行が思うように進まないことがある。
そうすると、罪悪感を抱くことも少なくない。
特に、それが「天部尊」に関する行であれば、現実世界で厳しいご指導を受けるのではないかと、びくびくすることもある。
確かに、厳しいご指導があることは事実だ。
しかし、逆になぜか行は進んでいないのに驚くほどの幸運が続くこともある。
たとえば、ありえないほどの偶然が重なり、状況が思いがけず好転する――そんなことが連続して起こるのだ。
こうした出来事を、行者なら「偶然」とは思わない。
「神仏の御加護だ」と受け止める。
するとどうなるか?
「こんなに良くしていただいているのに、行が進まないなんて言っていられない」
そんなふうに自らを奮い立たせることができる。
では、神仏は行者を叱責し、厳しく鍛えるだけの存在なのか?
ただただスパルタなのか?
最近、私は「神仏のご指導はそんなに単純なものではない」と思うようになった。
神仏が望んでいるのは、行者を懲らしめ、力尽きさせることではないはずだ。
私の心の弱さなど、神仏はとうの昔に理解している。
それを承知の上で、付き合ってくださっているのだと思う。
だからこそ、私が「行が進まない、どうしよう……」と悩んでいても、神仏からすれば
「でしょうね」
「また始まったか」
くらいのものかもしれない。
これは決して「神仏に甘えてよい」という話ではない。
どこまで行っても、自分は神仏の手のひらの上にいるのだということを認識してよい、ということだ。
最初は「本尊が仏母だから優しいのでは?」と思ったこともある。
だが、実際にはそうでもない。
むしろ、圧倒的に関与を感じるのは荼枳尼天だ。
本尊の准胝仏母は、どこか静かに見守っているような印象がある。
一方、荼枳尼天は守護神として、ぐいぐい引っ張ってくれる。
「あ~あ、ダメな行者だな」と呆れられながらも、何とか面倒を見てもらっている感覚がある。
それだけでなく、私がもたもたしていると、前からぐいぐい引っ張ってくれる。
でなければ、荼枳尼天祈願が日に日に増えていくことの説明がつかない。
「ほらほら、もたもたするな」と急かされるように、次々と願いが舞い込むのだから。
行者である以上、努力は欠かせない。
だが、すべてを自分の力で何とかしようとするのにも限界がある。
だからこそ、時には「神仏と二人三脚で進む」という意識を持つのも大切なのではないか――
最近は、そんなふうに思うようになった。

祈願のお申込みについて
本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。
当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。
荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。
商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです
病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
文殊菩薩祈願
「三人寄らば文殊の知恵」というように智慧を象徴する尊格です。学業増進祈祷、無明を断ち切る祈祷などでお力をいただけます。
光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。
(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)
年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。
※不動尊華水供を修法致します。
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