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25/10/18 わたなれ感想 何故れな子は恋人になれるわけないじゃんムリムリなのか

わたなれええやん

久しぶりにアニメを見てなかなかおもしろかった。
今までこういう女の子がやたら可愛くて楽しげな学園ラブコメアニメは男性主人公ゆえ宗教上の理由で視聴できなかったのだが、昨今の百合メジャー化(とか言ってるのももうオタクジジイだけか?)が奏功して遂に登場した美少女主人公バージョンを楽しく見られて嬉しい。女の子が女の子に向ける欲はいくらあっても困りませんからね。
水色(香穂)が圧倒的に好きなのに何もしないまま終わってしまったのは残念だったが、劇場版では活躍するらしいので楽しみにしている。


偉大なる先人たち、あるいは忘れられた屍たち

とはいっても、過去にわたなれみたいなアニメがいくつかあったことを全く思い出さないわけではない。
具体的に言えば、『桜Trick』(2014年、公式HP→)と『立花館To Lieあんぐる』(2018年、公式HP→)のことを今思い出している。『桜Trick』はきらら系としては画期的なことにメインの女の子二人が毎話キスをする話だったが他の内容が特に面白くなかったので全然流行らず(独自研究)、『立花館To Lieあんぐる』はハーレム主人公を女の子にするという潔いコンセプトを掲げていたもののラッキースケベ要素まで完全に引き継いでしまったために微妙にニーズが噛み合わず全然流行らなかった(独自研究)。

お尻もあるYO☆じゃねえよ
時代的な要請もあるにせよ、この辺りの似たコンセプトを持ちながら概ね散っていったコンテンツをリファインしたバージョンとして遂にわたなれに辿り着いたような手触りが個人的にはある。

何故れな子は恋人になれるわけないじゃんムリムリなのか

先人たちに比べてわたなれがちょうどよく楽しめる理由を考えていたのだが、結局「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!」というコンセプトが、つまり恋人になることだけは頑なに拒否するというれな子の意味不明な特性が身も蓋もなく有効なのだと思う。

諸説あることを承知で断言するが、女性向けではなく男性向けの美少女コンテンツにおいて登場人物同士がしっかり恋人になる需要はあんまりない!!
一般的に言って恋愛はまだ恋人になっていないときが一番楽しい、かどうかは異性の知り合いすらいたことがほとんどない俺にはよくわからないが、少なくともコンテンツとしてはそういう需要のなさが色々なジャンルで明確にあると俺は確信している。

ハーレムものとして

一番最初にパッと思い浮かぶのはハーレムものだ。
多くの女の子に囲まれる主人公が特定の誰かとくっついてしまうと話が終わってしまうので、あの手この手で恋人関係の成就を拒否する工夫はほぼ全てのハーレム作品にある。告白の手紙が別のやつに吸われたり、告白の台詞が花火の音で聞こえなくなったり、決定的なシーンでとにかく邪魔が入る手口は枚挙に暇がない。
もう少し上手くやる作品では主人公が誰ともくっつかない理由を作るために何らかのガジェットを導入するケースもあるが、結局のところ恋人になるという決定的な瞬間を遠ざけるための外的な否定要因を必要とすることは同じだ。

早く名乗り出ろ

美少女が好きな消費者としても、ワンオンワンの誠実な恋愛を見ることよりも複数の可愛い女の子たちが恋愛スレスレの状況でワチャワチャすることを期待しているのだから、曖昧な理由によって先送りされる不誠実な恋愛の方が見栄えがする。

そこのところ、わざわざ設えた外的な抑止力ではなく、自分の意志で内的な抑止力を明確に持っているれな子のガードは強靭だ。本人が「恋愛関係ではなく友人関係を希望する」という強力なポリシーを持っているのでどこからでも一手でハーレム終了を回避できる。
いちおう厳密に言えばれな子は恋人関係を完全に回避できているわけではなく、期間限定の恋人とかお試しの恋人とか二股とか色々なパターンがある。しかしそれは同性同士になって許容基準が上がったことによる言葉の綾でしかなく、特定の誰か一人とくっつくのを阻止する力学があることは依然として変わらない。
当たり前と言えば当たり前の話ではあるが、視聴者がれな子と紗月や紫陽花さん(や香穂ちゃん)とのワチャワチャを楽しめるのはれな子が真唯の誘いを強力に拒絶してくれているおかげなのだ。

百合ものとして

俺は美少女コンテンツ過激派なので、「百合しかない百合コンテンツは求めていない」と一貫して主張してきた。
美少女好きが高じて百合が好きなユーザーは同性愛そのものを求めているわけではない。単に画面に映るのが男よりは美少女の方が嬉しいので、その比率を最大にするためには恋愛描写も友情描写も美少女だけでやるのが最適というだけだ。

キャラクターが全員美少女であるのはゴールというよりはスタートであり、それをベースとして何か面白い話をちゃんとやってほしいという思いがある。
美少女同士が延々と乳繰り合っているのは一枚絵で済むことでしかなく、明確に時間発展のあるアニメでそれを見せられ続けるのは割に合わない。パンより白米の方が好きだったとしても、かといって白米だけドンと出てきてもそれほど嬉しくはないのであり、何か上に乗せてくれないと困るのだ(白米は目的というよりは前提だから)。

補足605:『安達としまむら』のようにきちんと恋愛ものとして質が高く成立している、つまり百合であることに甘えずにきちんとお互いの葛藤や問題を描いている場合は楽しめる。いま釘を刺しているのは「百合だから尊ければ何も起きなくてもいい」という勢力に対してである。

これは昔フォロワーが言っていたが、百合妄想キャラは実はストッパーの役割を果たしているという観察は蓋し慧眼だと思う。

百合ストッパー

例えば『ゆるゆり』の千歳は他の女の子同士の距離が近くなると百合妄想を始めて鼻血を吹き出すという特性を持っているが、一見すると百合好きキャラとして同性愛的な関係の背中を押すと見せかけて、実際のところは状況を一気にギャグ文脈に引き戻すことでシリアスな恋愛シーンを許さない役割を果たしている。
千歳の挙動はテンプレ的で面白くもない割にキャラのくっつきをコンスタントに妨害するので一部のファンからは嫌われているが、それこそが百合ものに何を求めているかという宗教対立でもある。

れな子は別に百合妄想キャラではないにせよ、まさしく千歳のような斥力を自前で内蔵しているとも言える。
つまり恋愛が始まろうとするたびに「ムリムリ」とか意味不明なことを言ってとりあえず拒絶に傾く振る舞いが、何も起こらない袋小路の百合に陥ることを抑止し、一定の葛藤や対立のような見どころを呼び込むことに繋がっている。
しかし強烈なプッシュによって時には押し流されそうにもなるギリギリのせめぎ合いこそ、メタに見れば美少女陣営と同性愛陣営の攻防でもあるとも言える。

陰キャものとして

わたなれ最大の慧眼はここだったと思う。
ハーレムものと百合ものにとって実は紙一重で恋愛関係を回避し続けることが求められるとして、その実現手段には近年流行りの陰キャものがマスターピースとしてハマるというのは明らかに一つの発明だ。

名だたる陰キャ主人公たちが恋人関係を求めていたかどうかには諸説ある。一般的に陰キャがリア充を憎むのはいわゆる防衛機制の「否認」であり、常に憧れが反転したアンビバレントなものだからだ。

例えば、少なくとも『わたモテ』のもこっち(初期)がリア充を憎むのは明らかに強烈な羨望感の裏返しだった。つまり可能なら彼氏を作りたいがどう考えてもそれが不可能なために懸命に否定しているわけで、彼氏が欲しいか欲しくないかで言えばたぶん欲しかっただろう。

その一方、『ぼざろ』の後藤は本心でも彼氏を望んでいるとはあまり思われない。

どういう感情?

後藤はリア充に憧れているというよりは、もっと素朴な苦手意識を抱いているように感じる。後藤のゴールはパリピになることというよりは精々パリピを恐れないようになることくらいで、切実な承認欲求はあれどそこに異性の姿が強く現れることは俺が覚えている限りではなかったはずだ。

この辺りは単に軟弱な萌え豚向けに男の影を除去したいという商業的な要請でもあったかもしれないが、何にせよ陰キャキャラが抱く恋人への需要が当初の反転を忘れて単なる撤退に漸近していることは、れな子に至るまでのビクトリーロードでもあっただろう。
れな子は明らかに否認の身振りなしで最初から恋人関係よりも友人関係に重きを置いており、陰キャ設定から由来する挙動に新しい説得力を創造している。

三方面からの利害の一致

話をまとめると、たぶんこういう構図になっている気がする。

利害の一致

実はハーレム・百合・陰キャの勢力それぞれに潜在的には恋人関係を拒絶する需要があり、ハーレム百合陰キャ主人公であるところのれな子がそれらの要請を一手に引き受けて「恋人になれるわけないじゃんムリムリ」と否定することが全方面に対して噛み合っているのだ。
当初は意味不明なタイトルだと思っていたが、様々な需要を鋭い眼力で見抜いて提出されたソリューションなのかもしれない。香穂ちゃんが活躍する劇場版も期待して待つ。




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