モハマド・ラスロフ監督『聖なるイチジクの種』を試写で見た。
舞台は2022年のテヘランである。イマン(ミシャク・ザラ)は裁判所の調査官に出世するが、護身用の銃が支給された上、政府の言うとおりに唯々諾々と仕事をこなすよう要求され、戸惑う。一方でイランでは抑圧的な体制に対する反政府デモが吹き荒れ、イマンの娘レズワン(マフサ・ロスタミ)の友人が大学で顔を撃たれる事件が発生する。さらにイマンの銃が消えてしまい…
ラスロフ監督はこれまでの政府に批判的な活動によってイラン政府に目をつけられ、激しい弾圧によって収監されそうになり、現在はドイツに逃げ延びているそうである。この映画も秘密裏にゲリラ撮影みたいな感じで撮ったらしい。ご本人がそんな酷い目にあっているせいで、かなり強いイラン政府批判のメッセージと、そうした体制を支えている保守的な社会に対する批判もこめられた作品である。前半はマフサ・アミニの死によってデモが起き、若者たち、とくに大学に通っているような若い女性が危険にさらされ、娘たちは自分たちのこととして成り行きを心配しているが親たちはその不安が理解できず、ただただ一家の身の安全だけを気にしている…というような齟齬が、実際にスマホで撮影されたデモや警察の手入れの動画などをまじえて生々しい緊張感で語られる。
このへんまではけっこうリアルな政治スリラーですごくよくできていると思ったのだが、終盤がなんかいきなり『シャイニング』みたいになり、最初は戸惑っていたお父さんが暴走して…という展開になる(「なぜいきなり『シャイニング』みたいに」と思って検索したら既に見た人はみんな『シャイニング』を思い出したと言っているし、たぶん影響があるのではと思う)。非常に制約がある中で急いで作られた映画なのでこのへんを練る時間がなかったのかもしれないと思うし、最初は戸惑っていたお父さんがヤバいことをし始める展開はイランの保守的で男性中心的な体制の不条理さを象徴しているというのはよくわかるのだが、一方で前半と後半のトーンが違いすぎるし、ややもたついた印象で長く感じられるところがある。こういう映画なら視点人物をレズワンかイマンの妻ナジメ(ソヘイラ・ゴレスターニ)に絞って、抑圧されている女性の主体性を強調しながらサクッと短めにまとめる話にしたほうが統一感があったのでは…という気がする。