
スリランカといえば紅茶がパッと思い浮かぶ。インドのとなりに浮かぶ島国で、なんとなく平和そうな、南国のリゾートの印象がある。
だが、本書「マーリ・アルメイダの七つの月」を読むと印象がガラリと一変する。本書は、1990年のスリランカが舞台となっている作品で、主人公のマーリ・アルメイダは作品冒頭から死者として物語に登場する。戦場カメラマンであり、ギャンブラー、皮肉屋、そしてゲイである彼が二日酔いの頭で目を覚ますと、そこは混み合う待合所だった。そこで彼は自分が死んでいること、死者には“七つの月”が与えられることを告げられる。七つの月とは、7つの夜すなわち1週間だ。マーリは、この世と完全に別れを告げるまでの7日の猶予期間のうちに、自分が最後に撮影した重要な写真を見つけ出し公表するため奮闘することになる。
「マーリ・アルメイダの七つの月」が描くのは、内戦による混乱の極みにあるスリランカの姿だ。ただ、その姿をストレートに描き出すのではなく、マーリ・アルメイダという死者の目を通して、ときに直接的に、ときに幻想的に描き出していく。マーリのキャラクターを放埒で皮肉屋な男と設定したことで、一歩間違えば重くなりすぎるテーマを彼の軽口や独特のユーモアが軽減させている。生前のマーリは、戦場カメラマンという命がけの仕事をしながらも、木台のギャンブラーであり奔放な性格の持ち主として人生を楽しんで生きていた。死んでからもなお、その皮肉屋な一面は衰えない。でも、彼の軽快さがあるからこそ、作品のテーマとなっているこの時代のスリランカが抱えていた現実がしっかりと刻まれているのだと思う。
1980年代から90年代にかけてのスリランカは、内戦、民族浄化、政府と反政府勢力との対立と、まさに混迷を極めていた。本書の登場人物・組織紹介には、JVPやLTTEといった当時のスリランカ情勢を語るうえで外すことのできない組織の名前が記されている。また、上巻41ページから44ページにかけて、マーリが若いアメリカ人記者のために作ってやった「略語リスト」があり、本書を読むうえで読者にとっても必要なカンニングペーパーとなるだろう。
マーリが死者であるということもこの作品を興味深いものとする要素だと思う。死者であるからこそ、彼は客観的な視点で現実を観察できるのだと思う。誰が何を言い、何を恐れ、どこで嘘をついているかを俯瞰しながら、自分が命をかけて記録した真実をいかにして公表するかを見極めようとする。この物語が描くマーリの姿は、彼自身の物語であると同時に、無数の“声を奪われた人々”の姿でもあるのだ。
戦争や暴力の現実を描きながらも、単なる悲劇の物語としてではなく、ユーモアと幻想をまといながら、死者の声が生者に届く可能性を真摯に描きだす。フィクションならではの表現と構成だからこそ、リアルの輪郭がより鮮明に見えてくるような気がした。