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滅罪をめぐって:過去を浄め、未来を変える

先の記事で本尊・准胝仏母のご加護をいただく「准胝滅罪守り」の記事を書きました。その名にある「滅罪」という言葉が、どういう意味なのか分かりにくい、との声をいただいております。

一般には、滅罪とは「過去に積んだ罪を消すこと」と理解されることが多いと思います。これは仏教においてとても大切な意味を持ち、私たちが知らぬ間に重ねてきた罪障を清めることは、安心して歩むための基盤になると考えられます。

ここでいう罪とは、刑法上の罪ではなく、無明や煩悩に基づいて起こる誤った行いや心の習慣です。人を傷つけたり、怒りに任せて言葉を放ったり、怠惰に流されて努力を怠ったりすることは、未来に悪い結果を招く原因となります。こうした行為の積み重ねを「罪業」と呼び、これを清めることが「滅罪」です。

滅罪のための実践には、懺悔や誓い直し、経を読むことや写経、光明真言供や護摩供といった祈祷など、さまざまな形があります。故人のための追善供養もそのひとつで、葬儀や供養を中心に営む寺院を「滅罪寺院」と呼ぶこともあります。亡き人の罪障を清めてよりよい往生を願うこと、これも滅罪の大切なはたらきです。

しかし私は、滅罪はそれだけにとどまらないのではないかと考えています。祈祷は単に病や不幸を外から取り除くものではなく、むしろ自分の内面を映す光のようなはたらきを持っているからです。その光によって「気づき」が生まれ、歩みを改めるきっかけとなります。

実際に「人型加持を受けたら、かえって悪化したように思える」というご相談をいただいたことがありました。そのとき私は「お札が害をなしたのではなく、心の膿をあえて浮かび上がらせて気づきを与えたのです」と指導させていただきました。ここでいう膿とは肉体的なものではなく、心の奥にたまったものです。それが行動を誤らせ、間違った歩みとなって現れていたのだと解釈できます。祈祷はその膿を映し出すことで、いま自分は何を正すべきかを気づかせてくれるのだと私は理解しています。

祈祷は気づきを与え、行動を変える契機となります。そして行動が変われば、未来に犯すはずだった罪を未然に防ぐことができるでしょう。怒りの言葉を抑えることができた、怠けを正して努力を積み重ねられた。こうした小さな変化が未来の罪を減らすことにつながります。

ここで強調しておきたいのは、当院の祈祷は「施主ご本人の行動が変わる」ことを大切にしているという点です。祈祷には確かに霊験や加護のはたらきがありますが、本人の努力なしに魔法のような効果だけを期待される方には必ずしも向かないと考えています。祈祷を通して得た気づきをどう行動に生かすか――その歩みこそが滅罪を現実のものにしていくのです。

ですから滅罪は「過去を清める」だけでなく「未来を清める」ことでもあると私は受け止めています。過去を浄め、未来の罪を生まない。この両面こそが滅罪のはたらきであり、その意味を込めて「准胝滅罪守り」をお授けさせていただいているのです。

祈祷は「効いた」「効かない」といった結果で測るものではなく、「どう気づき、どう変わるか」を問いかけるものだと考えています。その歩みが、清らかな未来をつくっていくのだと信じています。

 

※准胝滅罪守 ご希望の方は以下のフォームのリンクよりお願いいたします。

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開白は9月18日となりますので、この期日までにお申し込みお願いいたします。




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