昨今の小説に解説が必要なのは先日に書いた通りですが、ここでは恥ずかしい行為と知りながら自作の執筆意図を書いておこうと思います。少々挑戦的な作品となりますので、面白くお読みいただくための一助となればと思います。
ルール違反、したいよね
本作は、様々なしがらみなく自分のための作品を書こうと思ったのがきっかけでした。しがらみというか、思い込みに過ぎないですが、書くからにはメジャーを目指さねばならず、小説サイトの売れ線に沿わなければならない、という制約のことです。
もちろんそういうことをするのが安っぽく見られがちというのもあるのですが、重要なのは「いっぱいルール違反をしたい!」ということでした。どんな違反かは後に書くとして、とにかく暗黙の了解のようなものを破りたかったというわけです。万が一商業化するなら書き直せばいいとして、まずは自由に書いてみようという気持ちがありました。
そもそも異常に飽きっぽい
自分は通常よりも飽きっぽく、パターンの見えてしまった作品にシチュエーションを変えて類似展開を作っていくことが苦手です。さらにキャラクターに対して「自分の子」みたいな感覚を抱いたことがありません。となると、もう通常のラインの娯楽作品を書くのは不可能に近い。必然的に実験的な作風に流れていくしかないことになります。
複雑な物語なんてなくない?
娯楽の枠を離れるとしても、それはそれで楽しいものでなくてはなりません。とにかくごちゃごちゃして一切の使い道がないけれど、なんとなく機能しそうに見えるもの、というイメージだけは保持しようと思っていました。
それでも世代として「ジャンクな物語と複雑で深遠な物語」という二項対立に挟まれていたこともあり、それについてだけは考える必要がありました。オウム真理教が、彼らのしでかしたことに比して、抱いていた物語があまりに貧困であった、という事実が、以降の世代の背中には重くのしかかっているのです。昨今では、ここでも非難している陰謀論の物語があまりに単純であることを想起してもらえれば、別に古い問題であるとはいえないわけです。
しかし、じゃあ一般人が複雑な物語を持っているかというとこれも疑問であると私は考えるようになっています。世の中は善悪を簡単に割り切れるものではないし、背後には複雑な事情があり、簡単に解決できる問題などない……。複雑な物語、というとき導き出されるのはそんなところでしょう。せいぜい行動と思想が矛盾しているというところでしかない。それに実のところ複雑なのは状況であって、決して物語ではない。例えば裁判手続きが煩雑だから正義や悪がないということではなく、裁判官と被告原告の三者に独善的な物語が付随しているという程度が人間の限界なのではないか? そういう風に今は考えています。
それならば「あり得ない状況とそこに投げ出されらた人間の感情」とを眺めるスタイルにするしかない。これまであったそのスタイルの小説と違い、一応の着地点は用意したい。そこまでが決まれば、後は想定読者をどんな人にするのか決めなくてはなりません。
ネットに知見が蓄積しない現状
これも最近、私的に気にしていることなのですが、「あまりにネットに知見が蓄積しない」ことには本当に絶望しています。小説についていえば、デマに近いいい加減な情報を流している人がいつまでも情報を拡散し続けている。もう間違いを何度も指摘されているにもかかわらず、感心して反応をしている人が後を絶たない。さらに小説についての論争も一年とたたずに同じ話題が新鮮なものとして扱われ繰り返されている。これは小説のようなニッチな知識に限ったことではなく、重要な知見や、楽しい情報すら繰り返されてしまっています。「もう見たよ」と言っている人は少ない。
想定読者は「もう見たよ」と内心思っている人
もちろん「もう見たよ」と口にする人が少ない理由に、内心思っていてもその場を去ってしまうだけでなにも言わない人が多いということはあるでしょう。それならば、その去っていった人を対象読者としたい。そもそも自分の飽きっぽさからくる当初の動機も、思い返してみれば売れ線のネット小説ジャンルは「もう見た」からだったわけです。
となると「古くからオタク業界に慣れ親しんでおり、それに飽き気味でもネット離れするということもなく、少年誌やYouTubeチャンネルは流行りを追っている社会人」となるでしょう。社会人という部分を除けば完全に自分です。ですが、そういう人は多いはずです。
大人漫画ってなんだったんだろう
業界がそれなりに長くなってしまった自分は、かつて企画されては消えていった「大人漫画」や「大人ライトノベル」のレーベルを記憶しています。それらの失敗の理由は「渋いおっさんを主人公にしたい」という作家の欲望を優先したことや、「大人感」とでもいうべきものを共有できなかったことにあるでしょう。
個人的にも「大人になったら父が買っていたビッグコミックを読むようになるのだろう」と思っていましたが、結果「ビッグに乗ってる作品もジャンプも読む」デカい子供になっただけでした。趣味だってハイカルチャーに行くわけでなく、いつまでもサブカルチャー。もちろんゴルフ程度はやったりしても、歌舞伎や能が面白く感じたりはしない。ビジネスの苦みも、若き日の過ちも、命の危機も経験し、そこに立っていたのは渋いおっさんでなく、邪魔なこだわりを持った迷惑な半裸の男でした、というのが実感です。
利点は「もう見た」だけ
となれば、自分の利点は「もう見た」だけ。過去のジャンクな知識はアホほど詰まっている。政治経済美術などの教養に属するものは陰謀論に流れない程度だけれど、誰も感心しないサブカルチャーの基礎なら一通り見ている。
それなら「もう見た」を武器に、自分と同じような読者層に向け、「まだ見たことのない最先端の小説」を目指す。それが『重力の雨滴に震える猫』の目標になります。
最先端といってもなんの?
「最先端の小説」というといかにも胡散臭い。しかし、あえてそう言ったのは「予備知識がそれなりに必要でもいいんじゃない?」という意味でもあります。物語は複雑にはならないが、状況だけは複雑。その状況ってやつにはそれこそ雑多な情報が含まれる。もっとめちゃくちゃに、もっと深読みできるために過去に「もう見た」ものが列挙されていなければならない。となれば、必然的に「この作品が最先端」となる……といいなぁ、などという都合のいい妄想です。
ともあれ読みやすくて楽しいよ
ここまで書くと面倒くさい作品のようですし、実際、予備知識についての説明はすっ飛ばすことが多い作品なわけですが、それこそ「これを読んで理解できると“格”が上がったような気がする」ものにしたいですし、混乱ももたらしたい。
それでも、すっと読みやすいものにはなっているはず。なんだかわからない単語は後から調べる派の方も楽しんでいただけるものと確信しています。
以上、本記事がめちゃくちゃ傲慢に感じられる人もいるでしょうし、実際、自作の事前解説など共感性羞恥をおぼえるほどに恥ずかしいものですが、少しでも小説を読んでほしいと思ってのこと。ご容赦ください。
というわけで、明日から月刊ペースで更新されていく小説『重力の雨滴に震える猫』をよろしくお願いいたします。