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太平洋戦争末期。もう勝てる見込みなどまったくないフィリピンの戦場で、壮絶な飢えと絶望と闘いながら必死の抵抗を続ける日本軍。極限状態であらわれる人間の本性。
大岡昇平「野火」は、戦争の悲惨さ、極限状態におかれた人間の弱さとしたたかさを描き出した戦争小説の代表的な作品である。1952年に刊行され、第3回読売文学賞を受賞している。
日本の敗戦がほぼ確実な情勢となっていた太平洋戦争末期。フィリピン戦線に送られていた田村一等兵は、肺病を患いわずか数本の芋をわたされて野戦病院に送られる。だが、野戦病院でも田村は邪魔者扱いされる。行き場を失った田村は、病院前に集まった同じく行き場のない傷病兵たちの中に入り、そこで煙草を売りさばいて糊口をしのいでいる安田と、安田にすがって生きている永松に出会う。やがて、米軍の攻撃で陣地をおわれた田村は、ひとりフィリピンの山中をさまよう。強烈な飢餓と猛烈な喉の渇きに苦しめられ、自分の血を吸った蛭までも食べる。そうした極限状態の中、安田と永松に再会した田村は彼らから“猿の肉”と称される干し肉をもらう。
「野火」が描き出すのは、極限状態におかれた人間が次第に理性を失い崩壊していくプロセスである。敵の圧倒的な攻撃力に晒され、抵抗する術もなく命を脅かされる日々。わずかばかりの食糧のみで苛酷な戦場を生き延びて戦わなければならない日々。祖国を遠く離れた南方の戦場で、恐怖と飢餓に苦しめられながら生きるための戦いを強いられた皇軍兵士たちの心中は如何ばかりであろうか。
本書には、人肉食が描かれている。田村が安田と永松に再会したときに食べた“猿の肉”だ。実際の戦場で日本軍の中に人肉食が行われたかはわからない。しかし、猛烈な飢餓の中で死んだ仲間の肉を食べるということは、生きるための究極の選択として彼らの脳裏に常に存在していただろうと想像するに難くない。
戦場での最後の場面で、安田を殺した永松は彼の肉を食う。田村は、永松の狂気を目撃し戦慄する。そして、永松を殺す。
田村は永松を食べたのか。その答えは記されていない。そこで田村の記憶は途絶える。
田村は、米軍俘虜となり終戦後に復員して精神病院に収容される。「野火」は、田村が書き記した手記という体裁をとっている。だから、田村自身が犯したかもしれない人肉食という行為は、彼自身が意図的に書き記さなかったと読み解くこともできる。反面、本当に彼は永松を食べたりしなかったのかもしれない。
田村が永松を食ったのか食わなかったのか。それは「野火」という作品が読者に示した究極の選択である。ただ言えることは、人間が本当の極限状態におかれたときにどう狂っていくのかを理解することは、きっと誰にもできないんだろうということだけだ。
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