読み終わった本の記録。
友人(未読の)に勧められて借りて読んだ本。スマホにメモをとりながら読んだのは久しぶりでした。そこから何をどう取り出して書けば良いのか、考えると目が覚めてしまいそうだから、記事だけ先に上げておく。後で書き足します。
🟡全体に漂うブロマンスの香り。それは否定しようが無いでしょう。物語を動かすエンジンです。
しかし彼らは女性と結婚している(それぞれ別の理由で一緒になってはいない)。だから、物語の早い段階で「ゲイカップル」に見られるのではないか、そうではないのだが——というかたちでお断りを入れられている。
しかし、花が舞いそうな描写がちょいちょい入るのだ。「すね毛の生えた脚を見ながら〜〜」「身体に合ったスーツを着こなして〜〜」的な。小説では著者が全てを創るのだから、きっとこれは計算の上でしょう。
🔵汐屋 恭平(36)と娘 志乃(4) 藍沢 章吾(高校の同級生)と息子 耕太(1.5)
子連れの男同士が同居して生活をすることになる。偏見の目や、母親不在の育児について、外の目を気にするだけではなく、内面化された規範が強くあることが描かれてく。
男親は女児を育てていけるのか。(その逆はほとんど言われないのに)
母親が育てることを当然として設計された結果の男性優位社会で、男の育児参加はどうあるべきか。(職場から長期で離れることの是非)
〈社会〉がどうあるべきかという「理想」は語られるものの、厳然として在る「現実」の描写が割合としては多く感じる。そのグレーな境界で生きているのです。すぐに変わっていくわけじゃない。
もっとミクロに〈個人〉の物語として読んでも面白いと思う。
恭平は典型的な男性性・仕事人間として描かれている。それはそれで大変だろうなと私なんかは思ってしまいます。営業部(激務)に戻りたい人なんかいるのかつって。マッチョ極まれり。
一方、同居人に親になんでもやってあげてしまう章吾。周囲からは「優しすぎるよ」と言われつつ、モノローグでは鬱屈としている。それが自己肯定の無さからきていると自己分析しつつ変われない。この造形がかなり良い。私の中にも通じる成分をそこに見出してしまうから。
反対の、しかし“相性のいい”2人が出会い影響を与え合い変わっていく。自分の中のズルさを見つめること。助けを求め支えてもらうこと。その構造にわりと普遍的な感動がある。
💭恭平側の「サラリーマン」のパートに、いやいやそんな私情と家庭の事情を持ち込んでないで手を動かしてくださいよと私がイライラしてしまうくらいだったから、章吾パートの「元保育士」ないしシッターの描写には、本職の人は色々ツッコミしたい部分も多いのではないかしらと思った。フィクション相手にそれは野暮なんですが。
自分の子供たちは保育園に預けて、その時間にシッターとしての仕事をする(1日の数時間だけ)ってわりとすごい構造じゃないか。否定する部分では無いんだけども。シッターとしてどうやって仕事をゲットしているのかという営業的な面や値付けがどうなっているのかの面を不思議に思ってしまった。実家に定期的に帰り親の介護をする時間的経済的余裕もあるみたいだし、シッター仕事がめちゃくちゃ儲かるということじゃないと不思議に感じる箇所だった。
小説の中に子供がいる場合、彼ら彼女らの口を借りて、成長を描いたり感動的な台詞を言わせることが、正直いくらでも可能だと思う。そしてだいたいみんなそれが好きなのである。でも本作はあまりそれに頼らず、基本的に大人たちの逡巡や屈託、違いと理解に焦点を当て続けたのは良かった。