今日は観音さまのお仲間の話をしようと思う。
最初に、観音さまが「三尊像」として表現されるとき、一番よく見るパターンはなんだろうか? おそらく阿弥陀三尊像だと思う。すなわち、阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の組み合わせである。 また、観音菩薩が主尊になると、観音菩薩・不動明王・毘沙門天という組み合わせも見られる。
しかし、歴史的に遡ると、インドで最初に三尊像として出現したのは、 観音菩薩・多羅菩薩・毘倶胝(びくち)菩薩の三尊像である。
観音菩薩は当然ご存じだろう。また、ここを読んでいる方なら、多羅菩薩も知っていると思う(ですよね?笑)。

でも毘倶胝菩薩については、初めて知る方がほとんどではないかと想像する。
当院では重要なご尊格である多羅菩薩でさえ、日本で単尊として祀られている霊場は極めて少ない(ほぼない)と思われる。いわんや毘倶胝菩薩をや。
なぜここで毘倶胝菩薩を扱うのか?詳しくは触れられないが先日の記事でも触れた六観音法の伝授でこの毘倶胝の名がよく登場したからだ。存在そのものは知っていたが、深い知識は持ち合わせていなかったので、これも何かの縁と思い徹底的に調べることにした。
以下の記載に、もしかすると誤りがあるかもしれないので、その際はぜひご指摘いただけると助かります。
毘倶胝菩薩とは?
毘倶胝菩薩の毘倶胝(びくち)とは「ブリクティー」の音写です。その尊は観音菩薩の脇侍として信仰される菩薩で、多羅菩薩と並ぶ存在であることは上述したとおりです。 日本ではその存在はほぼ知られていないが、主にチベット仏教やネパール仏教では信仰されている。
主なお働きは、修行を妨げる障害を取り除き、智慧を授ける力があるとされ、特に魔障を打破する守護者としての役割を果たしている。 これを聞くと、同じ蓮華部院にいる馬頭観音との共通点を感じる方もいるかもしれないが、その点については後ほど触れたい。
「ブリクティー」という名前は、サンスクリット語で「眉間の皺」、すなわち「怒りの表情」を意味し、その名のとおり忿怒相の意味を持つ。
多羅菩薩は、救いきれない衆生を見た観音が涙し、その「涙」から誕生したとされることは過去記事で書いたとおりだ。 一方で、毘倶胝菩薩にも類似した伝承があるが、しかしながらニュアンスがかなり異なる。 それは、観音が怒ったとき、その眉間の皺(ブリクティー)から生まれたという伝承だ。
この点で、多羅菩薩が慈悲を象徴するのに対し、毘倶胝菩薩は障害を取り除き、智慧を授ける力という異なる役割を担うことがうかがえる。
日本で毘倶胝菩薩を目にする機会はほとんどないが、実は曼荼羅にはその姿を確認することができる。 具体的には、胎蔵曼荼羅の観音さまの部屋である蓮華部院において観音さまのすぐ隣に描かれている。
ここで注目すべきは、胎蔵曼荼羅では観音さまの両脇を固めているのが、まさに多羅菩薩と毘倶胝菩薩の二尊であるという点。 つまり、上述した初期インドの三尊形式がしっかりと残っているのだ。面白いですね。
日本で見られるたくさんの尊が描かれた胎蔵曼荼羅は、実は中国で多くの尊格が追加され、大規模な構成になっている。 だから胎蔵曼荼羅のもととなった『大日経』を確認すると、もともとはずっと少数の尊格で構成されていたことがわかる。
特に、胎蔵曼荼羅において観音菩薩の部屋である蓮華部院には現在二十一尊が描かれているが、 『大日経』に記載されているのはわずか七尊である。
言い換えれば、毘倶胝菩薩は後から追加された存在ではなく、 もともと『大日経』初期メンバーで蓮華部院の中心的な尊格であったこと。さらには、多羅菩薩に次ぐ No.3 の位置にいたのだ。
ちなみに『大日経』に記載のある蓮華部院の初期メンバー七尊は以下のとおり。
最後の持名称者の名はあまり聞かないと思うが、別名「耶輸陀羅=ヤショーダラ―」と聞けばピント来る人もいいるのだろうか?ヤショーダラ―は仏陀の出家前の妃の名前である。 つまり、出家前の妃が観音の化身として初期メンバーに含まれていたというのは興味深い点である。
また胎蔵曼荼羅では、毘倶胝菩薩は四臂の姿で描かれている。ここも多羅菩薩の二臂とは対照的だ。四臂には数珠・剣・蓮華・羂索を持ち、それぞれが慈悲・障害除去・智慧・煩悩制御を象徴するとされる。
チベット・ネパール仏教における毘倶胝菩薩
チベットでは、想像通り、毘倶胝菩薩は観音菩薩の脇侍として信仰され、多羅菩薩と並ぶ重要な存在とされる。 特に、修行の障害を取り除く力を持つため、密教修行者にとって大きな支えとなるというのは上述した通り。
またネパールでも、観音菩薩とセットで信仰され、単独で祀られることは少ないようだ。 また、一説には、7世紀にネパールからチベットに嫁いだ王女ブリクティー・デーヴィーが 毘倶胝菩薩と習合したとも言われている。
多羅菩薩との比較
毘倶胝菩薩と多羅菩薩は、どちらも観音菩薩に深く関わる女性尊格だが、その役割には大きな違いがある。多羅菩薩は慈悲と救済を象徴し、願いを叶える女神のような存在。一方で、毘倶胝菩薩は障害を取り除き、修行者が正しい道を歩めるように導く役割を持つ。怒りの相を持つことで、その厳しさと力強さが強調される。 多羅菩薩は緑多羅や白多羅他、多くの変化身が存在し、まるで観音菩薩のようにインド、チベット、モンゴル、中国など後期密教圏で広範囲で信仰されている。一方、毘倶胝菩薩はやはり多羅菩薩程にその信仰は広まることなく、主にチベットやネパールでの信仰が中心となった。
馬頭観音との関係
(※ここは全く私の持論なので、そのおつもりで読んでください)毘倶胝菩薩と馬頭観音は、どちらも観音菩薩に関係し、蓮華部院に属する忿怒尊である点が共通している。馬頭観音は畜生道の衆生を救済する役割が有名だが、毘倶胝菩薩同様に修行者の障害を取り除く役割がある。
この二尊が直接的に同一視された記録は見つけられなかったが、どちらも観音菩薩を補佐し、怒りの表情を持つ仏として修行者の障害を取り除く役割など共通点が多い。深読みするなら馬頭観音という存在は、その後の歴史で徐々に蓮華部院において影響力を持っていくとこになったが、逆に毘倶胝菩薩は役割の多くを馬頭観音に譲ってしまったのでのではなかろうか?と思われた。
これは例えば奈良時代の天女と言えば圧倒的に吉祥天の役割がおおかったものが、その役割の多くを弁才天に譲ってしまったという話を思い出した。 あくまで私の想像ですが。
祀られている場所
毘倶胝菩薩を祀る代表的な寺院は、チベットとネパールに集中していた。チベットではラサの大昭寺(ジョカン寺)やサムイェ寺で祀られ、ネパールではスワヤンブナートやボダナートなどの仏教聖地で見られる。
おそらく日本では胎蔵曼荼羅の中に描かれる姿以外には、単独で祀られることはほとんど(全く?)ないのだろうと思う。
以上見てきたように毘倶胝菩薩は、観音菩薩の脇侍として障害を取り除き、智慧を授ける重要な存在だった。インドの『大日経』では蓮華部院の七尊の一尊とされていたが、中国や日本に伝わる過程でその役割は薄まり、日本では胎蔵曼荼羅の一尊として描かれるにとどまった。
一方で、チベットやネパールでは観音菩薩の補佐役として篤く信仰される尊格である。しかし人気の多羅菩薩ほどには信仰されてはいない。修行の障害を取り除くという独自の役割を持つが、馬頭観音との共通点が多いことからその役割を馬頭観音が一手に担っているのかもしれない。
最後に……もし今後、胎蔵曼荼羅を見る機会があればぜひ毘倶胝菩薩を見つけてその存在を感じてみてください。
祈願のお申込みについて
本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。
当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。
荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。
商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです
病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
文殊菩薩祈願
「三人寄らば文殊の知恵」というように智慧を象徴する尊格です。学業増進祈祷、無明を断ち切る祈祷などでお力をいただけます。
光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。
(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)
年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。
※不動尊華水供を修法致します。
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