市川準監督『トニー滝谷』を4Kリマスター公開の試写で見た。
村上春樹の短編の映画化だそうである。あまり映画らしくない…というか、全体に西島秀俊のナレーションが入っていてそれで説明されるところが多く、映画というよりは舞台劇みたいな感じの作品である。買い物依存症気味でおしゃれな服を大量に持っていた亡き妻(宮沢りえ)の服をアシスタントとして雇った女性に着てもらうという設定で、この展開が若干不気味…というか、男性視点すぎてあまりついていけなかった。
市川準監督『トニー滝谷』を4Kリマスター公開の試写で見た。
村上春樹の短編の映画化だそうである。あまり映画らしくない…というか、全体に西島秀俊のナレーションが入っていてそれで説明されるところが多く、映画というよりは舞台劇みたいな感じの作品である。買い物依存症気味でおしゃれな服を大量に持っていた亡き妻(宮沢りえ)の服をアシスタントとして雇った女性に着てもらうという設定で、この展開が若干不気味…というか、男性視点すぎてあまりついていけなかった。
新国立劇場で『マノン』を見てきた。2020年に配信で見たときとあまり変わらない印象で、相変わらずマノン(小野絢子)がただの少々無責任だがかわいそうなだけの女性で、悪女どころか周りに流されて破滅するので、実に憂鬱な内容である。ライヴで見ると、自分の身体よりもだいぶ大きいベッドにのっかって、美貌のせいで本来よりも早く大人の世界に引き込まれてしまった少女みたいなマノンが男たちの都合で引きずり回され、ボロボロになって死んでいくので、まるで女性の虐待される身体を見せ物にしている演目みたいで、配信よりもけっこう居心地が悪かった。
大河内直子演出、こまつ座の『国語事件殺人辞典』を見て来た。井上ひさしの作品である。変なタイトルだが、これは主人公がかかる病気にひっかけたタイトルなので、これで正しい。
在野の国語学者で辞書作りに一生を捧げている花見万太郎(筧利夫)と、元編集者で愛弟子の山田(諏訪珠理)の旅路を描く作品である。同じ井上ひさしの『國語元年』とかなりモチーフが共通しており、同じニュースピークみたいな簡易型人工日本語が出てくる。美しく正しい日本語を目指す花見がいたるところでその信念を揺さぶられ、最後は言葉を質入れしないといけないはめになるまでをコミカルに描いた作品である。終盤、軽い気持ちで「いいえ」という言葉を質入れした花見と山田が、拒否する言葉を奪うことで市民から主体性までも奪おうとする陰謀に気付くところは大変面白く、現代的だ。ここだけで短い芝居にしてもいいのではと思うくらいは面白い。
しかしながら全体的にはかなり戯曲が古くなっていると思うところも多かった。まず、言語障害とか失語症を言語にこだわる研究者がかかる病気として面白おかしく提示するのはどうも個人的に座りがよくない…というか、これを実際に言語が影響される病気にかかった人が見た時にどう思うのかというのが気になるし、ふだんそこまで問題がないとはいえコミュニケーションに若干の問題を抱えているASDの観客としては、周りは笑っているが私はあんまり笑えないな…と思うところもなくはなかった(井上ひさし自身が言語にこだわる人なので、ある意味では実感に基づいてはいるのだろうが)。また、DV描写とか女性の描写はかなり古く、とくに井上ひさしはDV夫だったという話を聞くとなんか不気味である。一番不気味なのは義理の娘を狙って花見の元妻と結婚した弥三郎が出てくるところで、風刺的に描かれているので別に肯定されていないとはいえめちゃくちゃ怖かったので、これはコメディにふさわしい内容なのか…とちょっと引いた。性的虐待を軽視する昔の習慣がそのまま反映されている気がする。
『カミング・ホーム』を試写で見た。
アメリカの田舎町で一人暮らしをしており、物忘れがどんどんひどくなっている老人ミルトン(ベン・キングズリー)の家の庭にどうやら宇宙船らしいものがある日突然墜落する。市議会でそのことを訴えるが、町民たちは認知症か何かのせいだろうと思って気にとめない。ミルトンは宇宙船から下りてきた宇宙人を助けて家にかくまうが、やはり高齢の友人であるジョイス(ジェーン・カーティン)とサンディ(ハリエット・サンソン・ハリス)に見つかってしまう。ミルトン、ジョイス、サンディはこのことを秘密にし、政府の詮索から守りつつ宇宙船の修理を助けようとするが…
何も話さない宇宙人にみんなが打ち明け話をし、心が安まって…みたいな展開は『ペンギン・レッスン』でもあったもので、現代人にはこういう無言の聞き上手みたいな設定がウケるのかな…と思った。ベテラン俳優の共演で演技もしっかりした心温まる作品なのだが、一方で途中でけっこうえぐい展開がある…というか、猫の大虐殺的な展開があり、ここがちょっと人におすすめできないポイントを作っている気がする。
3月15日に実施された聖パトリックの日のパレードに行って来た。









今年も在日米軍の楽隊は来ていなかった。民主党政権の時はけっこう来ていたのだが、トランプ政権になってから来なくなったと思う。
パレード後は代々木公園の緑のフェスィバルに移動。


緑がテーマだからだと思うのだが、めちゃめちゃ抹茶が幅をきかせていた。あと、アイリッシュパブの出店が意外に少なく、他の料理が多かった。
少し代々木公園を見てパブに移動。







ヨアキム・トリアー監督『センチメンタル・バリュー』を見た。
オスロで激しいステージフライトに悩みつつ舞台女優として活動しているノーラ(レナーテ・レインスヴェ)と幸せな家庭を築いている研究者アグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)の姉妹は母を亡くす。長年会っていなかった父親で有名な映画監督であるグスタヴ(ステラン・スカルスガルド)がこれをきっかけに久しぶりに戻ってきて、ノーラ主演で新作映画を作りたいと言い出す。父とうまくいっていないノーラが断ったため、グスタヴはハリウッドスターであるレイチェル(エル・ファニング)主演で英語で映画を作ることにするが…
トリアーとレインスヴェが組んだ『わたしは最悪。』は正直全然好みではなかったのだが、これは断然良い…というか、「若い女性の人生をリアルに描きます」ぶったところがなく、きちんとしたアンサンブルキャストの家族ものになっていて引っかかりがなく見られた。ただ、メインの女性キャラクターよりも男性キャラクターのほうが複雑で面白いキャラクターなのは前作と同じ…で、たぶんキャラクターとしてはグスタヴが一番複雑である。グスタヴはたぶん素晴らしい映画監督で、撮影中は役者やスタッフに対してとてもサポーティヴだし(いわゆるハラスメント監督ではない)、できた成果物としての映画も出来が良い。しかしながら父親や友人としてはかなりダメで、ちゃんと娘たちの面倒をみなかったし、小さな孫の誕生日プレゼントにギャスパー・ノエの映画のDVDをプレゼントするというようなイカれたじいさんである。映画に家族を出演させるとか、家族が主題の映画を作るといったことをしないと家族や親しい人に対して気持ちを示せないし、撮影が終わるとそのままフェードアウトしてしまう。つまり自分の芸術の中にだけ人生を見出している人である。これは娘たちのみならず撮影監督ペーター(ラース・ヴァーリンニェル)に対するなかなかひどい態度にもあらわれている。そんな男がそれでも家族が出る家族についての映画を作ることでなんとか家族に対する一種の愛情を表現しようとするというのがこの作品の面白いところだろうと思う。言ってみれば全てがホームムービーに収斂するみたいな映画である。