『2001年宇宙の旅 HDデジタル・リマスター』を観てきました。
2001年は、たぶん今まで4,5回観てると思いますが、やっぱり劇場で観るのが一番面白いですね。
ものものしく壮麗な音楽をかけながら、公開時にはまだ存在しなかった技術を次々映し出すスクリーンの後ろにドヤ顔のキューブリックが透けて見えるようで「かわいいやないかいっ」と思ってしまったもんです。
私は、ずっと冒頭の猿のシーンが一番好きで、理由は「そこだけ意味がちゃんと分かるから」っていうだけのことだったんです。
今回はさすがにストーリーは理解できている状態で見て、また別の意味で猿のところが良かったです。
宇宙人の姿が、生物の形でなくてモノリスとして類人猿の前に現れたことによって「類人猿が直線の暴力性にびっくりした」っていう意味に見えたんです。
地球に突如現れる直線がいかに暴力的であるか、というふうに捉えると、キューブリックとアーサー・C・クラークがやろうとした「神の正体って宇宙人じゃね?」っていうある種荒唐無稽なSF的設定を超えて、政治的哲学的にも面白い。
その一方でバッグでずっと「ツァラトゥストラはかく語りき」をめっちゃいい音で鳴らして「神は死にましたよー。神のことは忘れてねー」っていうキューブリックの説得を耳にしながら、巨大な黒い板が人類を調教していく過程を観せられる、というのは、何を観せられているんだろうか、という気分になって、SFって面白いんだな、とうっかり初心に返りました。
変だろう。あんなに厳かな感じで真顔で観せられる思考実験ではないだろう。神が居ないなら、でかい黒板もないだろう。
ボーマン船長もはるばる長い距離を目的も知らずに呼び出されて、せっかくスターゲートを超えたのに面白みもない白い部屋に通された上で、自分の老い先見せられて、最終的に「地球なんてまだ赤ちゃんなのでしたー」みたいなこと言われて。あれは、接待なのか、ものすごく陰湿な嫌がらせなのか。意図がわからないところが、黒い板って怖いですね。
もちろん今や配信でもあちこちで観られますが、やっぱり良い音響でこれみよがしの『ツァラトゥストラ』を聴くのは格別でした。
結構前に雑に読んだような気がしてたんですが、今回映画を見たらだいたい全部意味がわかるようになっていたので、たぶん自分で思ったより真面目に読んだのだろうな、と思いました。SFってあんまり読み慣れないので、読んでも面白いのかどうかいまひとつ分からない事が多い。