
出版不況と言われ続ける中で年2回のお祭りとも言えるのが芥川賞、直木賞です。2025年1月に発表された第172回では、芥川賞を安堂ホセさんの「DTOPIA」、鈴木結生さんの「ゲーテはすべてを言った」の2作、直木賞を伊与原新さんの「藍を継ぐ海」がそれぞれ受賞しました。書店の店頭には、これらの作品が〈芥川賞受賞〉、〈直木賞受賞〉の帯を巻かれて平積みにされています。
村山由佳「PRIZE」は、直木賞をめぐる作家と編集者の狂乱を描いた作品です。
天羽カインは、ライトノベル作家の登竜門である〈サザンクロス新人賞〉で史上初の最優秀賞と読者賞をダブル受賞して華々しく作家デビューし、初の一般小説作品で〈本屋大賞〉を受賞。本を出せばベストセラーとなり、映像化作品も多数という人気作家です。
そんな押しも押されぬ大人気作家には、心の底から渇望しているものがありました。それが直木賞です。天羽カインは、どうしても直木賞が欲しい。そのためのあらゆる努力を怠りません。
物語の冒頭は、書店で開催される天羽カインのサイン会のエピソードになっています。読者向けのサイン会は持ち前のサービス精神でこなす天羽カインですが、彼女の苛烈なプロ意識はサイン会後の食事会で爆発します。出版社〈南十字書房〉の専務、文芸誌編集長、宣伝部長、販売部長を同席させ、和やかな食事会は彼女の「今のうちに終わらせておきましょうか」の一言で空気が一変します。サイン用に用意された銀色のサインペンのペン先が潰れていたこと。会場に飾られた花の色。読者とのツーショット写真撮影でのスタッフのもたつきやプレゼントの受け取り方。作品の初版部数の少なさ。天羽カインは次々と不満点を挙げ連ね、同席する者たちはそれをかしこまって聞くことしかできません。
彼女がそこまで厳しくするのは、彼女が渇望する直木賞を受賞するためです。直木賞を受賞するためならばどんなことでもする。出版社のお歴々方にも厳しく要求をするし、作品が広く読者に届き、支持されるように努力を要求する。もちろん彼女自身もそのための努力は惜しまない。華々しい経歴と圧倒的な読者からの支持、ベストセラー作品の連発と世間的には高く評価されていますが、天羽カインにとっての直木賞は文壇からの評価という他とは違う特別な称号なのです。
現実の作家がどこまで直木賞に執着するものなのかはわかりません。過去には何度も候補にあがりながら受賞に至らなかったり、選考委員の選評に反発して直木賞との決別を宣言した作家もいます。表向きは「取れるとは思っていないし、取れたら嬉しい」というスタンスで直木賞と向き合っている作家もいるでしょうし、「全然興味ない」という姿勢でいる作家もいるでしょう。ただ、いずれも直木賞を無視しているわけではないと思います。直木賞を受賞すれば、受賞作はもちろん過去作品まで売れる商品へと変貌します。なにより、生涯にわたって直木賞受賞作家というステータスが与えられるのです。その魅力は抗いがたいのではないでしょうか。
作中、天羽カインは南十字書房から刊行した作品で直木賞候補になりますが受賞を逃します。納得のいかない彼女は、授賞の連絡を待つ会場に文藝春秋の局長を呼びつけて、なぜ自分が選ばれなかったかを問いただすことまでします。さらには後日、偶然に出くわした選考委員の南方権三と萩尾今日子になぜ自分の作品が落選なのかを問い詰めますが、萩尾今日子の容赦のない答えに打ちのめされることになります。
ここまで直木賞に執着し常軌を逸した作家について書いてきましたが、本作にはもうひとり常軌を逸する人物が登場します。それが、南十字書房で天羽カインを担当する編集者の緒沢千紘です。彼女は、物語の後半になるにつれて、ひとりの編集者というレベルではなく、天羽カインを信奉する狂信的な信者のように変貌していきます。天羽カインから全面的に信頼され、その信頼に答えるべく、そして彼女に直木賞をとらせるべく、千紘は邁進することになります。そして、それは最終的に天羽カインにとってあまりに大きなリターンとなってしまうのです。
編集者は、作家に伴走し、作家が生み出した作品をより良いものにしていくサポートをする役割があります。作家が書いた物語に矛盾はないか。構成に破綻はないか。表現に問題はないか。作品を作り上げる作業だけでなく、生み出された作品をいかに読者に届けるかや販促をどう打っていくかといったことも、編集者と営業部門や販売部門が連携して企画し実行します。
編集者は作家と二人三脚で良い作品を作るように動きますが、かといって作家の領域に深く入り込むことはありません。あくまでも客観的な第三者としての立ち位置が求められると思います。状況によっては深く踏み込むこともあるでしょうが、踏み込みすぎると冷静な判断ができなくなってしまいます。ですが、天羽カインの編集者である緒沢千紘は、最終的にその一線を踏み越えてしまい、それが衝撃のラストへとつながっていきます。
天羽カインの執念も、緒沢千紘の狂信も、その目指す先にある〈直木賞〉という作家や担当編集者にとって最大級の評価があるからです。それほどまでに直木賞は、作家や編集者の承認欲求を高ぶらせ狂わせる文学賞なのです。もちろん、前述したようにすべての作家が直木賞に執着しているわけではないでしょう。しかし、文学賞という明確な形ではなくても、作品がたくさん売れてほしいとか、読者から評価されたいという別の形での承認欲求は持っているだろうと思います。
承認欲求は、最近ではネガティブなワードのようになっています。SNS上で繰り広げられる醜悪な承認欲求への執着には恐ろしさも感じられます。そのようなネガティブな承認欲求と違い、本書で描かれる天羽カインや緒沢千紘が執着する承認欲求は、作家や編集者がより良い作品を生み出すため、自分自身が成長し進化するために必要な欲求だと思います。承認欲求があるから作家は良い作品を書けるし、編集者はそのサポートができる。すべての作家、編集者が適度な承認欲求を抱えて、進化の足を止めず、読者に最高の作品を届けてくれることを期待したいと思います。