以下の内容はhttps://saitonaname.hatenablog.com/entry/2026/01/24/203052より取得しました。


下半期よかったもの2025書籍編

 なんか一月が終わろうとしているらしいですね。光陰矢のごとしワロタ。二〇二五年の上半期よかった本リストもやった以上、下半期もやらないとなんか気持ちがわるいというごく個人的な理由から苦しくなっています。やってやりましょう。

saitonaname.hatenablog.com

 

 

ペソア詩集』(澤田直・訳編)

 ちょっと前(二〇二四年)に改版二刷が出たよ!というニュースだけは聞いていて、ただしっかりとペソアの名前を意識するに至ったのは須賀敦子による文章を定期的に読み返しているなかでだった。それも彼女が翻訳をおこなったアントニオ・タブッキを介して、である。たとえば『島とクジラと女をめぐる断片 (河出文庫)』の訳者あとがきでは「ポルトガル語の作家」タブッキを紹介するにあたり、その創作のきっかけにペソアの存在を見出している。

 一九四三年生まれのタブッキがそんなポルトガルに魅せられたのは、彼がまだ青年のころだった。七〇年代のはじめだろうか、彼はパリで勉強していて、ある日、ポルトガルとその国の詩に、いやもっとはっきりいうと、ポルトガルの偉大な現代詩人フェルナンド・ペソア(一八八八ー一九三五)の作品に出会い、この国のことばと、そしてこの詩人と生涯つきあっていくのが、どうやらじぶんの運命らしいとさとった。

 また須賀は『本に読まれて (中公文庫 す 24-1)』に収録されている「気になる作家アントニオ・タブッキ」でもやはりペソアに言及している。こちらは文庫になった『須賀敦子全集』にも収録されている。

 読者は、研究者としてのタブッキが、ポルトガルの現代詩人、フェルナンド・ペソア(一八八八ー一九三五)についての権威であることを忘れてはならない。(…)その作品の大半が詩人の死後に公表されたのだが、ペソアの詩の特徴は、彼自身が考案した《異名(エテロニム)》と呼ばれる一種の《分身あそび》にある。彼が産み出した出自も生いたちも異なる数人の《詩人》、たとえば田園詩を書くカイエロ、彼の弟子で古典ギリシア詩の教養のあるレイス、モダニスト未来派のアルヴァーロ・デ・カンポスらは、ペソアのいわば分身であり、彼はそれぞれ異なった人格や文体をみずから創造したばかりでなく、それらの詩人の詩集を、自分がつくった詩人の数だけ編むという変わった仕事をやりとげた。(…)

 この海外詩文庫の編訳をおこなった澤田直の解説を読むと「研究者によれば七十は下らないと言う彼の創造した異名のうち、主なものはアルベルト・カイエロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスの三人、本アンソロジーには彼らの詩とペソア本人名義(より正確に言えば同名者ペソア)の詩を収録した。」とある。

 肝心のペソア(とその《異名》たちの)詩については訳文でもテイストが異なっているのがあきらかに意識されており、ひとりの詩集なのにアンソロジーとしても読めるという不思議な一冊となっている。個人的には日常をだらっと生きるしかない実感のこもったカンポスの詩がたいへんよかった。

 本書の巻末には書誌や年譜以外に虚実のまざった主要関係者リスト「WHO’S WHO」があり、これだけでもおもしろい。ジョゼ・サラマーゴなんて『リカルド・レイスの死の年』というペソアの死後のレイスの話を書いている。読みたすぎ。

 

深谷忠記『「法隆寺の謎」殺人事件~寝台特急はやぶさ」180秒の逆転~』

 探偵役とヒロインのキスまでしか進んでない……みたいな往年のメロドラマ関係にはさすがに激苦笑したけれども、早口歴史解釈バトルにアリバイトリックとバラバラ殺人、最後には十六個の推理の材料が列挙されて解決編になだれ込む勢いはさすがに気持ちよかった。アリバイもので急にヴァン・ダインみたいなことやる人っているんスね……ミステリ、広いッスわ……。

 

津村秀介『裏街』

 アリバイトリックばっか書いてきた作家が十年以上かけて仕上げた究極の「アリバイ崩し」なるものが、戦後二十年の横浜で起こる根拠不明の殺人を発端にしたドッペルゲンガー幻想譚であり、崩されていくのが自己の連続性や確かさや境界になっていくのヤバすぎる。この作者のほかのアリバイ長編もいくつか読んだが、そちらはふつうに時刻表トリックその他だったので、これだけかなり異質なものとなっている。ちなみにこれは三部作の構想らしいが未完だそう。

 

サラ・グラン『探偵は壊れた街で』

 ハリケーンカトリーナ》から二年後の治安最悪ニューオーリンズで女探偵が失踪事件に挑む、という現代プライベート・アイの系譜、だけども主人公が幼少期に偶然出会った自己啓発ふう探偵指南書を全文覚えて座右の書になっていたり、夢や幻覚(ドラッグ)から啓示を得てくので大丈夫か…?となる。たぶん瞑想とかそういう感じだろうか、ホームズも阿片やってたし……。

 またハリケーンでぶっ壊れた街に金と利権のにおいをかぎつけたドナルド・トランプが視察に来ていた、みたいなエピソードのリアルなキツさもある、そしてラストは水害の物語とアメリカという国家の横顔にたどり着いてウォー、アメリカンディテクティブノベル!!!となる。最後にちゃんと帳尻があうの不思議すぎる。

 

倉野憲比古『スノウブラインド』

 作中でも言及されるが、『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』はOKで、『虚無への供物』はNG、といういまどきめずらしいタイプの変格ミステリ原理主義おじさんの魂が実体化したかのような作品。ここ四半世紀でロジック中心の本格ミステリのほうがどうしても評価されやすい傾向になったことは疑いようがないが、それでも語り継がれるだけのことはある出来となっている。

 

マーガレット・ミラー『鉄の門』

 有名タイトルのひとつ『まるで天使のような』はもちろんよかったのだが、なんとなくこの作者の手際を理解しきれなかった感触があり、あらためて『悪意の糸』など比較的最近の翻訳作品を読んでみたらめちゃくちゃ面白く、気づけばひと月でミラー作品を五、六冊くらい読んでいた。『鉄の門』は脅迫的なレベルで精神がまいってしまっている人の言語化がうますぎてこの時代にこれだけ書けてしまうのか……と圧倒された。

 あと当然ながら『これよりさき怪物領域』はほんとうに天才だとおもった。ロスマクは家を外から見つめる探偵像を書いてきたが、ミラーは家の内側で生きている人の話をずっと書いている。

 

内田隆三『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される?』

 ピエール・バイヤール『シャーロック・ホームズの誤謬 『バスカヴィル家の犬』再考』を読んだとき、こんなんただのめんどくさいミステリオタクが重箱の隅をつつき亭になってるだけじゃんね……と思ってこの読書家に対する信頼をしずかに失ったものだが、それはひとえにホームズの推理にホームズ流の対抗言説を唱えているという水かけ論的構図に由来しているのであって、おそらく内田のほうは別のアプローチによってそれを回避している。つまり、探偵側の目線ではなく、語り手≒作者がなぜこのような記述を採用したのか、というテクストへの戦略的解釈をおこなうことによって。

 

仰木日向『作曲少女Q~曲作りに悩みはじめた私がやらかした12の話』

 まつだひかり先生がイラストを担当している、作曲の抜け道やコラムをラノベ的にストーリーにして紹介するシリーズの番外編。以下は事実だけで人を殴る言葉。

「ちなみにこれがなぜ頻繁に起こる症状なのかというとね……」
 珠ちゃんは、少しいたずらっぽく笑いながら言う。

「作品を読み解いて評論するっていうのは、超超簡単にクリエイター気分を味わえるものだからなんだよ。とくに努力も能力も必要ないことなのに『わかる』=『できる』と思い込んでしまうんだ。観るのも聴くのも読むのも、受け取るだけだし簡単だ。そこに工夫はいらない。そもそも作品は、受け取る人に伝わるように考えられて作られてるケースがほとんどだからね。もしわからないものだったとしても、自分のサジ加減で抽象的に評論しちゃえばまるで深みのあることを『わかってるような気分にもなれる』し、『作れるような気分にもなる』。実際に作れるわけでもないのにね。でもそれは、手軽だし楽しい気分になれるから、ついうっかりインプット&評論にハマってしまう人は多い」

 うーん、なんというか、このブログみたいな話ッスね。

 

夜野せせり『おとなになりたくないわたし』

 身体にコンプレックスを感じることについて、話すことができる相手がいるということ。挿画の描き方についてもたいへん丁寧なアプローチがなされていて、かくありたいと思わせるくらいによいお話だった。

 

長谷川まりる『この世は生きる価値がある』

 いわゆる「転生」先でもともといた人間の人格を乗っ取ってしまったのではないか、みたいな罪悪の問題系があることはなんとなく知っていたのだが、こちらは現代の世界で人間が亡くなった瞬間にまったくべつの存在が入り込み、まず身体があることに感動するところからはじまっていく変則的な「生きる」を謳歌する物語。とりわけ語り手と周囲とのあいだにあるつかみどころのない壁のようなものの筆致にすごみがある。

 

エルサ・モランテ『嘘と魔法』(上・下)

 上下巻各400pかつ二段組の大長編。両親を失い、保護者も失った天涯孤独の女性が語りはじめるのは、やがて現在の自身にいたることになる壮大な家族の歴史(ファミリー・ヒストリー)で、しかしその人間関係は見栄や嘘、愛や嫉妬や憎しみが解きほぐせないほどに絡み合っている。

 なによりこの物語を語ろうとする人間はどう考えても上巻のほとんどで起きている出来事を知りようがない(伝聞にも限界があるし、親世代のさらに親世代にいたっては存在を知りえたかどうかさえわからない)。にもかかわらず人間も物語もそのような想像や嘘がなければこの作中で生きえない構造になっていて、下巻に入ると登場人物の言葉ひとつひとつに異様なまでの重みがうまれていく。つまりは「声」の行き交いにすべてが託されている。

 そのような点で、これを読みながら自分はナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話 (白水Uブックス 120 海外小説の誘惑)』を思い出していたのだが、編集者だった彼女が最初に『嘘と魔法』の原稿を読んだことが下巻の解説で書いてあったので、やはりそのような声の系譜の原液みたいな作品なのだろう。てか、どうにか『イーダの長い夜  ラ・ストーリア』新訳してくれませんかね……池澤夏樹の力を借りて……。

 

アニー・エルノー『嫉妬/事件』

 男性がカスすぎる。怒りの文章。

 

丹治愛『ドラキュラ・シンドローム 外国を恐怖する英国ヴィクトリア朝

 ブラム・ストーカーの小説が書かれた年代におけるイギリスと周辺国の微妙なパワーバランスやユダヤ人差別のイメージをさまざまな文献と重ねてゼノフォビア的に論じる本。このあたりの内容はめぐりめぐって『「ヒト×ヒト」以外百合アンソロジー Omnisで書いた吸血鬼百合「証し」の精神的なスプリングボードになりました。

www.melonbooks.co.jp

 

三河ごーすと『姉妹傭兵』

 戦況を左右する作戦や俯瞰的なストーリーもなければ、スタイリッシュガンアクションもなく、主人公のフィルターを通すと異国の戦場であっても日本での生活上の比喩で語られることになるという、ある種のミリタリーラノベからなにを削っていくかという構造になっている点がよかった。

 またいわゆる「セカイ系」的な精神の前提にあった「遠くの国の知らない戦争」≒90年代以降のテレビ報道や、そこから戦争アクションゲームが意識的に「リアル」として輸入、再生産していく映像イメージ(たとえば『フルメタル・ジャケット』の終盤の臨場感のあるカメラワークとか)といった表象群に対する小説側の応答を感じさせる。日常/非日常の差を与えることができない語り手をあえて通すことで、逆説的になにかを語ろうとしている瞬間があった。ただ、バイセクシュアルの表現はかなり残念なところがあったのが惜しい。たいへん惜しい。

 

山賀塩太郎『すぐケンカする都会ギャルと京美人を仲直りさせたいだけなのに! (※わたしを取り合うのはやめなさい!)』

 最近というほどでもないがガールズラブコメ/百合のポスト『わたなれ』ライトノベル主人公は自己肯定感の低さから他者から自分がどのように見えているかを意図してオミットしているのに反して相手をところかまわず褒めちぎったり好意を伝えたりすることができてしまう信頼できない語り手となっていてつまりは甘織れな子さんによる瀬名紫陽花さん無自覚惚れさせ問題をずっとやっているんですよね(傍点ここまで)

 

としぞう『憧れのお姉様が「妹になりたい」って甘えてくるんだけど!?①』

 最近というほどでもないがガールズラブコメ/百合のポスト『わたなれ』ライトノベル主人公は自己肯定感の低さから他者から自分がどのように見えているかを意図してオミットしているのに反して相手をところかまわず褒めちぎったり好意を伝えたりすることができてしまう信頼できない語り手となっていてつまりは甘織れな子さんによる瀬名紫陽花さん無自覚惚れさせ問題をずっとやっているんですよね(傍点ここまで2)

 

石川幹子『緑地と文化 社会的共通資本としての杜』

 神宮外苑の樹木伐採や開発計画に本気で、ロジカルに、キレている。内容についてはじっさいに読んでいただく以上のことはないのだが、できればいきづらい部!の山田真緑さんにも読んでいただきたい、と思っています。

ノープラスチック・ノーカーボンを歌う山田真緑さん。

 

中條献アメリカ史とレイシズム

 昨年から知人とマーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ』(岩波文庫・荒このみ訳)を一冊ずつ進めていく読書会をしているのだが、その途中で作中での出来事(黒人奴隷の解放やKKKなど)とリンクしている本が出ていたので。アメリカ史におけるレイシズム、つまりその前提となる「人種」概念がどのように構築され、普及していったのかを語る。最初の章の扉に出てくる写真が「解放」された黒人がたくさん並んで本を読んでいるという(おそらくは意図して撮影された)ものでたいへんぎょっとするのだが、そのあたりからしてアメリカ建国から現代までの素描をおこなっているよい本。

 

瀬戸夏子『をとめよ素晴らしき人生を得よ 女人短歌のレジスタンス』

note.com

 わたしが短歌について説明しても下手なことにしかならないので、「はじめに」を読んでいただけるとよいと思います。圧倒的なリサーチに感服するしかない。紹介されている歌人を中心にした短いアンソロジーが付録として巻末にあり、それもたいへんありがたい。ミステリファンとしては中城ふみ子中井英夫の章がうれしい。なにせミステリオタクの内側からは出てこない態度で一定の距離をとりつつ語ってくれるから。

 

ジャック・ハルバースタム『失敗のクィアアート 反乱するアニメーション』

 序盤はどうしても前提をあまり共有できていないのと、いまどき『ベイブ』や『バグズ・ライフ』の話をされても記憶の彼方すぎる……とかなり苦労して読んでいたが、『ファインディング・ニモ』あたりからだんだんとピントがあってきて、そうしてみると遡及的にさっきまでよくわかっていなかった部分も全体図のなかの位置が見えてきて、刺激的な読書だった。

 

『アニメ音響の魔法 音響監督が語る、音づくりのすべて』

  • ビー・エヌ・エヌ

 音響の技術論、というよりいかに現場を成立させるかという仕事論に近い、とはいえみんなアナログ→デジタル移行でPro Toolsの話をしていたり、軽いこぼれ話がだいたいぜんぶ歴史なのでそういう証言集としてたいへん読み応えがあった。わたしたち(わたしたち?)はアニメを語るとき、いつも絵づくりかセリフの話に偏ってしまうので、音についてもっと言葉や分解能を持ちたいと思う。

 

大橋崇行ライトノベルから見た少女/少年小説史』

 サブカル批評において戦後のまんが・アニメ表現からやってきたと言われがちな従来のライトノベル成立論に対して明治期からの引用の織物(バルト)であることを語り、改めて文学史のなかでの位置づけを検討するたいへん丁寧な本。批評がすべてではないし、反対にアカデミックな語りがすべてではないとはいえ、アプローチが異なることでなにが語り落とされるかを認識しておくにこしたことはない。複数の分野を橋渡ししてきた大橋先生のストレートな主張が力づよく、よい。

 

松浦寿輝『平面論ーーー1880年代西欧』

 しかしそれにしても、そもそも「イメージ」とはいったい何か。それでありながらそれではないもの――言ってしまえば、これが「イメージ」だ。「イメージ」の定義のうちもっとも単純で、かつまたそれが誤っているとはだれにも言えない定式とは、「それであり、かつそれでない」というものだろう。(太字は傍点)

 

アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』

 田崎英明無能な者たちの共同体』がすばらしかったので、そのタイトルの参照元のひとつであろうこちらも読んだ。田崎の本が自然状態におけるコミュニケーションが暴力の側面を持つことに注目していた(とおもわれる)のに対し、リンギスは他者の他者性すなわちコミュニケーションの不可能性にこそコミュニケーションの可能性を見出そうとしている(ようにおもえる)。

 コミュニケーションとは、メッセージを、バックグラウンド・ノイズとそのメッセージに内在するノイズから、引き出すことを意味する。コミュニケーションとは、干渉と混乱にたいする闘いである。それは、背景に押し戻されなければならない無関係で曖昧な信号、そして地方なまり、発音間違い、聞こえてこない発音、口ごもり、咳、叫び、途中で取り消され最後まで語られない言葉、非文法的表現といった、対話者が互いに相手に送る信号に含まれる不快な音と、文字記号の悪筆にたいする闘いなのである。

 

小山田浩子『作文』

 戦後八十年小説、といってよい。記憶の継承という話はいつもどこでも何度でもされているが、ここでいう「作文」というのは、幼いころ直接戦争を体験した世代に話を聴き、それを書き、教室で発表するようなものだ。けれどもここには「継承」という言葉が内包するパラドックスが提示されている。なぜなら「作文」というのは「録音」でも「聞き書き」でもないからだ。そこには子供たちのなかに内面化された戦争のすがたがあり、そのねじれのなかでわたしたちは生きている。

 

朝吹真理子「きいて」

 戦後八十年小説、といってよい。短編でありながら複数の人物、異なる時代のオムニバス的なところがあり、かつメディアとして語られる「戦後」や「平和」といったものが無自覚にドメスティックな語りとして扱われる傾向があり、加えてマジョリティのためのものにされていやしないか、というところを後ろから刺してくる。

 

平野啓一郎『文学は何の役に立つのか?』

 パフォーマティヴなタイトルは講演の書き起こしで、一冊の本のすべてではない(たいへんまっとうな話をしている)。ただ、この長いものも短いものもまとめている本書でいちばん読んでほしいのは、かつて文芸誌に掲載された「『オッペンハイマー』論 ーオッペンハイマークリストファー・ノーランの倫理」という骨太な批評だろう。

 ノーラン作品の過去作品を複数参照しながら、それらに頻出する奇妙な因果関係の取扱い(たとえば『インセプション』は存在しない概念を夢に埋め込むことで当該人物のなかに「結論」を与えてしまうSF設定が採用されている)を丁寧に読み取り、そのうえで『オッペンハイマー』の表現を検討している。

 日本での公開前からよく言われていたのは、原爆そのものの被害が映されず、作中でのオッペンハイマー爆撃後の映像から「顔を伏せ、視線をそらす姿」だけが描かれている、というものだった。

 もちろんこのシークエンスはじっさい見てみると多義的で、伝記的事実はともかく、ここでのオッペンハイマーは「自分の罪から目をそらしている(反省していない)」とも取れるし「あまりの惨状にショックを受けている(反省している)」とも取れる。もちろん断片を切り出して判断するのは観客の自由だが、平野は全体の構成を見据えつつ、どのような映像になっているのかをじっくりと書いている。ノーラン論としても出色の内容だった。

 

金原ひとみ『ミーツ・ザ・ワールド』

 オタ活/推し活描写としてはちょっと前だな、という印象ではあったけれど、まっとうさとどうしようもなさのはざまでもがいている主人公(彼女が沼っている肉の部位を擬人化したアニメはかなり目的のために生きているキャラしかおらずグロいがそれにはあまり気づいていない)よりも、彼女の周囲にいる、自分のどうしようもなさゆえに大切な人を将来的に破壊してしまうんじゃないか、みたいな怖れにかなり心が傾いてしまった。具体的にはシオランbotを引用してくるアンニュイな作家の人に。

 

坂崎かおる『へび』

 ある日妻が「人形」になってしまい、代わりに育児の仕事をぜんぶやることになった夫が主人公で、小学生の息子はASD傾向のあるADHDと診断されている。そのうえで語り手が「へび」のぬいぐるみとして登場し、文章スタイルが意図的に寸断(文字通りスラッシュ/が入る)され、現実/虚構を見ている・語っているものがシャッフルされつつ進んでいくけれども大事なものをどう捉えるか、取りこぼしてしまうのか、といったところに迫っており、とてもよかった。

 

『コマ送り-Frame by Frame-vol.1 アニメ業界とフェミニズムvol.1』

fbfkomaokuri.base.shopframe-by-frame.studio.site

 公式ページの「About Us」を読んでください。個人的にめちゃくちゃ応援しています。造本もかっこいい。アニメとフェミニズムの関係はもっと語られるべきだとずっと思っているので、スーパーおすすめです。

 

 以上、三十冊。いまも書いている評論や小説やその他のための資料が無限にあり、無限に横になっていたり、横なので、横になっています。あと、岡崎いるかさんをよろしくお願いします。なにとぞ、ほんとうによろしくお願いいたします。

超近況:『メダリスト』のウエハースを箱買いした。

 

告知:『ストレンジ・フィクションズ Vol.5』通販を開始しました

strange-fictions.booth.pm

 告知です!!!!

 先日の文学フリマ京都10に頒布しました『ストレンジ・フィクションズ Vol.5』の通販を開始しました。今回は【アニメ批評特集】です。わたしの新録としては、昨年公開された『不思議の国でアリスと』を中心にP.A.WORKS篠原俊哉監督&柿原優子脚本タッグアニメ論を書きました。2.4万字あります

 なんと特別寄稿ゲストは川西ノブヒロ先生矢部嵩先生! 

 川西先生はわたしの敬愛するアイカツ!シリーズといまも生きている本物の漫画家であり、その生き様を余すことなく語ってくれています。また矢部先生はわたしのうろんなアニメブログ*1を読んで応答してくれた部分が一部あり、どちらも感動のアニメ文章です。アニメガタリズです。ぜったい読んでくれよな!

 また、表紙イラスト・デザインは鈴木りつ先生ですが、キャラクターは川西ノブヒロ先生の「好きなアニメが終わった。」から登場、というキセキのコラボレーションが実現しています。ぜひこちらもよろしくお願いします。あと川西先生の「女児向け筐体全身浴」は本物の漫画です。読んでおいたほうがいいですよ、なにせ本物ですからね。

booth.pm

nkawani.booth.pm

 

エンディング:鈴木凹「リファレンス・エンジン」


www.youtube.com

 

おまけ:2025年のよかったプレイリストとサンフェーデッド(篠澤広)カバー

open.spotify.com

soundcloud.com

 いつでも文化祭でバンドを組む練習をしています。




以上の内容はhttps://saitonaname.hatenablog.com/entry/2026/01/24/203052より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14