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ライトノベル・漫画・アニメ等で『現代思想〈恋愛/友情〉の現在』を考えていくために書いたメモ。

 本記事はX(旧Twitter)スペースで9月28日におこなう現代思想〈恋愛〉の現在』『現代思想〈友情〉の現在』読書会のために書かれた。すばらしく雑に書いているのでこの内容はおおむね無視してもよい。あとで加筆するかもしれない。あとガガガ文庫が好きなのでガガガ文庫を中心に話をします。

 

 

俺ガイル以前の(ゼロ年代)自意識フィクション

 90~ゼロ年代の終わりなき日常(?)のことはよくわからないものの、ライトノベルや漫画のなかでたびたび描かれてきたのは主人公の「自意識」だったように思う。あるいはジェンダーロールとの軋轢かもしれない。

 わかりやすいのは桜庭一樹GOSICKシリーズだ(現在は角川文庫だが発売当初は富士見ミステリー文庫だった)。

 ある程度まで抽象化された近代国家と戦争表象が見え隠れするなかで、周囲や兄に対してコンプレックスを抱えている主人公・久城一弥は、自身を奮い立たせるためにたびたび「帝国軍人の息子」であることを言い聞かせるように内心で語る。どうしてそう言うのかといえば、そのように肉体的・精神的に振る舞うことができないからだ。アニメ版や挿絵等を見てもわかるように、彼の身体は筋骨隆々の軍人というステロタイプのイメージからは離れている。

 身も蓋もない言い方だが、ライトノベル等はこういうスポーツ系で活躍することのむずかしい男性像を主人公にしたうえでヒット作を生んでいる。

『”文学少女”』シリーズの井上言葉くんや、ライトノベルではないものの、ナルコレプシーという持病のためにヒロインを助けることの成否に悩まされることになるLittle Busters!』の直枝理樹くんなど。(このあたりをぜんぶ”草食系男子””文化系男子”とくくってしまうのはどうなのか)

 森岡せんせいの本が浅野いにおイラストなのは象徴的だと思う。もう少し進むと「比モテ」とかの言葉も出てくるだろうか。まだソラニンが映像化されていないものの、全国各地のヴィレバンには浅野いにお作品が並んでいたはずだ。小学館ビッグコミック系列だけれど、花沢健吾には手を出さないあたりの人が読んでいた記憶がある。

 草食系男子はともかく、ゼロ年代前半におけるライトノベルのこのあたりは身体的要件の比重が大きいのであって、いわゆる「ラブコメ」的な自意識に踏み入るほどではなかったはずだ。

 もちろん富士見ミステリー文庫はある時期から「LOVE寄せ」と呼ばれる路線返校をおこなうのだが、それが商業的に劇的なヒット作につながっていったかはいまいちわからないところがある。また男性ファンより女性ファン向けに行ったという意見も見た。

 とはいえ、木ノ歌詠『幽霊列車とこんぺい糖』(新装版)のあとがきでも次のような言及がある*1ので、このあたり歴史的な事実といってよいだろう。

二〇〇三年十二月には思い切った路線変更が実施され、「L・O・V・E!」というコンセプトが銘打たれました。富士ミス愛好家たちの間で「LOVE寄せ」と呼ばれたリニューアルです。これにより、恋愛や青春が前面に押し出されるようになりました。

 もちろん、ゼロ年代中期くらいに涼宮ハルヒの憂鬱のようなアニメ化にめぐまれたヒット作はすでにあったが、じゃあキョンハルヒがどのくらい個々人の感情と向き合いつつコミュニケーションしていたかというと、そうではないだろう。そのあたりを全面的テーマにする『消失』映像化はもっとあとだ。なにしろ当時のオタクはアニメオリジナル回サムデイ イン ザ レインの砂糖ひとつまみ程度しかないデレに対してすら号泣していたと記憶している。おまえ記憶の話ばっかだな。ごめんて。

 その一方で、明確な「ラブコメ」としておそらく多くの人が挙げると思われるのは竹宮ゆゆことらドラ!』シリーズで、これはうたい文句としても刊行の時点から超弩級ブコメと言い続けていた。その一作前の『わたしたちの田村君』については、ふたりの女の子のあいだで揺れ動く主人公の悩みの話をしていたが、いかんせん二巻で終わったこともあり、そのあたりが前面に出ることも、多くの読者の目に入ることもなかったと思われる。

とらドラ!』主人公の高須竜児くんは、当時のラノベにしては明確な家事労働担当者(いまでいうヤングケアラー的な立ち位置)で、松居一代の「松居棒」をパロディにしたお掃除アイテム「高須棒」を使っているくらいに掃除オタクだが、自分の性格に対して目つきがめちゃくちゃ悪くて不良扱いされていることのギャップに悩んでいる、ふつうに恋をしている純朴な少年だった*2

 いっぽうヒロインの逢坂大河は、木刀を持って主人公を襲撃・ご飯めっちゃ食べる・主人公にだけ当たりが強い、という、定番に対する逆張りみたいなキャラ造形をしており、意図的に、中高生の考える男女イメージを逆転させた状態で物語をスタートさせている。そしてこのふたりはお互いの恋をそれぞれ応援する戦友ポジからスタートして、終盤になると恋愛を意識していくのだが、お互いの家庭へのコンプレックスから自縄自縛に陥る……それはまあみなさんがじっさいに読んだりアニメ見たりしてください。

 高須くん以後、ライトノベル・アニメで家事労働の話が出るかというと、あまり、という感じがする。自炊するキャラクターはいるが、その家庭環境が物語の結論レベルに関わってくるかというと難しい。2011年スタートの『俺の彼女と幼なじみが修羅すぎる』は親が不倫しまくった結果、主人公が「恋愛アンチ」を名乗るところからスタートするが、それはそれとして、恋愛そのものを拒絶している感じではない。

 このあたりは帰納法的な論説ではあるが、杉井光は2020年の段階で「ライトノベル」を以下のように定義している部分を引くとわかりやすいかもしれない。

 ライトノベルとは、
『十代後半あたりの青春期に抱く憧れを、読者の心を惹きつけるための原動力として恥じることなく用いた小説』のことである。

note.com

 この定義には毀誉褒貶あるとは思う、しかし”「憧れ」「原動力」「恥じることなく」の三点が肝なので心に留めておいていただきたい。” と杉井が書いていることからもわかるように、現代ラブコメジャンルに即してざっくりいうのであれば「憧れ」≒「異性への興味」ということになる。つまり、概ね恋愛のことになってくるのではないか。これについては結論は出ないと思うのでいったん措く。

 

『俺ガイル』以後の主人公の自意識問題

 ゼロ年代ブコメはめちゃくちゃ多かったはずなのだが、『とらドラ!』以外にあの巻数の長さで、現代の群像劇ラブコメをやって、商業的にもヒットし、いまでも語られつづけているものを述べるのは難しい。

 ただし、2011年に刊行されたのち、多くの男性読者を「八幡は俺だ!」と思わせたすごいライトノベルシリーズとしてやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。の話をしないわけにはいかない。

 タイトルに「ラブコメが入ってる! というのもそうで、この後発作品では『文句のつけようがないラブコメ』とか『《このラブコメがすごい!!》堂々の三位! 』などがあったはずだが、俺ガイルほどの影響力はなかった。『俺ガイル』の影響については、近年「俺ガイル研究会」という人々が活動していますので、批評に興味がある方については、以下のリンクを。

note.com

 端的にいうと、『俺ガイル』は物語冒頭で、先生に提出するレポートにおいて、青春を謳歌している人々に対して中指を立てるようにその青春は「嘘」であると看破し、「リア充爆発しろ」*3と述べていくぼっち主人公・比企谷八幡くんがどんどん青春イベントに巻き込まれていく話だ。しかしそうして出来事に巻き込まれていけばいくほど、青春の在処と自身が求めているものや信念との落差に傷つき懊悩していく。というとかなり雑かもしれない。

 主人公・八幡くんは、当初はめちゃくちゃ口の回る、斜に構えて「俺はあいつらとは違う」的なメンタリティでクラスの連中を見ているオタクなのだが、ストーリーが進むにつれ、彼自身も他者と関わらざるをえなくなるし、その有能さを周囲も理解するようになってくる。けれども彼自身は、周囲の働きかけを素直に受け入れない。それは青春の「嘘」に迎合することのなるからだ。彼が欲しいのは「偽物」ではない。

 このあたりを強引にパラフレーズすると、結局「この感情/関係は本当なのか?」という自意識の迷宮へと向かっていくことになる。『現代思想』でも語られいた昭和後期~平成にあった「お見合い結婚」的家族観から「恋愛結婚」的な家族観、そしてそれすらも次第に解体されていく現代の恋愛観と近づいていくかもしれない。

 けれどもこれはけっこう外部要因(家族観)と内部要因(自意識)を無理やりくっつけている見方なので、雑すぎるきらいがある。それにこうした見方では、ライトノベルや漫画における、(草食系/文化系/非モテ)男性のジェンダーロールへのジャンル的な疑念といったものは検討されていないことになってしまう。

 とはいえ同時代のラブコメとして、男性キャラクターの恋愛アンチ的自意識を明示的に扱ったのは、永椎晃平『星野、目つぶって。』ではないか

 これはかなり現代のラブコメライトノベルの文脈に乗っ取って描かれた作品。主人公の小早川くんは教室で寝たふりをして過ごすくらいには陰キャ気質を備えているが、ヒロイン星野海咲のメイク担当(すっぴんだと別人くらい違うため)になって、周囲の人間関係の解決をはかっていくうちに、次第に多くの人から好意を向けられることになる。しかし彼は、他者からの好意を受けることができないと吐露する。

告白からの初手が「逃げる」である。

この自己肯定感のなさこそ、むしろ現代ラノベ・漫画の男性主人公では。

 このあたりをいわゆる「ネオリベ的な(自己責任論的な)」価値観のもとハックしようとしていったのが、屋久ユウキ弱キャラ友崎くんで、主人公・友崎くんに対してスクールカーストトップのクラスメイト・日南葵は「人生をクソゲーだと言うのは本気で遊んでいないからだ」といった意味のことを述べる。友崎くんは彼女の指南に応じて、陽キャのコミュニケーションや生き方を知ることで、自分なりの物の見方を獲得していく。それはヒロインのように努力して結果を得ることそれ自体への疑念や虚しさも含まれていく。

 来年アニメ化する裕夢『千歳くんはラムネ瓶のなか』では最初から陽キャの話をすることで、生きづらさの諸相を改めて検討していく。

 おそらくアニメ化することはないだろうが(だいぶ前に完結しているので)、こうした陽キャコミュニケーションとオタク的価値観の中間をやろうとしているのが、初鹿野創『現実でラブコメできないとだれが決めた?』だった。友崎くんでも徹底して検討されることのなかった、「努力」と「身の程」というものを常に並べて相対化することで、ラブコメ的価値観っていうても結局みんながうまく成功した世界でしかないよね、的な読者と物語の距離の苦しさをテーマにする。

 というわけで、こうしたガガガ文庫の文脈のなかで出てきたのが雨森たきび『負けヒロインが多すぎる!』なので、主人公の温水くんが(最終的にヒロインとの恋愛関係を構築するかは措いておくとして)アニメ化された物語において、ラブコメにおいて強く期待されうる男性性とは距離を取っていることについては、もうすこしこのあたりの「自意識」や「身の程」的な感触を抜きに話すことはできないような気がする。

 このほか、『ワキヤくん主役理論』『友人キャラは大変ですか?』などの「立ち位置」的なものをどのくらい人間が自覚していくか、などは、ゲーム的な文脈だけでなく割と当たり前の話だと思います。内田樹ですら言及するレベルですからね。

president.jp

ブコメにおける結婚について

 こうした作品群から見えてくるのは、「本当の自分」をどう他者から承認されていくか、という問題系であり、でもそれって、無意識のうちに理想というか解決装置としての異性を召喚しようとしていないか? という疑問も浮かんでくる。

 このあたりをうまく解体する方法として、あえて順番を逆転させた(お見合い/契約/嘘の)結婚から恋愛関係に向かっていくスタイルで、だいたい『現代思想』ではドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が取り沙汰される。とはいえ、漫画・ライトノベルのほうはどうだろうか。来年もラノベ原作がアニメ化される予定だが、多く見るイラストがぜんぶ家事労働を担当しているやつなのが不安要素として大きいのですが……。

 結婚については〈百合〉ジャンルが構造的にもそうだが、近代以降の価値観を解体する要素を入れているのがよくわかる。

 百合姫誌上で連載されている、コダマナオコ『嘘つき花嫁と同性結婚論』では、物語開始時に結婚している女性が「産む」役割を期待されたことで息苦しさを感じる描写があるほか、雨水汐『女ともだちと結婚してみた』では同性婚がすでに法整備されている架空の日本を舞台にし、一巻の終盤において、同性のパートナーが病院に運ばれたときに面会するシーンを描いている(これは法整備がなされていないと同性では面会が拒絶されてしまう場合があるといった議論をふまえている)。入間人間『人妻教師が教え子の女子高生にどハマりする話』もタイトルはともかく、主人公の結婚生活について匂わせる程度であるが、家庭になにかしらの複雑さを抱えている節がある。

友情ベースでのお試し結婚であるが、他者に向けて明確に立場を告げるシーンでもある

www.marriageforall.jp

 おそらくは美少女ゲームのエンディングスチルの文脈を踏まえているのだろうが、長期連載のライトノベル作品では最終巻が花嫁姿になることもある(恋愛相手の選択→将来→結婚/出産)的なイメージだろうか。先日、完結した鷹野由志『陰キャだった僕の青春リベンジ』白鳥士郎りゅうおうのおしごと!最終巻告知イラストでは花嫁表象を採用している。前者についてはバッドエンド回避という意味合いもあるが……。

 このあたりはじっさいの個別的な物語を考えると、前述した『とらドラ!』含め、家族観へのコンプレックスを抱えている登場人物もすくなくないはずなのだが、選択としての結婚はどうしても個々の領域での話に終わってしまうことで、ジャンル的な話をすることのむずかしさもある。ジェンダー×小説ガイドブック』において「結婚・家族」の項は次のようにはじまっている。

 結婚とは、個人的な出来事でありながら、そこに異なる層がいくつも積み重なっている。そして、それらの層が不可視化されやすく(特に〈恋愛〉を中心とした)個人的な出来事という性質のみが際立つところに、厄介な点が凝縮されている。(太字は傍点)

 

 

ブコメのなかの友情のはなし

「友達以上恋人未満……ってよく言うでしょ? その言葉、ぼくはあんまり好きじゃないんだ。だってその言い方だと、友達は恋人の下位互換みたいじゃないか」

 これは八目迷『ミモザの告白』最終巻に登場する台詞だが、ライトノベルにおいては前述の扱いをされることがほとんどであることは多くの人が感じているのではないか。アニメ化の決まっている七菜なな『男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!)』などはもうタイトルからしてそういう話だ。ここでは質問が意味をなさない。『ミモザの告白』は主人公の友人がある日、出生時に割り当てられた性別とは違う制服を着ていることを目撃し、それによって生まれる周囲のリアクションや恋愛観の再構築が描かれていく。

 しかしそれはそれとして、恋愛が前提とされているライトノベルブコメにおいて、友情そのものの価値が検討されていくことはほとんどない(くわえていえば、主人公の友達はすくないことが多いので、ホモソーシャル的な価値観への検討もなかなかされることがない)。

 とはいえ、ポリアモラスな関係や恋愛を介在させない関係のほうがよかったんじゃないか、とキャラクターが瞬間的に語ることがないわけではない。あるいは結論を出さない状況のほうが心地よいのではないか……みたいな求められる誠実さの関節をはずしていくラノベもある。とはいえ、それらはみな「インモラル」的な位置に作者も読者も向かうので、しっかり問題意識を持って取り組んでいるかというとわからない。

 ラブコメ漫画であれば、明確に「恋愛」と「友情」を対立軸においた作品がある。9℃『幼馴染のお姫様』だ。第一話では主人公はラブコメ文脈にありがちなミステリアスな出逢いを果たすのだが、じゃあそれまで大事にしていた友情はどうするのか? という問いかけが生まれる。

カンザキイオリ「ラブコメに嫌われている」

 恋愛感情がわからない(アセクシャル/アロマンティック)ようなキャラクターを主眼としたラブコメ、というのは語義矛盾っぽいし、どのように描くべきかはおそらく多くの書き手が避けているか、意図的にメインの物語から周縁化させている印象がある。このあたりはようやく書かれつつある、といったほうがいいかもしれない。

 参考になりそうな実写映画であれば、玉田真也監督・アサダアツシ脚本『そばかす』がある。主演は三浦透子。主人公は恋愛がわからないため、家族からレズビアンではないか、といわれることもあれば、勝手に見合いをセッティングされることもある。友人として仲良くなった男性が急にせまってきたことに対して「恋愛感情がわからない」旨を説明しても、馬鹿にしてると逆上されてしまう。


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 あるいは男女恋愛的なノリに物語を回収しない映画であれば三宅唱監督『夜明けのすべて』がある。PMS(月経前症候群)で自身をコントロールできなくなるときがある主人公とパニック障害を抱えている同僚の話。トリガー誘因的な描写などがあることと、登場人物が正しい知識で関わるわけでもないものの、部分的にそれぞれの生きづらさを見つめ合っていく様子を描く。完璧な解決があるわけでもない日常を暮らしていくあたりは、物語のあとの延長が感じられるし、カップル的な要素を排した演出が一貫している。


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 また海外の事例ではあるが、『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』では2000年代以降の交流サイトの成立によって自身の状況を知ることや相談できる人が増えたということが書かれている。

 

〈百合〉のなかの友情

 2024年現在、また百合の定義で揺り戻しが発生している印象がある。かつてよく言われていた悪しきフレーズ「百合とレズは違う」、つまり百合は清純な関係であり、レズビアンは含まない、といった言説が否定されつづけた(そうか?)結果、「性愛描写がなければ百合ではない」派閥が生まれているのを感じる。現代思想でも「サッフィズム」にたとえていた語りがあったが、うーん、そういうんじゃないと思うけどな……。

 とりあえず、百合といえるが、友情をテーマにしている小説を三つ。島本理生『七緒のために』、青山七恵「二人の場合」、稲葉真弓「ヒソリを撃つ」。それぞれライフステージが違うなかでの友情が描かれている。おすすめ。

 

エンディング:THE SALOVERS「HOT HOT HOT!」


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*1:https://x.com/sai_zen_sen/status/1661298440549306368

*2:見た目不良系は『僕は友達が少ない』の主人公像につながったかもしれない。

*3:このミーム的な態度は作中で再検討されていく。




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