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「赫夜」澤田瞳子/光文社-富士山の噴火が人々に与えた爪痕と再生への道。災害がもたらす人間の本質を描く時代小説

 

 

日本が世界に誇る名峰富士山。年間20万人以上の登山客が訪れるこの山は、1707年(宝永4年)に大規模な噴火を起こして以降、現在に至るまで300年以上噴火はしていませんが、現在も活動中の活火山です。空高く悠然とそびえ立ち、観光客を暖かく迎える富士山ですが、その姿の裏にはいつまた大規模な噴火が起きるかわからないという不安が潜んでいます。

澤田瞳子「赫夜」は、延暦19年から延暦21年(西暦800年から802年)にかけて起きた延暦の大噴火を題材として、大規模な噴火という災害に翻弄される人々の姿や危機的状況におかれた人が見せる本性、被災地の状況を直視せず己の利益を優先する権力者といったドラマを描いた時代小説です。

この物語の主人公である鷹取は、賤民と呼ばれる身分の低い者の中でも、家人(けにん)という奴隷のような存在です。主の大中臣伯麻呂が、国主として駿河国に赴くこととなり、鷹取も随行することになるのですが、その道中で彼は主の乗る馬を逃がしてしまうという失態を犯してしまいます。ただでさえ家臣たちの中でも蔑まれた存在である鷹取は、この失態によってますます蔑まれるようになり、そんな状況で駿河国の国牧である岡野牧へ赴くことを命じられます。宿奈麻呂という得体のしれない男とともに岡野牧へ赴いた鷹取は、そのまま岡野牧で働くこととなり富士ノ御山の山焼に遭遇することになるのです。

大規模な噴火によって火山灰や噴石が郷に襲いかかる地獄のような光景、降り積もった火山灰は大雨によって泥流となり麓の郷を飲み込んでいく。それでも懸命に復興に向けて人々は少しずつ立ち向かっていくのです。それでもなお、自然は牙をむきます。再び起きる噴火と襲いかかる溶岩流。強大なる自然の力の前では人間とはこれほどに無力なのです。

一方で、自然以上に残酷であり醜悪なのも人間です。被災地にはびこる火事場泥棒。被災者の状況に無関心で己の利害のみを優先する権力者たち。自然と人間の暴力の前で弱者である庶民が抗おうとも反発しようともなすすべはありません。大規模な災害という自然の脅威とそれによって引き起こされる人間の狂気は、時代を問わず起きうるのだということを本書は示しているように思います。

危機的な状況に陥ったときに人間は否が応でも成長します。鷹取もまた、富士山噴火とその後の岡野牧での復興、その中で見聞する人間の醜さや清廉さ、逞しさを目の当たりにし、自分自身も経験を重ねることで成長していきます。家人という身分に卑屈になり、他人を僻みと羨望の眼差しでしか見ることのなかった鷹取は、経験を通じて自身の価値観を変化させます。物語の最後で鷹取がどのような人間に成長するのか。読者は彼を見守り、彼の成長する姿から生きる力をもらえるかもしれません。

『赫夜』は、大規模災害が人々に与える影響や復興を目指す中で起きる対立などの人間模様を描いています。本書に描かれる人々の姿は、時代を経た現在にも通じる普遍的なテーマだと思います。富士山の噴火という壮大な自然現象を背景にした本書は、読者に自然の力と人間の脆さを改めて考えさせる作品だと感じました。

300年以上静寂を保っている富士山ですが、いつ再びその眠りから目覚めるかわかりません。本書を読みながら、時代の違いを超えて、自然災害への備えや復興の重要性について考えさせられました。まさに、自然の猛威に直面したときこそ、人間の本質が問われるのだと実感しました。

 




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