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24/10/21 ラノベ気分で読む第171回芥川賞受賞作「バリ山行」「サンショウウオの四十九日」

第171回芥川賞

ブロッコリーマンの読書会で芥川賞受賞作を毎回読んでいる(主催note→)。今回はW受賞だったので二作読んだ。

ちなみに芥川賞受賞作品を読むには単行本を買うよりも全文掲載されている号の文藝春秋を購入する方が得、今回は二作載っているので二倍得。

補足557:石破茂の総裁選に向けた意気込みや佐藤優のイスラエル訪問記も読める(俺は読んでいないが……)。

普段の芥川賞は時事ネタや今風な視点を盛り込んだナウい作品が受賞しているが、今回はどちらもラノベっぽいエンタメ寄りで良かった。なお「サンショウウオの四十九日」はけっこうネタバレが効く小説なので回避したい人は今のうちに何も見ずに読んだ方がいい。あらすじも見るな!

バリ山行

第171回芥川賞受賞作。

古くなった建外装修繕を専門とする新田テック建装に、内装リフォーム会社から転職して2年。会社の付き合いを極力避けてきた波多は同僚に誘われるまま六甲山登山に参加する。その後、社内登山グループは正式な登山部となり、波多も親睦を図る目的の気楽な活動をするようになっていたが、職人気質で変人扱いされ孤立しているベテラン社員妻鹿があえて登山路を外れる難易度の高い登山「バリ山行」をしていることを知ると……。

「山は遊びですよ。遊びで死んだら意味ないじゃないですか! 本物の危機は山じゃないですよ。街ですよ! 生活ですよ。妻鹿さんはそれから逃げてるだけじゃないですか!」(本文より抜粋)

会社も人生も山あり谷あり、バリの達人と危険な道行き。圧倒的生の実感を求め、山と人生を重ねて瞑走する純文山岳小説。


(Amazon商品説明文)

インターネットですら俺以外誰も言っていないのだが、BLラノベとして非常に秀逸で面白かった。読書会でも俺だけがずっと「メガ×ハタはあります」とか言ってた。

ない

恋愛ものとしてのフォーマット

これは奇を衒ったレビューで衆目を集めようとするオタクの盛りではない。実際、主人公・波多とヒロイン・妻鹿の出会いから別れまでがオーソドックスな恋愛もののフォーマットで組まれていることは否定できない事実だ。
最初は妻鹿からの怒鳴られというマイナス第一印象から始まるが、仕事で困ったところを助けてもらって一定見直すようになる。二人だけの登山デート回でかなり打ち解けたことで同時に妻鹿の狂人ぶりが明らかとなり、奇行に振り回された挙句に喧嘩別れになってしまう。そのわだかまりが解決しないうちに妻鹿は姿を消してしまうが、主人公はずっと登山しながら彼の幻影を追い続け、うっすらと再会を匂わせる新海誠エンドとなる。
これちょっとガワ替えして舞台を女子校の文化祭とかにすれば入間人間のラノベで電撃文庫から出てそう(ソシャゲ的発想)。

主人公とヒロインが距離を縮める相互理解の描き方に特に高級感があるのは、「接近への抵抗」が最重要の主題として最初から最後まで通底していることだ。
まあ女子小学生向けの恋愛小説ならくっ付いて好き好きHAPPYENDでいいのだが、もう少し対象層を上げようとするとなかなかそうもいかない。ある程度自我を確立した人間同士がお互いを理解するにあたってはただ接近するばかりではなく遠のくものも同時にあるし、それが無ければお互いに新たな視点を知ったり敬意が育まれたりすることもないだろう。
バリ山行では、「バリ」という妻鹿が好む登山方式にかかる「バリは一人でなければならない」という思想が「どんなに親しかろうと二人で登るのはベストではない」というジレンマ的制約として浮かび上がってきて、そういう妻鹿の思想を主人公が知れば知るほど二人でデートした回の例外的な希少価値も後からどんどん上昇してくる。バリというモチーフは表面的には仕事に重ねられているが、恋愛ないし接近という読み方に照らしても非常に良い働きをしているということだ。

狂人系ヒロイン妻鹿を語る

おっさんのバリ山行感想文は自分の仕事の話に繋げていくのが鉄板進行なのだろうと思いつつ、ラノベオタクすぎるのでヒロイントークに進んでしまうのを止められない。

ヒロインである妻鹿は中盤から狂人ぶりを露わにしていき凡庸な一般人である主人公の波多を振り回していくが(ほぼハルヒ)、そうは言っても女子高生ではなくおっさんであるところの妻鹿の思想は十分に共感できる。
おおよそ妻鹿曰く、死に直面すること自体が重要なのであり、その行動に合理的な目的や理由は必要ない。この手の考え方はある種の人生を送ってきたおっさんたちが既に共有しているものでもある。実際、似たような性質の人間たちが集まっている読書会では俺を含めて全員が妻鹿の思想に共感してしまい、逆にわざわざ話すことがあまりなかった。

(↑ある種の人生を送ってきたおっさん)

よって妻鹿さんの話をすることはほとんど自分語りになってしまうのだが、その前提で関連トピックを二つ挙げると、一つには俺がふだん「シャーマンキング理論」と呼んでいるものがある。
宗教色の濃いバトル漫画であるところのシャーマンキングを読んでいる世代が広そうで広くないので毎回説明する羽目になっているが、シャーマンキングには「死んで蘇生した、もしくは死にかけて生還した場合に全ステータスが圧倒的に上昇する」という謎のシステムがある。特に作中最強の一角であるアイアンメイデン・ジャンヌという美少女キャラが常にアイアンメイデンに収容されて拷問を受けることで自らを高めている異常者設定は令和の今でもオタク受けが良い。

人気なので未だにコラボとかで人選されがち(エレメンタルストーリー)

シャーマンキングを読んだ当時は意味わからんバトルシステムだと思っていたが、この年齢になるとかなり意味がわかってくる。比喩でもなんでもなく、人間が最も能力を伸ばすタイミングの一つは死にかけたときだ。俺も最近就活で死にかけたおかげで能力が向上した。
別に死にかける以外にも能力を伸ばす方法はあるし、死にかけるということは死ぬ可能性がある(死ぬ可能性もないのであれば死にかけたことにはならない)ので狙ってやらない方がいいが、そうは言っても死にかけると結果として強めのバフが入る可能性が低くないという人生の構造がある。死にかけると本気を出さざるを得ないし手段も選んでいられないので勝手に強くなってしまう、悲しいけれどそういう仕組みなのだ。

関連トピックの二つ目は、一部で大人気のyoutuber天竜川ナコンである。
彼も妻鹿とだいたい同じような思想を持っていて、思想的にはバリ山行のような動画をよく投稿している(縛り旅)。
www.youtube.com「ダイスを振って移動する」という字面だけ見るとどこにでもいるYoutuberっぽいが、ナコンが秀逸なのはダイスを振る癖に特に目的を設定しないところだ(凡庸なYoutuberならばダイスを振った先に目的地を作ってしまうだろう)。ただひたすらにダイスを振って移動するのみであり、本当に何も決めていないので終盤では帰り方や宿泊場所について嘆き始めるのが見どころになっている。
縛り旅に限らず、制約のみ定めて目的を定めないことによって乱数による体験値を高めていくことが彼の真骨頂だ。あらゆる領域に資本の論理が満ち満ちた現代において既成のパッケージに絡めとられるくらいなら、ダイスでも振って乱数に身を委ねた方がまだ自力で何かを見つけられる可能性が残る。とはいえ、読書会に来た人たちもナコン視聴者が多くこれもそうだねと頷くだけであまり話が発展しなかった。

補足558:最近の天竜川ナコンは人気が出すぎて全盛期の尖りが無くなってきたし、そろそろ普通に結婚発表とかして引退しそうな気もする。

総じてBLものとしてよくできたラノベで、ヒロインの思想を味わうのも面白い。腐女子のお姉さんたちも是非読んでみてください。

サンショウウオの四十九日

第171回芥川賞受賞作!

同じ身体を生きる姉妹、その驚きに満ちた普通の人生を描く、芥川賞受賞作。
周りからは一人に見える。でも私のすぐ隣にいるのは別のわたし。不思議なことはなにもない。けれど姉妹は考える、隣のあなたは誰なのか? そして今これを考えているのは誰なのか――三島賞受賞作『植物少女』の衝撃再び。最も注目される作家が医師としての経験と驚異の想像力で人生の普遍を描く、世界が初めて出会う物語。


(Amazon商品説明文)

こちらもだいぶラノベっぽいキャラ造形とギミックが良かった。
まず主人公が結合双生児の女性である(ちょうど半身ずつでDark Blueのアレみたいな感じになってる)。思考は共有しているが意識は二つある彼女ないし彼女たちというパンチの効いた造形で、異世界転生してもやれそうなパワーがある。

叙述トリックにエンタメ要素あり

主人公が結合双生児であることはしばらく秘匿されて単なる二人姉妹であるかのように偽装されているのだが(杏と瞬という)、開示に至るまでの叙述トリック的なギミックが謎解き要素として面白かった(冒頭にネタバレ注意と書いたのはここ)。
具体的には、一人称小説なのに地の文で他者の視点が混入しておかしくなっている箇所が散見される。例えば最もわかりやすいところは以下。

補足559:電子書籍で買うとページ数が可変なので表示できないのは読書会でもかなり不便である。

杏は懐かしい景色の空気を吸いたくなって助手席の窓を少しおろす。

(LW注:瞬視点のシーン)

不意に瞬は父にオムライスをやるのが惜しくなってきて、自分で食べようかと思ったが~

(LW注:杏視点のシーン)

それぞれ視点人物と異なる人物の内面が断言されてしまっており、文章の書き方としておかしい。
知り得ない他者の内面は推定に留めるべきであり、前者は「杏は懐かしい景色の空気を吸いたくなったのか、助手席の窓を少しおろす」、後者は「不意に瞬は父にオムライスをやるのが惜しくなってきたのか、自分で食べようかと思ったらしく~」と書くべきだ。語り手が持てる知識を作者が持っている知識と混同して情報管理を見誤るのは、分数を初めて学んだ初学者が分子と分母をそれぞれ足し合わせるが如く素人小説家に典型的な凡ミスである。

だから「こいつ文章下手か!?」と一瞬思ったが、言うて芥川賞を取っているし流石に何かギミックがあるはずだ、と疑いながら読み進めていくと、ヒントとして伯父さんの出生エピソード(伯父の体内にしばらく兄弟が残留していた話)が提示されたことを合わせて察するに、「たぶんドクちゃんベクちゃんみたいになんかくっついている感じなのでは……!?」と思ったら当たって気持ちよかった。ただ、だいぶ後に「結合双生児と聞いたほとんどの人は頭が二つあったりするのを想像しがち、半々になっているケースは想像しない」的なことが書いてあって掌の上で踊らされていたっぽい。
いずれにせよ、主人公最大の特徴を提示するにあたって「めちゃめちゃ初心者のミス文章っぽいけど実はこれで正解」という楽しい叙述トリックが仕込まれていたのが非常に面白い。そう思って読み返してみると、実は冒頭から「ギリギリ推定としても読めるがよく読むとおかしな断言をしている描写」が散見され、少しずつ違和感をインフレさせる形で丁寧にギミックが仕込まれていたこともわかる。

キャラ立ちはエンタメっぽくないが……

ラノベ気分で読んでいると若干気になるのは、結合双生児である瞬と杏のキャラ立ちがそれほど強くないことだ。
一定の嗜好や性格は描写されているものの一貫性には乏しく、二人が別のキャラとして読者の頭の中に残るほどキャラが立っていたかと言われると疑わしい。読み終わった時点でどちらが杏でどちらが瞬だったかを思い出すのかが若干難しく、これでは異世界転生したとき戦えないのではないかという懸念が残る。

補足560:ただ暴走状態の杏が「単生児」という語彙を用いるところはかなり熱く、その加点によって俺は瞬より杏の方が若干好き。

とはいえ、冷静に考えるとそんなキャラの立たせ方をやってしまうと小説として安っぽくなってしまうことは免れない(わかりやすさと安っぽさは大抵は抱き合わせになる)。
というのも、二人の分離を完全に実現してしまうと、一人ないし二人が自分ないし自分たちが一人ないし二人であることについて検討する余地がほとんど無くなってしまうからだ。読もうと思えば単なる多重人格という読みを許容する水準に留めておいた方が内面的な複雑さを読み込む上で豊かだし、最終的に瞬が死にそうで死ななかったのも彼女らの状態についてソリッドな答えを提示したくなかったからかもしれない。

オマケ:語り手の話

ややテクニカルな話なのでオマケとするが、さっき叙述トリックとして紹介したような、結合双生児の地の文が混濁するギミックについてはもう少し掘り下げておきたい。
厳密に言えば人称と語り手は異なる概念であることを踏まえて(詳細は以下のような適当な本を読んでほしい)、さっき引用した箇所では語り手の曖昧化ないし遍在という事態が起こっていることは注目に値する。

現代の小説においては、いわゆる言文一致によって書き言葉が話し言葉の文法を流用している以上、手法が一人称であろうが三人称であろうが結局のところ語っている誰かの存在を除去できないことが知られている。かつ、話し言葉の語り手は通常単一であることからほとんど全ての場合において語り手も単一であるわけだが、杏と瞬の思考がシームレスにスイッチしていた引用箇所では語り手が複数化していることが伺える。特に結合双生児であることを明かした以降では、語り手の権利が二人の間を移動しているというよりは、どちらが語り手であるかが特定できないような地の文が多用されるようになる(ここまでが瞬の語りでここからが杏の語りというような分離ができないということ)。
これは人称の問題ではないので三人称でも同様の状況は発生しうる(たまたま一人称だからわかりやすいだけで、本来は一人称に留まらない射程を持っているということ)。例えば三人称で語っている視点が誰かの内面に入り込んでいるのか、別の神視点か何かになっているのかが二重に解釈できてしまって特定できないという語り方は同じ手口で可能である。

そのあたりが個人的には面白いと思っていたのだが、文学に詳しいブロッコリーマンによると文学界では既出らしい。何なら芥川賞の審査員が既に同じことをもっとちゃんとやっているしむしろやり方が甘いと批判しているらしくて終わってしまった。
とはいえ、新規性に関しては文学的意義を語るレイヤーの話であって、つまり文学界プレデター帯でのコマいメタゲームの話に過ぎないのであって、エンタメラノベの派閥の我々にはモチーフレイヤーで食い下がるという選択肢もまだ残っている。つまり……美少女キャラの間で視点が共有されてたらかなり萌えだし色々やりようもありそうではある。

補足561:さすがに限界自分語りすぎて補足に回すが、俺がこういう結合双生児的な造形の萌えキャラを自分のラノベにもう出してしまったので個人的にはそれもそこまで新規ではないかなという感覚もないと言えば嘘になる。




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