以下の内容はhttps://saebou.hatenablog.com/entry/2026/03/27/185534より取得しました。


科学という福音と女たちの知らない男~『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(ネタバレあり)

 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を見た。

www.youtube.com

 アンディ・ウィアーの同名小説の映画化である。生物学者であるライランド・グレース(ライアン・ゴズリング)がほぼ記憶喪失状態で宇宙船の中で目覚め、たった一人で死にかけた太陽と地球を救うために奮闘するが、目的地で思いがけないファーストコンタクトを果たし…という壮大なSFアドベンチャーである。途中でフラッシュバックがあり、グレースの地球での経験が描かれるところもある。ネタバレすると面白くないのでここではこれ以上は書かないが、ここより後は激しいネタバレを伴う記述があるので、見てない人は閉じてほしい。

 『オデッセイ』の原作である『火星の人』同様、著者のアンディ・ウィアーは明るくて湿っぽくないハードSFを書く人なのだが、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』も極めてカラっとした楽しいSFである。通常のSFだと主人公が地球に残してきた家族とか恋人とかがいて…みたいな展開があるが、ウィアーの場合はそれが無いので、湿っぽい感情抜きでヒーローがとにかく難しいが重要なミッションに命をかけて挑み、科学の力と機転でそれを解決する様子が描かれる。科学者同士の信頼とか友情や、それに伴う自己犠牲の覚悟なんかは描かれるのだが、ロマンスとか親子の情みたいなものが入ってくる余地はあまりない。そこが良いところ…というか、そういう家族的な情愛がないと話が盛り上がらないという固定観念を吹っ飛ばしてくれる作りが面白い。ヒーローは別に大事な人のために戦うのではなく、顔も知らない地球のみんなのために戦ってくれるものなのである。

 全体的にたいへん面白いSF映画であることは間違いない。長さを感じさせない起伏のある展開で、一難去ってまた一難みたいな感じで盛り上がりがある。主演のライアンがとにかく良く、ほとんどひとりで映画を牽引している。視覚効果もとてもしっかりしている。

 ハードSFなのでけっこういろいろ科学的な設定が出てきており、そこに細かいツッコミを入れている人はいる…のだが、私は人文学者なので、科学者ではない視点でまずはこのタイトルにつっこんでおきたい。みんなあまり指摘していないが、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』というこのタイトルじたいがおかしい…というか、世界中の科学者が組んでいる地球を救うためのプロジェクトにこんなキリスト教(しかもカトリック)ベースの名前がつけられるわけはないと思う。「ヘイル・メアリー」は聖母マリアにお祈りする時の決まり文句なのだが、英語ではこれが転じて窮地に陥った時に神頼みで行う最後の手段、みたいな意味で使うことがある(アメリカンスポーツでとにかく状況を好転させようとして出すパスのことをヘイル・メアリー・パスと言ったりする)。国際宇宙プロジェクトにインド人や中国人が参加していないわけがなく、しかも科学者といえば無神論者も多いのでこんなプロジェクト名にはならないと思うのだが、それでもこの作品のタイトルはこうなっている。これはわざと…というか、全体的にこの作品は科学の力を新たな福音として提示しているところがある。

 主人公のライランドは名前ではなく苗字のグレースで呼ばれている。このグレースという名前は通常、女性のファーストネームとして使われるものである上、英語で聖母マリアへのお祈りを言うときは通常、 'Hail Mary, full of grace...'というふうに、「グレース(恩寵)に満ちためでたきマリア様」というところから始まる。つまりヘイル・メアリー号はたったひとりしかいないグレース(恩寵)で満ちており、このグレースによって人類が救われる。

 全体的にグレースにはカトリック的な象徴性がけっこう付与されている。グレースは地上にいる時にアストロファージを突然増殖させてしまって「子どもができたんだ」みたいに冗談を言っていたが、これも聖母マリアの処女受胎を思わせるところがある。さらにグレースがメアリーの船内、つまり胎内に入る時はエヴァ(ザンドラ・ヒュラー)に無理矢理人類救済のための犠牲として宇宙に送り出されたということになっており、これは人類の罪を背負って十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる展開である。本人が途中までは記憶喪失のためにその召命を自覚していないことや、地球ではたぶん死んだと思われているのに実は生きていて、ある意味では象徴的に「蘇って」いるところ、(原作よりもけっこう粛々と)この運命を受け入れているところなども救世主イエスの生涯を連想させる。

 ところがこの作品における人類の救済は信仰ではなく科学を通して行われる。グレースのふだんの行動にスピリチュアルなところは全然なく、正しい科学的知識と工夫が重視されている。この映画は全体的に、カトリック的な象徴性をかなり世俗的な形で借りてくることにより、科学の力を現代の福音として提示しているように見える。なんだかまわりくどいことをしているようにも思うのだが、キリスト教系宗教右翼が反科学主義を振りかざしているアメリカではたぶんこれをやる意義があるんだろうな…と思う。つまり、クリスチャンにとってわかりやすいイメージを用いることで、「科学は怖くないよ!科学は神の意志にかなったものだよ!」というようなことをやさしく伝えている作品であると言えるのかもしれない(神学徒で反原理主義的かつ敬虔なクリスチャンであるテキサスのジェイムズ・タラリコが最近話題だが、たぶんアメリカではこういうリベラルなクリスチャン向け啓蒙アプローチが必要とされているんじゃないかという気がする)。

 しかしながらグレースは徹頭徹尾自己犠牲的で理想的な救世主というわけではない。原作に比べると、ライアンを起用したことでちょっとグレースが複雑な感じの人になっているように思う…のだが、最後にグレースは出会ったエイリアンであるロッキーの星に住み、帰れるよと言われてもちょっと考えさせてくれと言う。これはなかなか興味深い…というか、女たちが地球に幻滅して出て行ってしまうジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「男たちの知らない女」を思い出した。邪推すると、地球に帰ったら自分を無理矢理十字架にかけたエヴァとか、元カノの現パートナーとか、いろいろ会いたくない人がたくさんいるので帰りたくないということがあるのかも…とか思えてくる(グレースは女であるエヴァに追い出されたので、「女たちの知らない男」とでも言うべきだろう)。英雄的な仕事を成し遂げた救世主が、どうも何か含みがあるみたいで故郷に凱旋してこないというのは現代的で面白いと思う。

 

 




以上の内容はhttps://saebou.hatenablog.com/entry/2026/03/27/185534より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14