『ガールウィズニードル』を観てきました。
ずっと不吉な音が鳴ってるものだから、ガールがニードル持ってるだけで「不穏さに耐えられないから私もう帰りますうぅ」ってなった箇所がありましたが、とてもよい作品でした。
まずは冒頭、主人公カロリーネが身につけている耳当てひらひらニット帽が大変にかわいくて、目が釘付けですよ。
「なにそれ、私も編みたい」
と思ってじーっと見るんです。
モノクロの画面なので「何色の毛糸かな」なんて考えたりするんですが、戦争末期の物のない時代、たぶん染色もしてない、羊毛そのままの色なんでしょう。アップになると端のほうが擦り切れたりしていて、気に入って長く使っていることがわかります。

つまりは、カロリーネは物もない色味もない時代の中でちょっとでも日常を楽しくするために自分の手で独創的なものを生み出し、身につけるような、生命力と創造性に満ちた人として登場します。
”ボンボンである”ということ以外に特色のない縫製工場のボンボンに目を付けられるのも、たぶんそういう生命力の故でもあり、ボンボンの視点から見れば人生を切り開く宝を手に入れた瞬間でもあったんですが、そういう話にはならないのでした。
カロリーネは縫製工場で働くお針子でもあるわけですが、仕事先では、初めは軍服を、戦争が終わってからは金持ち用の薄物を扱います。つまりは彼女たちのような貧しい階層の女性たち自身や、さらには彼女たちが守ることによってしか生命を永らえることができない新生児を暖めるための衣類は”縫い針”でなく”編み針”からひっそりと生まれてきます。
いろんな苦境にいる赤ん坊がアップになるたびに、たくさんの手編みのものが画面に映り込んできます。まだ歩けない赤ん坊のための柔らかい靴。小さな服、おくるみ。
誰が、どこから集めてきた糸で、どんな生活時間を削って生み出したものか、劇中ではとくに語られないまま、画面の端々にたくさんのニットが映り、そして消えていくのです。
どんどん苦境に陥っていくカロリーヌは、もう冒頭のような活き活きとした独創的なものを自分のために自分で作って身につけたりはしなくなりますが、そのかわり苦境を共有し、一番苦しい瞬間には一言も説明しなくても全部状況を理解できる似たような境遇の女性たちが常にいろんなものを生み出し続けて、生と死と再生のすべての場面に静かな力を及ぼしていたのでした。
観ながら思い出していた本
庶民の手芸、女の趣味として低い位置に置かれがちだった編むという技術が世界の歴史の中で何を継承してきたのかに関するエッセイ。すごく面白いです。