先週鑑賞した『28年後... 白骨の神殿』二回目観てきました。めちゃくちゃ感動したのに、鑑賞中に一度トイレで中座してしまったのが悔しかったので、膀胱のリベンジです。
驚くべきは、スクリーンXの広画角シアターで観客、なんと私ひとりっ!
ゾンビ映画で、しかも3部作の2本目、日本で看板になるアイドル俳優は出ていないし、予告映像みてもどういう話か今ひとつわからない(ジャンル映画なのに)となれば、集客難しいだろうなとは思うんです。
しかも、札幌は観測史に残るレベルの大雪直後。まだ家や会社の雪かき終わってない人なんかいくらでもいることでしょう。そもそも道が悪すぎて外に出られない人も多いでしょうし。物流止まった対応に追われている人も多いでしょう。
でも、私は言いたい。『白骨の神殿』は面白いから見逃さないでっ。
2度目ということで、落ち着いて観るとしみじみ心に染みますね。
サムソンが「ムーン……」って言ったところでほろほろ泣き。スパイクが「ケルソン、ごめん」って駆け寄ったところに穏やかに「イッツ、オーケー」って返すところでまたほろほろ泣きます。
ついさっきまで首引っこ抜いたり、生皮剥いだりしてた映画なのに、なんということか。
印象深いのは、とっくに文明が崩壊したあとの世界で、独りで死者を弔い、勉強を続け、夜には音楽を聴き、フルチンで眠りはするけど脱いだ服は几帳面に畳み、困った人がいれば助けようとする、というケルソン医師の生活の美しさです。
もし今文明が終わったとして、どうしたらケルソンの美しさを持ちつづける人間で居られるのか、というのは映画を観ているあいだじゅう、ずっと考えさせられます。

私も、世界がどんなにパニックになっていっても夜中に独りで本を読む人間でありたいと思う一方で、世界がパニックになってるいるときに夜中に独りで本を読んでたら「こんなに狂人に見えるのか」っていう事実も、もちろん大変にユーモラス。
社会的な成功のため、とか、飲み会でモテるため、とか、ネットでイキるため、などの理由で教養を身に付けようとする人の方がずっと正気に見える、という傾向は今でも感じますしね。
ただひたすら、心の安寧のため、生活の秩序のため、自分よりあとに生まれてきた人に良い影響を及ぼすために、身に付けた教養を大事にしようとするケルソン医師の、美しくも頭のおかしい日々たるや、端々が涙腺に響きます。
また二回目鑑賞でトイレの心配なくゆっくり観たから気付いたことですが、ケルソンは、ジミー・クリスタルが最初に会いに来たときに「頭の中で覇王の声がずっと聞こえている」と言うのを聞いて、彼が本物の”患者”であることは医師としてすぐ気付いているんですね。
ただ、ジミーなりのバランスの中にいるように見えるのでそれ自体を勝手に治療しようとはしない。そして2回目にジミーが手下をつれて来たときに、ジミーの手下たちのほうを観て「これは放っておいてはいけないことが起こってる」と気付く。あの穏やかな知恵のかっこよさ。しかもそんなにかっこいいのに、変なコスプレしてるし、まじ最高です。
今時「よく生きる方法が知りたいんだよね」とか言うとプラトンじゃあるまいと馬鹿っぽく聞こえますが、結局、人間がなんで本能的に物語を好きかっていうと、よく生きる方法を知りたいからであって、そういう意味でこのゾンビ映画最高。
この機会に一作目も見直しましたが、こっちもしみじみいいですね。
後に残虐性と暴力の教祖になるジミーがゾンビの襲撃で突然孤児になったのは8歳のとき。一方でやや臆病なくらい心優しいスパイク少年は12歳まで手厚い共同体の庇護を受けて育っている。この4年は共感性が育つのにかなり大きな差だったろうな、とは思うのでした。ジミーはジミーで、たぶん彼なりに一生懸命生き延びた結果なんだよなあ。