『落下の王国4Kデジタルリマスター』を観てきました。
なんの映画だか全然知らなかったんですが「落下の王国のリマスター版を劇場で観られる日が来るなんてすごいことだ」みたいな話を聞くに及んで、じゃあ一応観てくるか、と腰を上げたものです。
すごいきれいだけど意味が分からない絵が2時間くらい続くアート映画みたいなものかしら、と思って行ったら大変シンプルでわかりやすい映画で、非常に感動しましたよ。
腕を骨折して入院中の五歳の少女が、撮影中の事故で半身不随のスタントマンと出会う。スタントマンの青年はお話を語り、ふたりは仲良くなるが、話を続けるために少女にあるお願いをする。 ……というような話。
こういう映画であっても、やっぱり宣伝となると「撮影4年 ロケ地24カ国以上」とかの売り文句になってしまうのは、本当に仕方ないところだと思うんですが、
「お話作りにそういう箔付けるのって全然意味ないよ」
っていう映画でもありました。
劇中では尾羽うち枯らしたスタントマンが極めて邪な目的のために、いかにも5歳の少女の興味を引きそうな話を適当にでっちあげて語ります。言ってみれば、低い低い志から場当たり的に出て来た物語。
二人で「そのマスクの山賊は前歯が少し透いてるんだ。じゃあ君のお父さんだね」なんて言ったりして、偶発的に聞き手と語り手のバックストーリーがひょいひょいと盛り込まれながら転がっていきます。そうやって二人で時間を共有しているうちに、話はまさかの唯一無二のものになり、
「主人公を死なせないで。なんでもするから」
と少女を泣かせるまでになります。語り手は語り手で、目的が邪とはいえ、正真正銘自分の心から出てきてしまったストーリーだから
「じゃあいいよ。主人公は死なないでハッピーエンドにしよう」
みたいなことは実感としてどうしてもできない。自分の心が折れている中で語った主人公には、やっぱり苦境を生き抜く力はどうしても与えられません。しかし、眼の前で唯一の聞き手で、事実上の共同制作者でもある少女が泣いている。
うっかり出てきたしまったストーリーの真剣具合に、大変に胸を打たれます。
現代のストーリーテリングって映画でも小説でも、どうしても「ポピュラリティをより多く獲得したほうが偉い」「パッケージにして市場に載せたほうが偉い」「でかい予算で作ったほうが偉い」「識者に褒めらた方が偉い」の文脈に乗らざるを得ないと思うんですが、そもそもお話の本質ってそっちじゃないよな、ということですよね。
一文の得にもならないようなところで、語られて消えていってしまうような物語の底力に、しみじみ感動しつつ、その話を「撮影4年 ロケ地24カ国以上」で撮影してしまう資本主義システム、皮肉っぽくてちょっとおもしろいわね、と思ったんでありました。
物語をつくるすべての人にとっても良い映画だと思う!