タイトルの通りです。あらすじ以上のネタバレはそこまでしない予定ですので、サブスクに入るかディスクを購入するか、あるいは上映している劇場にダッシュすることを推奨しておきます。よしなに。
それではやっていきましょう。
『地獄でも大丈夫』
いじめられていた女の子ふたりが、修学旅行の前に自殺をはかろうとするも、そのいじめの元凶になったクラスメイトが現在ソウルでかなりいい感じの暮らしをしており、なんなら今後は留学も控えて人生順風満帆ゾーンに入っていると知り、秒で「よっしゃ復讐すっぞ!!!」と実家の店からお金を持ち逃げしてその日のうちに深夜バスでソウルへ……というパワフルな勢いで進むバディムービー。とはいえそこはまだ序盤で、その復讐対象となる女子が生活しているのはどうも善行ポイントを稼ぐことで「約束の地」的などこかへと向かうことができるとされる宗教団体で……。
全体的な建て付けは意図しているかわからないものの、安っぽいところが多く、その点はどこまで受け取っていいのか海を隔てている人間からするとわからないところはある。ただ、そのなかで一方的に青春を奪われたことに対する怒りや鬱屈を抱えている主演ふたりのそれぞれ異なる葛藤が見え隠れするシーンはたいへんよく、終盤の「なんでもない」ようなロケーションだからこそ交わされる言葉もよかった。見たあとは走りたくなるようなパワーがある。
『ウィキッド ふたりの魔女』
ディズニー映画のヴィランにスポットをあてるムーブが盛況になる以前から上演されていたミュージカルであり、なんか知らんうちに百合のオタクも好きな演目らしい……とは聞いていたが、想像以上に正反対なヤツと一緒に生活を!?的なデコボコケンカップル百合(以下動画参照)で笑ってしまった。
また、こういう題材でありがちなイケメンだけど頭カラッポ系王子(御曹司の場合もある)の描写にしても、ただ理由があってそうしているだけではないといった話が語られるくだりもあって、世界や人間への福利厚生があるな……と思ってしまう。いちばんドギツイのは衆愚政治と差別描写だが(アメリカ建国史~~)、これでもかなりわかりやすく抽象化されたもののはずで、今年上映される後編でどこまでやってみせるのかは気になるところ。
『セルロイド・クローゼット』
リマスター上映で。ハリウッド映画における「ヘイズコード」がどのように制定され、映画制作者たちが同性愛者を描くときの姿勢を語り直そうとするドキュメンタリー。異性愛規範の社会では同性愛者は忌避されるか、道化のように笑われる存在であり、ときには当然のように死に追いやられる。しかしそのなかで個々の実践は後世に爪痕を残そうとする(むろんバッドイメージも量産されることになるのだが)。すでにこのドキュメンタリーじたいが古典のひとつになっている点はまぬかれないが、いまなおわたしたちをエンパワメントしてくれる表現の源流を教えてくれる。
『スターレット』
『ANORA アノーラ』がよかったので、ショーン・ベイカー初期傑作選で見た。構造はほぼアノーラと似たような感じというか、アメリカンドリームの端っこで生きている人間の上昇願望と現状維持しかできない今とその変化を感情の動きとともに描いている。ショーン・ベイカーってずっとこういうの好きやね。
ロサンゼルスでポルノ女優の仕事をしている主人公・ジェーンが、たまたま道端でやっていたガレージセールで購入したポットのなかから大量の札束を見つけてしまい、しかし売り主の老女・セイディに返そうにもシャットアウトされてしまう。代わりにジェーンはひとり暮らしをしているセイディの買い物の送迎など、生活の補助を自主的にはじめ、ふたりは次第に友人のような立ち位置となっていく。しかしお金の話や自分の職業のことを告げられないジェーンに対し、セイディもまた自分たちの関係が簡単に駄目になってしまう可能性に気づきはじめ……という年の差共依存百合(プラス罪悪感×2)といってもよい微妙な関係を描いた傑作であり、2025年に見た犬映画ナンバーワンです。おすすめ。
『The Summer/あの夏』
チェ・ウニョン『わたしに無害なひと』に収録されていた短編「あの夏」のアニメ化(せっかくなので日本語吹き替えで見た)。60分という短い尺のためか、省かれている箇所は多くあって惜しいな、というところはあるが、ゼロ年代の田舎から都会に出たのち、レズビアンコミュニティに参加して自分なりの居場所を見つけようとしては移動してゆく人間の生活の肌感を映像に落とし込もうとしている気配がある(現代のビアンバーがアニメになったことなんて日本ではまだほとんどないのでは)。じっさいのアニメーションは想定よりも暖色が綺麗に出ており、初期新海誠っぽい光線の感じを受け取ったが、これはたんにガラケーでキャラが連絡を取り合ってたせいかもしれない。
映像的にも韓国田舎コミュニティの描かれ方はかなり日本のゼロ年代で見たことある女性蔑視、同性愛差別社会だな……という感じで、その世界を経験しているティーンズから大学生くらいの人間(とりわけ同性愛者)にとって、出会いたい相手と出会えるかなどはまったく先の見えない話であるからこそ、イギョンがスイに対しておこなった仕打ちへの内省(原作では短いながらもそこにひとつの山として語られる)は描写としてあと一歩ほしかったな、と思ってしまう。せめてあと15分尺があれば……。
『不思議の国でアリスと ーDive in Wonderlandー』
本作については今月の文学フリマ京都10の新刊でめちゃくちゃ扱います。キーワードとしては、エンドロールで「スペシャルサンクス 新川和江」と表記されていた女性詩人を軸に、『アリス』をいま語ることはどういうことなのかをゴリゴリに書いています。篠原俊哉(監督)と柿原優子(脚本)というPAワークスのタッグとして過去作『色づく世界の明日から』と『白い砂のアクアトープ』からの連続性もふくめて扱っているため、およそ2.4万字のクソデカ評論になりました。乞うご期待。
『遠い山なみの光』
カズオ・イシグロ作品をミステリーとして受け取るのはあんまりよい筋ではないと思っている派閥ですが、今回については戦後日本での女性がどのように生きていくしかなかったのか、という点で自身のライフ・ヒストリーに矛盾を内包する必要があったゆえに、ひとつの共同関係が持ち込まれている。そしてそれを受け取るのが縦の系譜という点で、映像としてはかなり意図的に描かれていた対比の構図ではないかと思いました。あと2025年は『ゆきてかへらぬ』にしろ、広瀬すずがどんどん画面内でも他者を突き放してしまえるほどの迫力を持つ演者になっていることを実感する年でした。
『ひとつの机、ふたつの制服』
受験の成績が悪く、高校の夜間部に通うことになった主人公・小愛(シャオアイ)はおなじ机を共有する全日制の敏敏(ミンミン)と仲良くなり、机友(デスクメイト)という絆を築く。やがてふたりは互いの制服を交換するなどによって校門の守衛を出し抜いて遊ぶことを覚えるようになる。しかしあるとき、ふたりが好きになっている男子がおなじ人物であることに気づくものの、小愛は夜間部であることを負い目に感じ……という学力差(かつ家庭環境・階級差)が出てくる受験ラブコメ。百合かどうかはみなさんの目で確かめてください。
また本作に登場するとある趣向がエドワード・ヤンの某作のパロディじゃね?と思いながら見ていたものの、今日映画館で見た『ヤンヤン 夏の想い出4Kレストア』にも無事この第一女子高校の緑色の制服を着たキャラクターが出てきたので、魂で理解しました。こいつはエドワード・ヤンが好きすぎる。

『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第2章』
『アイカツプリパラ』の話はしたい人たちでしましょう。同窓会コンテンツなんで……。ニジガク劇場版も卒業旅行みたいなものですが、TVシリーズでお出しされた固定カプ以外の絡みを見せてくれるので、嬉しい(嬉しい)。
今回の第二章は京阪神が舞台なので、ぜんぶ見たことある~~と思いながら見ました。三宮のアニメイトに来てまですることが優木せつ菜さんの好きなアニメだと教えてくれた円盤をそのままノータイムで買うことになってる宮下愛さんに震えました。それはそれとしてあまりにも脱臭された空間のみが映る京阪神には複雑な思いも……おれがいつも梅田スカイビルに行くための地下道とおって梅田シャングリラ(ライブハウス)に行っていた歴史はもう残っておらず、いい感じに整備された綺麗な公園だけが存在している……。山田真緑さんは今日も大阪のどこかに捨てられたゴミを拾っている……。

『君と私』
上映すぐ、2014年に起きた大量死の出来事が説明され、物語はその前日の、なんでもない学校の風景からはじまる。前半は光の加減もあってか、とにかく岩井俊二『花とアリス』フォロワーであることを示唆するような画面や、だらっとした会話(MBTIをMBAと言い間違えたりとか)の応酬で展開されたのち、それこそ空を掴もうとするような探索に体力と時間が費やされ、どこに収束するのかもわからない。
けれども夜が近づくにつれ、あなたはなにもわかっていない、と面と向かって言われながら、目の前の苦しんでいる人を助けようともするし、その痛みも知っていると思いたいし、それでもちゃんと自分の気持ちを伝えたいという少女の見えなかった関係が、感情がかたちになっていく。それは反対にいえば、すべての結末を知らされているわたしたちが、これから唐突に失われるものが、いかにかけがえがなく、取り返しがつかないものであるかを知る過程となっていく。
だから、受け止める過程、では決してない。それらの言葉がすべて、鏡のようにスクリーンを見ているわたしたちにも返ってくる。そうでなければ救いがない、とわたしは思う。
水上文が本作に寄せた批評は、「女性同性愛」と「悲劇」という組み合わせの歴史的な物語の消費類型を指摘したうえで、この美的感覚に満ちた映画とクィアネスのステレオタイプな悲劇の距離が近すぎるがゆえに、素直に受け止めることのむずかしさを書いている。わたしもこの点については同意する。けれどもわたしは、この「鏡」という映画に持ち込まれた独特のモチーフに、おそらく救いの回路をどうにか探そうとしており、考えている。
『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) ネクストシャイン!』
映画館では、開幕即「ムリムリ進化論」が流れるのだが、案の定埋まりまくりの劇場でかなり前列めの席をとったところ、れな子がでっかいハートに押しつぶされて「あ^~~」というくだりでわたしもクソデカいハートにつぶされるかと思いました。具体的な内容をわざわざ語るのはそれこそ野暮というものでしょう。
また「ネクストシャイン」パートは2026年1月1日より各種サービスで配信されているらしいです。ネクストシャインって初日の出のことだったんですね。
『この本を盗む者は』
VG+(バゴプラ)さんで原作紹介記事を書かせてもらった身で言うのもあれですが、こんなにアニメで楽しくなるとは思わなくて、公開当日まで知り合いにも言えなくてうずうずしていました。
最初にわたしが感動したのはお泊まりパートのくだりです(原作では各話のあいだに時間があったのですが、映像化にあたって連続した時間を設定したため、結果としていちゃいちゃお世話百合パートがふんだんに用意されることになっている)。ありがとう、中西やすひろ……。あととにかくメインのふたりの表情がコロコロ変わるのがライド感のあるアニメ作品としてもグッドでした。
それと原作では「本泥棒」というところに対して比重があったように思えたのですが、アニメのほうでは「物語」というものが他者支配の構図のひとつであり、そこから抜け出ていくための武器もまた「物語」なのだ、というポジティブな描き方をしていて、たいへん感銘を受けました。あと映画を観たみなさんは文庫版表紙をちゃんと確認しておいてください……。わたしからは以上です。

というわけで2025年に劇場で見た12作品を紹介しました。みなさんもよき百合ライフを……ほな……今年もよろしくお願いします……。