ご無沙汰してしまい、申し訳ないです💦
今日は「お勤め」の話をしましょうか。
何度かこのブログでも明言しているように、私は双極性障害を患っています(え~!知らなった!?という人もいるのかな(笑))。昔で言うところの「躁うつ病」です。つまり、躁状態では寝食を忘れて何かに没頭できる(たとえば仏像づくりなど)が、うつ状態になるとベッドから起き上がることすらできなくなる。それでも最近は薬も効いて落ち着いてはいますが、たまに躁状態で突っ走ることはあるようです!?
さて、これは、私がまだ信者だった頃の話です。
その信者時代、割とうつ状態が強かった。
うつが重症の時、どうなるか?
私の場合は、朝起き上がることすらできませんでした。
仏前に座るなんてとんでもないし、読経も、香を焚くことも、全部無理。
お勤めができない自分に、ダメ出ししまくって、自己嫌悪の雨あられ。
しかも、それを誰かに責められたわけでもないのに、自分で勝手に責めてしまう。
「信者として最低だな」
「仏さまに不義理してるよな……」
「これじゃただの仏教好きのお荷物だな……」
って。
もう、井上尚弥のジャブレベルで、そんなツッコミが鋭利に自分をぶっ刺しまくる(笑)。
でも、今になって思うんですよ。
これを昔の無理解な人のように「怠け病」と言ってしまうのは、やっぱり違う。
だって、これは明確な“病”ですから。
「気力でなんとかなる」と思っている人は、おそらく、うつ病を患ったことがない幸せな人なんだと思います。
でもね、うつ病においては、その“気力”からこそ、すり減っていくんです。どんなに肉体が元気でも無理。
気力がとことん切れると、どうなるか?
私の場合、顔の表情すら作れなくなって、無表情のまま一日を過ごすこともありました。
その状態で「何をせい」と言われてもね……。
それでも、「申し訳ない」という気持ちだけはあったんです。
しんどかった。でも、「できたらよかったな」と思えていたなら、それって、仏さまとのご縁がまだそこに残っていた証拠だったんじゃないかと、今は思います。
そう思ってあげることも、もう立派な信仰だったんじゃないかって。
健康な人は言いますよね。「行(ぎょう)こそ仏道!」って。
「毎日○回お勤めしています!」「写経は日課です!」
……いや、すごいよ。尊敬する。本当に。
でもね、その声が大きくなりすぎると、
「できない人は信仰が浅い」っていう空気が、自然にできてしまうのも事実で。
実際、あの頃の私がそうでした。
「できない自分は、ダメな信者」
「仏さまの前に顔向けできない」
「こんな自分、仏教やっちゃいけないんじゃないか」
……そんなふうに、想いがネガティブにネガティブを重ねていってしまう。
でもね、行ができない日にも、心のどこかに仏を思う気持ちがあれば、それでいいんです。
「止観(しかん)」という言葉、聞いたことのある人もいるかもしれません。
もちろん色んな解釈はあるけれど、この文脈でざっくり言うなら――
**「心を静かにして、ものごとの本質を見つめる」**ということになりそうです。
つまり止観って、別に祭壇の前で正座して始めるものじゃない。
たとえば、枯れた花を見て「ああ、替えなきゃな」と思うことも、止観。
「今日も読経できなかったな……」と、しょんぼりすることだって、
心が仏に向いているという意味では、立派な“止観”の一部なんじゃないかと、今では思えるんです。
お勤めって、誰かに誇るためのものじゃない。
仏さまと自分の心を、結び直すためにやるもの。
だからこそ、できない日があっても、また戻ればいい。
いや、戻れなくても、「気にしてるならもう大丈夫」。
「ちゃんとしようと思ってるけど、今日はダメだった」
そんな日も含めて、仏教ってやつは、ちゃんと包んでくれるんだと思うんです。
あの親鸞をして、自らを「愚禿(ぐとく)」と名乗った。
愚かなる者、ただ髪を剃っただけの一人の凡夫――。そう言い切り、「できる自分」で仏道を決して語らなかった。その姿勢は宗派が違う云々という些末なことを横に置いておいて真に学ぶべき姿と思う
修行に励める日だけが仏道じゃない。
立てず、祈れず、声も出せない。そんな日にも、
「それでも仏と離れたくない」と願う心を何よりも大事にしていと思うから。
そしてそんな愚かで「できない私」すら、そっと抱いてくれる存在が、私にとってはご本尊、准胝仏母さまです。元気な時はとことん厳しいですが!?(笑)病んでいるときは、その時に必要なやさしい救いを示してくれる存在。
准胝の大願には、こうあります。
「一切衆生、仏果を成ぜしめんことを」
――すべての衆生を、仏のさとりに至らせるために
これは、できる人だけを救うって話じゃない。今日の文脈で言えば煩悩まみれの人も、祈れない人も、心が折れた人も、ぜんぶ含めての「一切衆生」。
私は、お勤めができなかったあの頃は自分をずっと責めてた。
でも今は、あの静かな日々にも、准胝さまは「真横で支えていてくれた」と思えるようになりました。
もしかしたら、花も替えられず、読経もできず、ただ枯れかけた花を見つめていた自分に、
准胝さまはそっと寄り添って、こう言ってたのかもしれない。
「それでも、あなたは私のもとを離れていないよ」

祈願のお申込みについて
本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。
当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。
荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。
商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです
病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
文殊菩薩祈願
「三人寄らば文殊の知恵」というように智慧を象徴する尊格です。学業増進祈祷、無明を断ち切る祈祷などでお力をいただけます。受験用のお守りもお出ししています。
光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。祈願を叶えるには先祖供養がしっかりできているのが大前提です。
(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)
年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。
※不動尊華水供を修法致します。
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