仏教の世界には、自らの修行に励む「自行(じぎょう)」と、他者を導く「化他(けた)」という言葉があります。
一見すると、これらは自分を磨くことと他者を助けることという、対照的な方向を向いた行為に思えるかもしれません。
しかし私は、武道という学びの道中で、この二つが鮮やかに重なり合う瞬間に出会いました。
今回は、その経験についてお話ししたいと思います。
私は長年、テコンドーという武道を自らの核として歩んできました。
ある一定のレベルに達すれば、人は自然と「教える」という立場に回るようになります。
後進に技を伝え、育てること。
それは確かに尊い学びの形であり、私にとっても大切な「化他」の時間です。
しかし、私は武道・格闘技というジャンルにおいては、常に自らの「自行」を優先してきました。
どこまでも一人の「生徒」であり続ける道を選び、新しい門を叩き続けてきたのです。
つい先日も、私はテコンドーの道場に加え、タイの国技であるムエタイのジムに入門しました。
幸い、ここ八王子には高名なムエタイジムがあります。
57歳という年齢を考えれば、周囲からは健康維持や体力作りのためだと思われるのが一般的でしょう。
けれども、私の内側にあるのは、枯れることのない純粋な探求心です。
他流派の門をくぐる時、私はこれまでの実績やプライドをすべて道場の外に置いていきます。
そこで私を指導してくれるのは、息子と同い年の女性です。
しかし、彼女は世界四冠を制したレジェンドであり、タイ本国でも絶大なリスペクトを集める存在です。
私にとって、年齢も性別も関係ありません。
ただ、その至高の技術を真摯に学ぶのみです。
右も左もわからない「初心者」として、ただひたすらに。
その流派でなければ触れられない真理があり、初心に帰ることでしか見えない景色があります。
40年もの歳月を武道に捧げながらも、自分の未熟さを突きつけられる。
それが楽しくて仕方がありません。
「ああ、おもしれえ」と、心から思えるのです。
自我を満足させるために、ただ夢中で拳を振るい、汗を流す。
それは理屈抜きの喜びに満ちた、究極の「自行」の時間でした。
そんなある日のことです。
稽古を終え、肩で息をしている私に、同年代の方がふと声をかけてくださいました。
「あなたを見ていると、自分もまだやれる気がしてくる」
その言葉を聞いた瞬間、私はハッとしました。
私は誰かのために動いていたわけでも、手本を見せようとしていたわけでもありません。
ただ自分の渇きを癒やすために、無我夢中で新しい世界に飛び込んでいただけでした。
しかし、己の限界に挑み、初心を貫くその「自行」の姿が、図らずも他者の心に火を灯していたのです。
自分のための学びが、そのまま誰かの救いや勇気へと繋がっていく。
これこそが、自行と化他が溶け合う瞬間なのだと気づかされました。
「ああ、ここにも仏教の教えが息づいているではないか」と。
一つのことを極める美学もあれば、常に新境地を拓き続ける情熱もあります。
私はこの道において、どんなに歳を重ねようとも、あくなき探求心とともに一生「生徒」として歩み続けたいと願っています。


祈願のお申込みについて
本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。
当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。
荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。
商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです
病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
文殊菩薩祈願
「三人寄らば文殊の知恵」というように智慧を象徴する尊格です。学業増進祈祷、無明を断ち切る祈祷などでお力をいただけます。
光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。
(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)
年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。
※不動尊華水供を修法致します。
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