャラ&ステージ反省会
各キャラと各ステージの諸要素について、アンケートと読書会を踏まえた事後的な所見を中心に書く。
キャラについて
人気順位が低い順に書く。なお予想されたことではあるが、退場の順番と人気にはかなり強い相関がある(登場期間の長いキャラの方が人気が高がち、逆も然り)。
8位 地雷系:萌え様
早めに帰ったので人気が低いのもやむを得ない枠。出番が多いからといって人気が高いとは限らないが、出番が少ないキャラには人気が出ない(数少ない固い経験則)。
最速退場に加えて、他のファンタジーっぽい奇天烈なキャラたちに比べると不死性と属性がオーソドックスに留まったのも人気が伸び悩んだ理由。
割を食った理由は明確にあって、最初に萌え様と出会う脱出ゲームでは主に主人公周りで他に重要なポイントが大量にあったため、読者の注目点を増やしすぎないように萌え様のキャラが削られた。三途に合わせて現代日本にいそうなキャラになっているのもそのため。
補足626:ちなみに三途に最初から不死者としての自認があるのは、「不死性自体がデスゲーム由来である」という紛らわしい読みを潰すため(脱出ゲーム中に死んで初めて自分が不死であることに気付く方が流れとしては素直だが、それでは問題があるということ)。つまり「三途がデスゲームに巻き込まれるイベント」と「三途が自分の不死を知るイベント」が同時だと読者視点では「このデスゲームには参加者を不死にする効果もあるらしい」と捉えられかねず、そうなるとテーマも見えなくなるのでそのラインを完全に封鎖したかった。
また、地雷系という属性は吸血鬼や軍人に比べれば実際に身近にいるために「正解」のリアリティが存在してしまうという問題もあった。
俺はファッションとしての地雷系は嫌いではないがあの感じの十代女子の解像度はほとんど持っておらず、表面的な要素を掬えても実際の手触りは何も知らない。その辺りで不自然な描写のボロが出る前に退場してもらった(逆に言うと、早く退場するからこそリスキーな属性を投入できたとも言える)。
ちなみに「死亡後に錠剤を飲む」という(別にやらなくてもいい)不死性の発動条件について「人は死後に物を嚥下できなくない?」という突っ込みが複数あった。
これは俺が「死んでも薬くらい飲めるでしょ」と思って深く考えずに描写しただけだが、冷静に考えると飲めないかもしれない。とはいえODのイメージから「錠剤服用による蘇生」という描写は絶対にやりたかったのと、「不死者は一見すると死んで蘇生しているようでも、実際には一度も死んでいないし絶対に死ぬことがない」という設定の匂わせと取れなくもないので許容ということにする。
7位 バトルシスター:HEAVEN
思ったよりも人気なかった! シスター属性好きからの票が僅かに入った以外はほとんど人気がない。
デスゲーム中に勝手に帰った唯一のキャラだし熱的死を訴える以外の貢献がやや薄いのでやむを得ないところはあるが、立ち位置の独特さでもう少し人気を取る想定だった。
最も大きな欠点として「肉体パーツを無秩序に受胎して産み落とす(肉の残像、無胚受胎)」という能力に対して「シンプルにグロすぎる上に意味がわからない」というネガティブな反応が一定数あった。
その原因の一つとして、能力内容と聖職者属性の結びつきが一見して不明なことがある(わかりやすく刀を扱う遊道楽やゾンビのゾンちゃんと比べると「なぜ聖職者が肉片をバラ撒くのか」というイメージ上の整合が取りづらい)。
一応オリジンまで読めば「HEAVENはもともとが無秩序な肉塊であるが故に、文脈を欲して聖職者の仮装を纏った」という因果関係は見えるようになっているが、最初にビジュアルとして強く提示される聖職者属性の方が実は従というのはやや直感的ではない。
この辺りは元は植物系の能力者だった原案を深く考えずに転用してしまった結果でもある。当初は死亡時に大量の種をバラ撒いてから急速に生長して再生する不死者だったが、その復活シークエンスが長すぎたので直接肉片をバラ撒くように変更された経緯があったりする。
とはいえ人気が伸び悩んだ割には自由記述でポジティブに言及されるポイントも二つあり、一つは独特な行動原理。
全体的にゴーイングマイウェイ気味な不死者たちの中で、利害が一致しているだけとはいえ明確に人類を救おうとする善性を持っており、定命の者まで射程に入れた不死者の利他的な側面を唯一雄弁に語ってくれたことには一定の評価があった(その振る舞いは聖職者モチーフとも合致する)。
また、節々で意識的にお茶目なムーブを入れ込んだことも部分的に評価されていた。技名を気にしたり変なパジャマを着たり水鉄砲で射殺してきたり、この感じのお姉さんキャラがそういう側面を持っているのは萌えでいいと思う。
なお「バトルシスター」という呼称についてはあまり一般的ではないのではという指摘があった(検索してもヴァンガードの種族名くらいしか出てこない)。
腰に銃とか短剣を吊り下げていてスリットの入った修道服を着ている女性聖職者みたいなやつ、ブルアカにはトリニティがいるし遊戯王にもエクソシスターとかいるし明らかに一つのジャンルとして成立しているが、実は一般的な呼称がまだ確立されていない(単なる「シスター」では戦闘要素が入らない)。「バトルシスター」と書いて伝わらないことは多分ないと思うが、いずれ別の呼称が確立された頃には歴史的な記述になるのかもしれない。
6位 帯刀軍人:泥夢
アベレージは低めだが、実は一番好きなキャラに挙げる人がいないだけで三番手くらいに好きなキャラにはかなり挙がりやすいという割と良い立ち位置のキャラ。とにかくネガティブな意見が少なく、皆うっすらと泥夢が好き。
骨を武器とする最も不死者らしい戦闘方法がかっこいいことに加え、意外と饒舌だったり三途に巨大感情を持っていたりするギャップ要素も美味しく評価されている。一人だけ妙に長くて一話を丸々使い切ったオリジンも人気が高い。
「おもんないからテンプレ軍人にはしない」と強く決めていたのが奏功しており、一番意図通りの人気が出たように感じる。
昔から手なりで武人系のキャラを書くとすぐに抜き身の刃みたいな求道者キャラになってしまうので、その気配があるキャラを少し外して捌くのに慣れてきている(元は『ゲーマゲ』の彼方で出したら人気がなさすぎたので、『にはりが』の切華に調整されてから『のれのて』の泥夢に繋がったラインがある)。
ちなみに泥夢だけではなくヴァンヒールやHEAVENについても超越的な側面が強いキャラには大なり小なりギャップの弱みを持たせるように意識している。不死者たちはなまじ超越者なだけにいちいち達観していると本当に神みたいになってしまうので、ちょっとは美少女キャラらしい萌えムーブをしてほしい。
5位 奇術師:遊道楽
正直もうちょい人気なくてペケ2くらいかと思っていたが、意外と人気が高いキャラ。
早めに消えた割には泥夢やHEAVENと違ってめちゃめちゃ戦ったりもしていないが、基本的な動きも言動もさっぱりしていて嫌いにはなりにくいキャラだったかもしれない。謎の語尾にネガティブな印象を抱く人もいるが、そこまで深刻なものではない。
「本質的な活躍はあまりしていないが、逆にせせこましい小手先の技術を披露するほぼ唯一のキャラだった」という指摘があって確かにと思った。
他の不死者たちが何かと超越的な能力を用いがちな作中において、エコーロケーションとかマイクジャックとかミスリードとかいかにも奇術師らしい小細工を弄しまくっていた点で差別化できていたのかもしれない。
また、たまたまオリジンを最初に披露した立ち位置も良かった。
正確に言えば最初にオリジンを開示したのは三途だが、その時点の読者視点ではそれは不死者が全員持つオリジンエピソードというよりは主人公の導入エピソードとして理解されていたはずだ。よって「なんかいきなり全然違う話が始まったぞ」という強い引きを伴って読まれることができたのは最初に挿入された遊道楽のオリジンだったと思われる。
更に言えば、作中で最も重要な不死者のデスゲーム参加モチベーションについて鍋を作りながら三途にレクチャーしたのも遊道楽である。正直それは別に誰でも良かったのだが(不死者の共通思想なので誰でも語れる)、退場順位や幕間の内容に鑑みて一番手が空いてそうなやつを割り当てたらたまたま遊道楽になった。
総じて奇術師らしく色々な小細工で人気をちょろまかしていっており、未だに掴みどころのないキャラではある。
4位 継ぎ接ぎ:ゾンちゃん
刺さる人には刺さったフェチ枠。
(絶対そこまで活躍していないのに)一番好きなキャラに挙げる人が一定数おり、二番目に好きなキャラに挙げる人は一人もいないという潔い特効性能を見せている。しかも好きではない人もそこまでは嫌いになっていないのも偉い。
最悪のケースでは誰にも好かれないギャンブル枠だったので、ある意味では全キャラのうち最も健闘したキャラかもしれない。
「不死者をたくさん出すからには線の細いダウナー怪力ゾンビ幼女枠は絶対欲しいよね」という趣味だけで生み出されたキャラで、かなり気まぐれだし口調も意味がわからないので正直持て余していたが、それがたまたま独自の描かれ方をするキャラとして良い方向に働いていたようだ。
俺は台詞でも地の文でも比較的多くのことを語ってしまう方だが、ゾンちゃんだけは何を考えているのかよくわからないまま要所要所でスッと変な行動をするのが印象に残りやすかった(人狼ゲーム中に独断でHEAVENを殺す、マーダーミステリー中に独断で暇を持て余して三途に着いてくる)。
また、そこまで意識したことではないが異質なオリジンもキャラクターによく噛み合っていた。
他の不死者たちがオリジンに悲劇や課題を伴っていることが多いのに対し、ゾンちゃんは少なくとも当事者たちの主観としては幸福な奇跡として誕生しており(客観的には百人の大量自殺だが)、存在を始めた時点で目的を完全に達成しているために不死者として気負うところが全くない。
悲劇ではなく祝福から産まれたキャラクターとしてマスコット枠になる素養があったとも言え、正直偶然噛み合った要素ばかりだがたまたまかなり良いポジションに収まった。こういうことがあるから創作は面白い。
どうでもいいが、作中で「ゾンビ」と呼ばれたことは実は一度もない。
「ゾンビのゾンちゃん」はワンフレーズとしてはとてもいいのだが、肩書き的なものを独立して表記するときは「ゾンビ」では名前と紛らわしく、「継ぎ接ぎ」の方が他の不死者とも揃っていて収まりがよかったため。
3位 ゲーマー主人公:三途
かなり賛寄りではあるが実はけっこう賛否両論の主人公。
中間票がほとんどなく、好きか嫌いにはっきり分かれる中で好きな人の方が多い分布。嫌いな人は全く受け付けないタイプの人気キャラとも言える。
それは個人的にはかなり意外で、一番好きな人は多くないかもしれないが平均以上に緩く分布するタイプのキャラだと思っていた。
「元気で明るく口数が多くて実はかなり強い」と少なくとも表面的には今まででトップクラスに一般受けする主人公のつもりだった。ネアカ主人公としては『にはりが』の花梨にも似ているが、彼女のウィークポイントだった出番の少なさもカバーされている。
まずインターネット人間口調の評判は意外と悪くなかった。好きな人はかなり好きだし、否定的な声も多くはない。
ラノベのキャラにありがちな変な口調にも可読性を下げるものと下げないものの二通りがあって、キツい方言のように全ての発声を書き換える口調は常に読者への負荷が高いが、局所的に変な口癖や言い回しを用いるだけなら大部分を読むのに支障がないのでそれほど問題ない(『にはりが』で龍魅が終始変な方言を喋っていたせいで異常に評判が悪かったとき学んだ)。
「三途はテンションが高いキャラなのか、それともテンションが高そうに振る舞っているだけのキャラなのかわからない」という声があってうーんどうなんだろうと考えてしまった。
設定レベルのことを言えば、三途は「頭の回転がかなり早いので行動に伴うリスクやコストを概ね全て正しく把握しているが、しかしそれに輪をかけて決断が早くてノータイムで割り切って行動に移せるので、結果的にあまり考えていなさそうに見えるタイプ」ということになっている。
例えばトロッコ問題みたいな状況でも即決でレバーを倒すので周りからはなんだこいつと思われるが、あとでその理由を聞くと驚くほど長い説明が返ってきたりもする。作中でもシャルリロが三途と会話したときに意外と色々考えていることを知って驚くシーンがいくつかあったと思うが、三途本人は自らの読みの深さに全く執心していないので聞かれれば答えるというだけで内言でもそんなに言及しない。
結果として、禁断の果実なしで能力を覚醒させたり本気のヴァンヒールを正面から撃破したり本気のシャルリロを投了に追い込んだりと主人公らしく華々しく活躍するシーンでも、内面的には大して動かずに全部しれっとやってしまうのがこの作品の主人公らしさではある。そしてそれは「成長は必須ではない」という想定から来ているのでそれなりに意図通りでもある。
その主人公らしからぬ妙につるつるした手触りが宇宙チェスでヌルっとボス側に移行したことにも繋がっているわけで、脳直かつフレンドリーなようで意外と底が見えない難しいキャラだったかもしれない。読者からの距離が近いようで近くない、俺も三途のことがよくわかっていなかった気がしてきた。
ちなみに最終盤にラスボスとして君臨する、しかもそれも二重人格的なものではなくて完全な一貫性を伴った行動だったというオチは概ね好意的に評価されていた。ただキャラ単体の評価とはまた別の話としてエンディングの是非というトピックもあり、それはまた後で掘り下げる。
2位 吸血鬼:ヴァンヒール
順当な人気キャラ。
一番好きなキャラに挙げる人も多いが、実はそんなに好きではない人もけっこういる。皆好きというよりはゾンちゃん寄りのやや特攻タイプの人気キャラではある。
「不死者のデスゲームにおいては戦闘で超最強だからといって無双できるわけではない(誰も殺せないから)」ということを描くために超最強のキャラを一枠設けることは最初から決めていて、その枠のキャラ。ただでさえ超越者である不死者の中で一人だけ勝手にインフレして露骨な上位存在になっていったので、とにかく強い美少女が好きな層への訴求が強い。
インフレした強さによって予見できた人気そのものというよりは、強さが勝手にどんどんインフレした現象の方を省みるべきなのかもしれない。
ヴァンヒールは前前前前作『すめうじ』に登場した椿ちゃんと酷似した能力を持っており、既に一度考えたことがある分だけ能力の拡張がしやすかった。あと椿ちゃんはマインドがけっこう雑魚寄りというか凡人が頑張ってなんとか背伸びしているタイプのキャラだったので、本物の強キャラに移植されたときにどんだけ強くなるのかをちょっとやりたくなってしまった。
細かい描写や立ち回りについても瑕疵らしい瑕疵は特になく、割と三途への面倒見が良かったり最終的に友達になったりしたことも好意的に受け取られていた。
ただそういうのも含めて三途が全部リセットするわけで、他のキャラが何かを得た分だけそれを抹消してくる三途の好感度が削られたという説はある。そういうところはゲーマー主人公仲間である『ゲーマゲ』の彼方にも似ている(性格が対極な割に)。
1位 名探偵:シャルリロ
主人公を大きく超える圧倒的な最人気キャラ。シャルリロを好きな読者は非常に多く、シャルリロを嫌いな読者はほぼいない。
総じて中盤以降の立ち位置が非常に良かったので妥当ではある。
人狼ゲームで遊道楽に裏切られたあたりから探偵らしくデスゲームの真相を積極的に追求する姿が読者のモチベーションと重なって三途以上の共感を集めていた。特に宇宙チェス以降は三途と入れ替わって裏主人公を演じ、最終的には不死者代表として真相そのものである三途と相対するまでに至る。
その辺りの主人公交代は強く意図したものだ。というのも、冷静に考えると三途の聞き役キャラは不死者たちに真相を求めさせる前提作りには適しているというだけで、実は真相そのものへの興味が強いキャラではないことに書いている途中で気付いた。そこで立て付けの設営が終わったあとはシャルリロに真相周りを詰めてもらうことになった。
自分の思考と信条に籠もりがちという悪癖についても人気の上では特に問題なさそうだった。
どの不死者も本当に本気を出せばけっこう勝ててしまうので最後まで残ったヴァンヒールとシャルリロは理由があって本気を出さなかったキャラでもあって、シャルリロの場合は「探偵は理解可能な推理をしなければならない」という信条を枷にしていた。これが(『ゲーマゲ』の彼方や『にはりが』の姫裏のような)いつもの異常者枠と捉えられないかと懸念していたが、オリジンでエピソードがしっかり説明されたおかげで概ね理解可能なものとして受け入れられていたようだ。
ただ、読者によってオリジンの解釈が割れている気配はあった。
つまりどんな読み方でも理解できただけで、厳密に言えば受け取り方が一意に定まってはいなさそうだった。シャルリロの「探偵は正規の手段にこだわらなければならない」というこだわりを「推理が好きで楽しみたいから」と解釈している人がいれば「人間らしくあるための枷だから」と解釈している人もいる。
設定レベルのことを言えば、シャルリロは「客観的に見て納得できればOK、客観的に見て探偵っぽければOK」という割とガバガバなルールで動いている。故に「禁断の果実を食べた遊道楽にヒアリングするのはセーフ」という謎判定を持ち出したりもしているが、まあ何であれ読者に理解されたのであれば何でもよい。
ちなみに「謎の手に叩き潰された後に再配置される」という一人だけ課金限定の有償エフェクトみたいなやたら豪華な不死性がかなり高い人気を誇っていた。これはスマブラ64オープニングのマスターハンドのイメージがちょっとあるかもしれない。
www.youtube.comあとオリジン時点でのシャルリロは自らが不死であることをまだ知らなかったにも関わらず、人力ブルートフォースアタックを選択した上で数千年くらい過集中状態で入力し続けていたのは不死とか関係なく最初から頭がおかしいだろという指摘があって確かにと思った。そういう変なところも可愛くていいと思う。
ステージについて
キャラに続いてステージについても人気を振り返る。
全体としては宇宙チェスが頭一つ抜けて人気が高く、脱出ゲームが頭一つ抜けて人気が低い。
それ以外については、ヴァンヒールとの決闘だけやや人気が高い他はワード争奪ゲーム・不死人狼ゲーム・マーダーミステリーでほぼ横並びになっている(集計初期はマーダーミステリーが人気だったが票が集まるにつれて均された)。
これら横並びの三つは最も好きなゲームに挙げる人も最も嫌いなゲームに挙げる人も一定数おり、割と満遍なく票が分布している。
1st:脱出ゲーム
明らかに人気が低いが、露骨な導入ステージなので順当ではある。
このゲームの役割は主人公の不死性を示すことで、それさえ伝わればいいのでゲーム自体が無駄に難しい必要はない。スタート時点で三途と萌え様が縛られていたのもあまり細かく攻略を考える余地がないように行動選択肢を減らすため。
1stステージで散々色々やった末に「実は不死でした」でちゃぶ台を返すのもダルいのでこの程度のボリュームで良かったと思っているが、今思うとその辺りがもう既にデスゲーム要素よりは不死者要素の方がウェイトが高いという認識の現れでもある。
2nd:ワード争奪ゲーム
宇宙チェスの次くらいには人気があると思っていたが、多くのゲームと横並びになったのは意外と人気が低かった印象。
ゲームの役割は群像劇っぽい形で各不死者及びその能力について紹介すること。
やや多いキャラをチャンクで捉えるためにチーム戦になっている。ルール上で勝ち抜け人数に上限を設けることでキャラたちに勝手に組ませるのは『にはりが』と同じ手口だが、やっぱり「現場急造チーム」みたいな展開は好きだし面白いし便利。
脱出ゲームがほとんど機能しなかったので本格的なゲームとしては実質的な初回でもあり、ビジュアルが華やかで受けが広くなるように全ゲーム中で最も戦闘に寄せていた。実際そこを評価する声も少なくはない一方、意図していなかったマイナスポイントも二つあった。
一つは戦闘メインと言いつつ本格的な戦闘には突入しなかったこと。
本気のバトルは後続のゲームに温存する都合で争奪ゲーム時点の戦いは小競り合いに留まっていたが(例えばvs本気の泥夢は人狼ゲーム終盤に、vs本気のヴァンヒールは決闘ゲームに温存された)、本気でない戦闘はそれほど面白くないという説がある。
もう一つは最後の終わり方が強制中断だったこと。
ある程度は評判が下がることを許容してゲーム間の繋がりというギミックを描くために入れた展開だったが、それが思ったよりも長く尾を引いたのは想定外だった。争奪ゲーム終了時点でテンションが下がるだけではなく、次の人狼ゲームが始まったときにもまだ争奪ゲームの情報が使われるので脳内キャッシュをクリアできない負荷の高さまでは考慮しきれていなかった。
3rd:不死人狼ゲーム
概ね順当な人気のゲーム。人狼自体けっこう独自性が高くて好き嫌いが分かれるゲームなので横並びくらいで妥当だと思う。
と言いつつも人狼ゲームとは名ばかりで、実際には争奪ゲームからの引き継ぎや処刑バトルなど多くの要素が含まれていた。
故に人狼ゲームとしての読み合いが評価されているというよりは、人狼ゲーム以外に盛り込まれた要素それぞれについて評価されているという方が正確。対人ゲーム要素のみならず、ヴァンヒールと三途の交流や泥夢のオリジンなどもポジティブな評価を受けていた。
反面、ワード争奪ゲームの項でも書いたようにゲーム内容を前ステージから引き継いでいる認知負荷の高さはある。そうやって引き継いだギミック自体は概ね面白かったという評価を得る一方で、立て付けが優しくなかったことは否めない。
ちなみに「(アスペすぎて)人狼が全くわからなかったLWが人狼で一本書いているのが感動的」という声が複数あった。このステージを書くために川上亮の人狼シリーズ全10巻を購入して全て読破しており(→■)、けっこうな努力の成果でもある。
4th:マーダーミステリー
正直一番おもんないと思っていたが、予想外に人気が高かったゲーム。
このステージもゲームとしてはほとんど破綻している。全員マダミスが下手くそだから平然とメタ読みを試みるし、最終的にはシャルリロのカンニングによって全てのちゃぶ台が引っくり返されて崩壊した。マダミスらしい推理などほぼ存在しなかったと言っても過言ではない。
とはいえ作品全体での真相を追う旅という視点から見ると、ここまで保留してきた真相にこのステージで初めて大きく踏み出すため、その一点において評価が高かった。ゲーム自体というよりは全体の真相についての関心が高いのはプロットを巡る設計通りではあるし、それはそれで悪いことではない。
なお個別調査のシーンでも可能な限りキャラを一人にしたくなかったので(ラノベの大原則:内省は会話よりつまらない!)、三途の部屋にゾンちゃんを向かわせたりHEAVENの部屋にクロケルを飛ばしたりしている。
ヴァンヒールだけは例外的に孤高であることが重要な意味を持つキャラなので一人で戦わせたが、シャルリロは尺のほとんどがオリジンに巻き取られたため一人で考えている時間をそれほど長くせずに済んだ(当初はシャルリロの対話用人格と会話させていたが、冗長だし設定上の意味がない割には意味深すぎると思ってやめた)。
5th-1:決闘ゲーム1(決闘)
一番好きなゲームに挙げる人は多くないが、三番目くらいに好きなゲームに挙げる人が非常に多いステージ。
デスゲームというよりは三途とヴァンヒールが1on1でイチャつくエピソードではあって、ステージの人気はヴァンヒール及びその戦闘方法の人気とほぼイコールになっている。不死者の上位存在感を極限まで押し出すゲームを一つくらいは書きたかった。
5th-2:決闘ゲーム2(宇宙チェス)
非常に多くの読者が非常に高い評価を与えている最人気ゲーム。
デスゲーム全体とリンクしながら全ての謎が解消される最大のクライマックスなので順当ではあり、むしろここが人気なかったらヤバかったとも言える。
とはいえゲーム内容自体の人気もかなり高いのはありがたい。
この宇宙チェスもかなりトリッキーなゲームではあって、ルールも手順も読者が全く理解できない前提で書かれている(作者も何もわかっていない)。しかし「訳のわからないことをやっている、かつ、訳がわからなくて問題ないことがわかる、かつ、訳がわからないことが面白い」という理想的な伝わり方をしたおかげで超越的な不死者の戦いの終幕にふさわしいものとして高く評価されていた。
ここで描かれたのは奥の深いルールとか手に汗を握る読み合いみたいないわゆるゲームの面白さでは全くなく、誰も理解できないことが正当化されているいわばゲームのパロディとしての面白さだった。また後でも触れるが、そもそもこの作品はデスゲームのパロディであって別にデスゲームではないことを象徴するステージでもあったかもしれない。
全体テーマ反省会
作品全体に係る諸々について読者からの指摘を交えて考える。
エンディングはこれで良かったのか?
結末をどう解釈するか、そしてそれに肯定的か否かには様々な意見があった(厳密に言えば、バッドエンドだから悪いとは限らないし逆もまた然り)。
まず作者サイドが勝手に思っていることとしては、多少の含みはありつつも概ねハッピーエンドの認識だった。
三途視点での物語として見ると、自分の欲望(不死者の皆と楽しく遊びたいという気持ち)を確かめながら一定の努力によって彼女が最大限幸福だと考える未来に到達し続ける話ではある(自作自演の予定調和とはいえ)。他の不死者たちにとって多少は不本意かもしれないが、三途は恣意的に記憶をセッティングしているだけで完全に操っているわけでもない。
特にハッピーエンド派閥の極として、ブロッコリーマンが「美少女キャラが永遠に幸福な交流を続けるフェティシズムの極致」みたいなことを言っていて良かった(後に貼るラジオも参照)。
少なくともキャラクターの主観として見れば閉塞的な状況に絶望している者はいないし(三途以外は不完全な記憶しか得ていないし唯一全てを知っている三途はハッピーだから)、客観的に見てもこうして一つの作品として成立する程度には楽しく遊んでいる状態が永遠に継続することを祝福と見做せない理由はない。この見方をすると、表面的には三途に対抗しようとしているシャルリロも大局的にはデスゲームを盛り上げる共犯者なのかもしれない。
一方、「結局何も起きていないし何も解決していない」というバッドエンド派閥の見解も妥当ではある。
一般的に言って完全なループエンドは避けるべき、なぜなら物語を通じて状態が変化しておらずここまで読んだ読者への報酬がないから、という批判を避けられる理由は特にない。コンセプトを処理する段階で少なくともキャラは変化しなくていい方針を決めているが、それは「これでいきます」と勝手に決めただけの話で「それで良い」ということまでが担保されるわけではない。
ちなみに一応の救済措置として設けたのが、エピローグにおいてシャルリロの骨に残されたメッセージではある。その解釈は読者に委ねているが(設定レベルでも特に決めていない)、あのメッセージをデスゲームの突破口が初めて生じた希望の萌芽と見てもいいし、逆に実は毎回シャルリロはメッセージを目にしているが一度も実っていない絶望の確認と見てもいい。
現実問題、ハッピーorバッドの判断は三途観に依存しているように感じた。つまり三途の人格及び判断に対するシンパシーをどのくらい持てたかが解釈を分けたような気がする。
三途が他の七人をきちんと尊重して楽しく一緒に遊んでいるという認識ならハッピーに寄るが、三途は他の不死者をオモチャにしているだけでこのデスゲームは最初から最後まで一人遊びでしかないと取ればバッドに寄る。
これはもうLOVEとは何かみたいな個人依存の話であって別に深く語る必要もないと思うが、少なくとも俺はそういうLOVEはあると思うし三途も他の不死者たちも美少女だし全然いいでしょという想定だったので諸説あることが認識できたのはよかった。
関連して、「そもそも不死性は悲劇なのか」についても微妙に認識がズレていた。
俺はそれぞれのオリジンをそんなに悲劇だとは思っていなかったので、三途の異質さを語る文脈で「三途はオリジンが一人だけ悲劇じゃない」みたいな指摘があったとき逆に他の不死者たちって悲劇だったんだと思った。
確かに少なくともチート能力を手に入れてハッピーというエピソードは無かったにせよ、俺は三途と同じで皆不死で仲良かったらずっと一緒でハッピーというのが基本的な幸福観なので、そこに至るまでのオリジンが幸福である必要はないくらいの認識で書いていた(どうせ幸福に収束するから)。
キャラの頭の回転早すぎ問題(定期)
今回に限ったことでもないが、俺が書くキャラは全員頭の回転が早い。
つまり基本的にノータイムで情報を捌ける上に単なる論理的な切り分けや推論をまず誤らない。それは今回は三途の「それはそう」という口癖に象徴されており、ゲーム内外問わず会話が超速理解がちな傾向があった。
その辺りはいつも指摘されている「頭の悪いキャラが書けない問題」のバリエーションではあるが、今回に限ってはそれをある程度正当化する素地があった。
というのも全員が超越的な不死者なので基礎スペックが高いことは不自然ではないし、設定的にも皆一緒に長い時間を過ごしていたので人格のハードウェア的な部分が同じようにこなれている理由がある。
それはそれとして頭の回転が遅いキャラも描けた方が描写の幅は広がるという話はあるが、これはもう譲れない趣味の問題として俺は情報処理能力が低いキャラを書きたくない!! 論理的に考えれば分岐なく辿り着ける命題にゼロ秒で到達しないキャラが好きではなく、好きではないキャラをわざわざ書きたくない。
ただ論理の部分ではなく把握している情報や動かない信条の違いによって妥当な答えに辿り着けないケースはあってもいい、という指摘があってそれはかなりそうだなと思った。例えば他の人の思考フレームを理解していないので推測が効かなかったり、他人の説得不可能な部分に切り込むために会話がスムーズにいかなかったりするケースはあってもいい(そういう無謀なトライにこそキャラの魂が宿るのもわかる)。
ロジカルな導出ではなく所与の前提について多様性を設けておくという考え方は、手なりでは合目的的に進みがちなプロットにおいて一定意識しておく価値が高い。
これはデスゲームではなくデスゲームのパロディではないか?
書いているときは常に真剣なデスゲームのつもりだったが、出力されたものを見れば確かにこれはデスゲームというよりはデスゲームのパロディの方が近い気がする。
つまりデスゲームという舞台装置をそれっぽく借りているだけで、結局デスゲーム自体に焦点が合ったことは一度もなかったし、それよりもデスゲームを逆に張る不死者を描くことに力点があった。
それ自体は別にいいとして(パロディを避ける理由は特にないから)、伴って期待値調整とテーマ提示についてはもう少し考えておいてもよかったと今は思う。
デスゲームだと思って読みに来た人がこれが本質的にはデスゲームではないとわかって期待が外れるのが若干良くない、と口では言いつつ、「それは別にいい」と内心思っていないと言えば嘘になる。それはそれで流入の受けが広いということでもあるし、「デスゲームかと思ったらそうでもない気がしたけど面白かったです」という感想も複数あるからだ。
それよりはむしろ「デスゲームのパロディが読みたかったが、見た目からしてデスゲームだったので回避した」という取りこぼしの方を気にすべきだが、そういう人はあまり多くなさそうなので一旦無視しよう。
より問題なのは、ジャンルが難解かつ無自覚なことで「これは何の話なのか」というテーマの提示が遅れることだ。
冒頭からデスゲームへのアンチ姿勢を打ち出したあとに読者から見てジャンルが把握できないまま話が進む時間が長いので、「根本的にどういう話なのか、何を期待すればいいのか理解するまでに時間がかかった」という妥当な意見があった。
確かに「真相を追う」というキャラたちの目的意識が提示されたのはかなり早かったが、それは即座に読者の期待とイコールになるわけではない。真相を追うのはあくまでもキャラの行動原理に過ぎないのであり、読者が持つ「これが面白いのだろう」という期待が依然として全体の真相ではなく個別のゲーム模様に向いてしまうことは十分に有り得る(パロディではない通常のデスゲームものを踏襲した妥当な読み)。
結局、本当の焦点を三途が明示するのは3rdステージが中盤に差し掛かってからようやくだったが、もうちょっと前から提示できていてもよかった。
これはラノベではなくラノベのパロディではないか?
更に言えば、俺が毎回頑なに「ラノベです」とか言いながら提出している小説が別にラノベではなくラノベのパロディであるという話もある。つまりラノベの表面的な立て付けだけ借りてきてあまりラノベらしくない話をやっていることが多い。
しかしSFでもないしもちろん純文学でもないよくわからない立ち位置の小説を量産しており、特に今回は普段に拍車をかけて「これはラノベじゃなくて神話(キャラではなく概念的な存在しか出てこないから)」「ジャンルについての実験小説(既存ジャンルの絶対に外せない部分をあえて最初から破壊した上で何が起きるかの思考実験だから)」という見解もあった。
ラノベを書きたいという気持ちは本物だしラノベを詐称したとて大きな問題はないのだが、ラノベだと思って読みに来た読者に対して優しくないのが一つと、ラノベなら読まなくていいと思っている読者にリーチできないという現実的な問題があるかもしれないというのもずっと言われている。
そろそろラノベを名乗るのをやめてもいいが、でも他に適切なラベルなくない?
局所トピック反省会・疑問点など
設定レベルのものを含む部分的なトピックやアンケート等で寄せられた疑問について書く。
序盤の三途のムーブ変じゃない?
序盤の三途がところどころキャラ造形が理解し難い思考をするという指摘があった。
具体的には
・徹夜明けの三途が羊羹か肉まんを買おうとするところ ←全然味が違うものが並列に検討されるのがおかしい、最終的にピザまんを買っているのも謎
・三途がスーパーや銭湯を思い浮かべるところ ←十代女子がそんな場所イメージしなくない?
あたり。
これは自分の引き出しから手なりで持ってきた描写がキャラに感染して謎の造形になってしまっただけだ。つまり俺自身が「羊羹か肉まんでも食うか」と思いながらコンビニに行って結局ピザまんを買って帰る人間だし、スーパー銭湯によく行くから適当にスーパーと銭湯と書いたというだけで、それ以上の意図はない。
以前にも香水の種類について同じようなことがあったが(『うるユニ』で「その状況でJKが付けるのはミントじゃなくて柑橘系だと思う」という指摘があった)、冷静に考えてラノベに出てくる美少女キャラを成人男性がシミュレートするのには限界があってたまに普通に変な描写が発生してしまう。それはまあ普通の美少女であったほうがいいので、これからも精進いたします。
最後の真相に向けた助走が丁寧すぎるのでは?
作中で真相が検討されるにあたり、「真の死が賞品」説とか「仮想空間オチ」説を丁寧に除外する必要はあったのかという質問があった。HEAVENが説明した通りの末路に到達することもあって、真相が明かされる前に結末がだいたいわかってしまう勘の良い読者が一定数いたからだ。
これは読者ごとの個人差も大きいが、大筋で問題なかったとは思っている。何も説明しないと謎に繋がる論点やビジョンが伝わらないし、安直なオチを「これではない」と裏切っておくことで期待外れでないことを保証する効果がある。また、勘の良い読者のために安全弁として入れておいた「実はデスゲームはループしている」という二段オチまでは誰にも予想されていなかったのでよしとしたい。
ループによってデスゲームの展開は異なるのか?
これは設定レベルの質問だが、ループによってデスゲームの展開はかなり異なっていて、もちろん三途が早めに真相を知る回もある(その場合は終了まで見守ってから再起動している)。
ゲーム内容や勝敗には無数と言っていいほど豊富なパターンがあるが、デスゲームの開催数はそれに輪をかけて多いので三途は全く同じ展開のデスゲームも何度も経験しているだけ。
宇宙の終焉には複数の仮説があるが、熱的死以外を特に提示していなかったのはなぜ?
「どのような宇宙の終焉が妥当か」はプロットにとって論点ではないため。
これはSFではないので宇宙の終わりは一つ選んで所与にすればよく、妥当か否かにかかわらずただそういうものとして降りかかればいい。
ただ確かに仮説が複数ある中でクライマックスでいきなり熱的死を提示すると唐突すぎるし「そうとは限らないのでは」と思われる懸念があるので、HEAVENを配置してかなり早い段階から宇宙の終焉について語らせることでクリアしている(複数提示する必要はないが、一つを提示する必要はあるということ)。
『にはりが』など以前と比べて文章産出速度がどのように変化したか?
スピード自体はそれほど大きく変わっていないと思うが、『にはりが』を書いた頃と違って働いているので一気に書く時間が取りにくいのと、『にはりが』よりも書きながら考える部分が多かったのでややスムーズではなかった印象はある。
ちなみに『のれのて』本編は190000字くらいだが、それ以外にも設定やネタを書いた資料が34000字、没テキストが83000字あるので、使わなかったものも含めて全体では30万字くらい書いている。
本来の不死者たちなら再創生くらいできるのでは?
複数の読者から寄せられた質問。特にクロケルを創造したHEAVENは生命を司る神だったのでそのくらいはできそうな感じもする。
設定的なことを言えば、「色々やってみたけど諦めた」と語られている試行の中に「能力で再創生を試みた」も当然入っている。不死者たちも再創生くらいは最初に思いついたのだが、結局のところそれは少なくとも不死者が望む意味での世界とは異なり無意味だという結論を出して放棄している。
この辺りは作中でも説明しようと思えばできるのだが、下手にHEAVENあたりに「わたくしたち自身が創った生命はやはりナチュラルな生命とは異なる」とか「創生もどきのパターンは限られている」みたいなことを言わせてしまうと、じゃあナチュラルに近づけるにはどうすればいいのかみたいな論点が読者の中に発生してしまう可能性が高い。それは話の本線ではないので、いっそ全く触れないことで「まあそういう検討も散々やり尽くした末に棄却したんだろうな」と汲み取ってもらうことに委ねている。
身も蓋もないことを言えば「オチを付けるため」という動機が最も大きいのだが、テーマとしても不死者たちが自分たちで創造した生命を外部の変化項と見なさないのは一定妥当だと思っている。
この八人は決して何かを支配する立場になりたいわけではなく、むしろ様々な未知に直面して真剣に生き続けることを信条としているため、絶対的な外部が不可能になった時点で結局やる気を失ってしまう。大富豪が自分の庭に海外を再現した庭を作るのと、実際にどっかに海外旅行しに行くのはそもそも文脈からして全然違うよねみたいな話ではある。
ちなみに創生が手詰まりになった時点で(なぜか)キャラに女性しかいない点が正当化されていいねという声もあって確かにと思った。
それは俺がラノベには原則として美少女キャラしか出さないと決めているだけだが、仮に不死者に男女が混在していれば「子作りすればよくない?」という連想になるのが自然なので、そのラインを封じられたのは偶然ながらもラッキーだった。
ありがたい感想など
読者の皆様からのありがたい感想などです。ありがとうございます。
とねがわ文化センター
のれのて感想回のラジオです。
文学に詳しいブロッコリーマンによってかなりちゃんとした批評が行われており、実験小説やデスゲームのパロディとしての側面、ハッピーエンドの解釈などについて聞けるのでのれのてを読んだ人は聞いた方が良いです。
三途で見る夢
keylla.hatenablog.comいいですね~。俺も全然知らなかったことがたくさん書いてあるけど、作者が作品について知っていることなんてごくごく一部だし別に正しくもないので知らなかった真相が色々知れてありがたいです。