『桐島です』を観てきました。
なんと、穏やかな映画だったのでありました。
2024年に「末期がんで入院中の男が指名手配犯の桐島聡だと名乗り出る」というニュースを見たときは、だいぶ驚いたものです。
駅や交番前でおなじみの指名手配書は物心ついたときから見慣れていたものだし、なんなら長髪で柔和な笑顔の写真を見て「女性」と思い込んでいたので余計驚いた、ってところもありました。
どうやって49年も逃げおおせたのか、ということには興味が湧くものの、本人が何も言い残さずになくなった以上、わかりようもない。
そんな中で本人が残したわずかな痕跡からひとつのストーリーに組み立てたものが公開されていたので観てきたのでした。
「きっとこうだったんじゃないかな」という推測の域を出ないとはいえ、観ていて「たぶん、そうだったんじゃないかな」と思うに足る人物像でした。
最初のうちこそ左翼活動家っぽい独特の言い回しと低予算映画らしい狭い画角の映像で重い政治劇が続くので「最後までこれだったちょっときついかも」と不安を感じるのです。
ところがびっくり、逃亡生活がはじまったところから突如「逃亡者桐島聡の何気ない日常」のドラマパートがはじまります。人当たりがよく勤勉実直な肉体労働者の青春ドラマが、『PERFECT DAYS』っぽくてなかなかいい。
朝起きたら目覚まし時計を止めて、窓を開けて、お湯を沸かして、歯を磨いて、顔を洗って、コーヒーを飲んで、仕事にいく。出会ったり、ギターを弾いたり、誰かを助けたり。
「この人が大切にしている生活、結構魅力的だな」
と思いはじめたところで、一瞬で49年が過ぎて、いきなり70歳の保険証も持たない末期がん患者になっていたのでした。
「そうか。人生ってきっとこうなんだな」
と、思いますね。
本名の桐島聡として生きたのが人生の最初の20年間くらい。その後の内田洋という偽名で生きた時間の方がはるかに長いのに、それでも「最後は桐島聡として死にたい」と名乗り出たのはなぜなのか。
最初に報道を見たときには勝利宣言みたいなことなのかな、とも感じたのですが、映画をみていると「だって実際桐島聡だから」という、単純にアイディンティティの問題だったのではないかという気もします。
50年間見つからなかった理由も、年上の活動家を手伝っていた大学生として、組織と直接連絡するような立場でもなかったので、静かに暮らしているぶんには見つかりようもなかった、という感じでした。
桐島自身は人命を損なうような事件に関わっていないとはいえ、それでもテロリズムを矮小化するわけにも行かないので感想言うにも難しいですが、弱者の目線から離れない正義感を持ち、不正は正されるべきだと主張し、70年代ですでにアイヌへの侵略行為に対する批判の眼差しまで持っていた、というところを見ると
「うーむ。びっくりするほど真っ当なことを言っておるな」
と思ったのでありました。
『PERFECT DAYS』観てないんですけど。印象です、すいません。
このテーマでどうしてこんなに「何気ない日常」系の描写ができたのか、と言えば脚本家の方が本当に”爆弾犯の娘”だから、ということもあるようですね。この本が大変に面白いらしいと聴いてすぐ買いました。