
そして物語や本の話をして聞かせると、物語が語られたがっており、本は読まれたがっているのだと説明してあげました。そして、人生を歩んでゆくのに必要なことや、彼が本の中に書いた国のことや、子供たちが空想の中に築くあらゆる国や世界のことは、何もかも本の中に書かれているのだよと教えてあげるのでした。
「失われたものたちの本」のラストに書かれたこの言葉に強く心を動かされました。この物語に描かれるすべてが、この物語が伝えようとしていることのすべてが、この言葉に凝縮されていると思いました。
「失われたものたちの本」は、デイヴィッドというひとりの少年の異世界冒険譚であり、成長の物語であり、家族の絆の物語です。
最愛の母を病気で失ったデイヴィッド。やがて父が再婚することとなり、継母のローズはジョージーを出産します。デイヴィッドにとっては、父の再婚も異母弟の誕生も素直に受け入れることのできないことでした。
孤独の中でデイヴィッドは、本の声や囁きを聞くようになります。与えられた部屋で本の声を聞き、本を読むことで、母との記憶を思い出し、ローズやジョージーを遠ざけます。自分を取り巻く環境に大きな変化が起きたとき、人はそれを簡単に受け入れることができず、新しい環境を拒絶したり逃避したりします。デイヴィッドにとって、母の死、父の再婚、継母との同居、異母弟の誕生といった出来事はあまりに大きな変化であり、唯一逃げ込めた場所が本だったのです。
デイヴィッドがローズといちばんひどい喧嘩をした日、彼は母の声を聞きます。声に導かれるように庭(沈床園)に出たデイヴィッドは、墜落してくるドイツ軍の戦闘機から逃れるために壁の割れ目に飛び込みます。気づくと彼は森の中にいました。異世界です。
異世界に迷い込んだデイヴィッドは、木こりのおじさんと出会い、元の世界に戻る方法を知るために国王に会いに行く冒険の旅に出ます。この冒険の中で、デイヴィッドは様々な経験をし、多くの人と出会うことで少しずつ成長していきます。
異世界に迷い込んでからのストーリーが、この作品の魅力です。とにかく面白いですし、ワクワクとドキドキとハラハラの連続で次々とページを読み進めたくなります。デイヴィッドたちに襲いかかるループという狼とも人間とも違う存在。それを生み出した赤ずきんの物語。怠惰で傲慢な白雪姫と搾取される小人たち。作者は、誰もが知る童話の世界をブラックなユーモアでアレンジし、本書の世界観を構築していきます。
本書は、2023年に公開され、第96回米アカデミー賞最優秀長編アニメーション賞をはじめとする世界各国の数々の映画賞を受賞した宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」に影響を与えた作品となっています。DVDに封入されているリーフレットには、『影響を受けた本』として、本書が掲載されています。ただ、宮崎監督が具体的に本書からどういった影響を受けて、それが映画にどう反映されているかについては言及がありません。ただ、私が「君たちはどう生きるか」を鑑賞した範囲で言えば、かなりの部分でリンクする場面があったように思います。ほぼ原案といってよいのではないかと思うくらいでした。
異世界を冒険し、自分をこの世界に誘い込んだ“ねじくれ男”に立ち向かったデイヴィッド。彼は、冒険を通じてたくさんのことを学び、たくさんの辛いことや悲しいことを経験し、自分が生きることの意味や家族とのつながりに気づけたのだと思います。だからこそ、彼の人生は、辛いことや悲しいことがあっても、それに負けることなく、強く、そして優しく生きていけるのだと思います。
冒頭で引用したラストシーンでのデイヴィッドの言葉に、「何もかも本の中に書かれているのだよ」とあります。自分が生きてきた証も、誰かが歩んできた記録も、すべては〈本〉の中にあり、〈本〉とは人生なのです。「失われたものたちの本」とは、この本を読んだすべての人々の人生の物語であり、デイヴィッドとは読者の分身なのです。宮崎駿監督は、この本に影響を受け、「君たちはどう生きるか」と問いかけたのではないでしょうか。その答えを考えることが、「失われたものたちの本」の最高の味わい方ではないかと思います。